top of page


浜松市

三方原学園内古墳群
千人塚古墳(5号墳)
三方原台地の東縁部には、下滝古墳群、半田山古墳群、瓦屋西古墳群、地蔵平古墳群、千人塚平古墳群、宇藤坂古墳群、四ッ池古墳群、半田山古墳群、そして当古墳群を含む数百基の古墳が分布する。当古墳群は、県立三方原学園内に分布する前方後円墳3基(1号、2号、6号墳)、円墳6基(3号~5号墳、7号~9号墳)の計9基から構成され、5世紀中葉~6世紀中葉に築造されました。
1号墳の瓢箪塚古墳は、全長45m、後円部径28mの前方後円墳で、葺石、埴輪を備える。埋葬施設は、木炭槨が3ヵ所認められ馬具、鉄鏃、鉄刀が出土しています。
5号墳の千人塚古墳は、径49m、高さ7.2m、造出長9m、幅12m、高さ0.7mの大型円墳で、葺石、埴輪を備え、幅8.5mの周溝が巡る。埋葬施設は、2ヵ所の木棺直葬が認められる。出土遺物は、第2主体部から三角革綴短甲、衝角付冑、鉄剣、大刀、鉄鍬が出土、造出から鉄剣、大刀、鉄鏃、鉄鍬、鉄斧、鉄鎌、鉋、石製模造品が出土しています。築造年代は、5世紀中頃と推定される。
2号墳の前方後円墳は、消滅する。他詳細は、別記載。

郷ヶ平4号墳
淡輪系埴輪並ぶ
都田川中流域に築かれた古墳群で、前方後円墳3基、円墳4基で構成されている。現在は、4号墳を除いて消滅している。
4号墳は、全長26.5mの前方後円墳です。埋葬施設は未調査の為、不明ですが円筒埴輪、朝顔形埴輪、武人や馬などの形象埴輪が出土しています。築造年代は、6世紀前半と推定。
消滅した古墳の中でも3号墳からは、淡輪系埴輪が多く確認されている。淡輪系埴輪とは、大阪の淡輪地域、和歌山県紀ノ川下流域を本流とし、伊勢、遠江に多く分布する繊維質の輪を底部に敷いて円筒部を積み上げる技法を用いた埴輪を言う。三遠地域でも20基程度に採用され、高い斉一性のもとに限定的な生産と言える貴重な技法です。
bottom of page