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福山市

西の塚古墳

藁江古墳群

松永湾の東北部、岩田山の南斜面に、50基近く分布していた古墳群で、現在は18基が残り、岩田2号墳(元禄塚)、六つ塚、四つ塚、西の塚古墳から構成されます。また、北東側の頂部には立岩という祭祀遺跡が存在する。 西の塚は、四つ塚・六つ塚から西側にへ進んだ高い位置に残る石室墳です。  墳丘規模は、10mの円墳とされますが、墳丘を失い、一部の天井石を残して横穴式石室が露出する。石室は、全長5.2m、幅1m、高さ1mを測り、南東方向に開口する。  出土遺物は、直刀、鉄滓、須恵器が出土。築造年代は、7世紀前半と推定され、鉄滓が多く確認されていることから鍛冶に携わった集団の墳墓と考えられています。

六つ塚古墳

藁江古墳群

松永湾の東北部、岩田山の南斜面に、50基近く分布していた古墳群で、現在は18基が残り、岩田2号墳(元禄塚)、六つ塚、四つ塚、西の塚古墳から構成されます。北側の頂部には立岩という祭祀遺跡が存在する。  六つ塚は、四つ塚の東側に隣接し、畑の周辺に分布する古墳群で、道路を挟んで右側に2基、下側に4基が残ってます。横穴石室を主体部としており、4号墳で奥行9.1m、幅1.2m、高さ6mを測ります。  当古墳群では、多くの須恵器をはじめ、鉄器、釘、刀剣、馬具、武具が出土する。築造年代は、古墳時代後期と推定。

四つ塚古墳

藁江古墳群

松永湾の東北部、岩田山の南斜面に、50基近く分布していた古墳群で、現在は18基が残り、岩田2号墳(元禄塚)、六つ塚、四つ塚、西の塚古墳から構成されます。北側の頂部には立岩という祭祀遺跡が存在する。  四つ塚は、六つ塚から西側にへ進んだミカン畑に分布する古墳群で、小屋横に1基とミカン畑の石垣などに3基の横穴石室が開口しています。六つ塚古墳群より当古墳群の方が、石室石材が小ぶりとなっている。

山中東古墳群

分水嶺を一望

神村町と赤坂町との分水嶺を一望できる位置に分布する古墳群で、墓地内に2基残ってます。  1号墳は、長さ5.6m、幅2.1m、高さ2.2mを測る片袖式の横穴式石室で、道沿い南向きに大きく口を開ける。築造年代は、6世紀後半と推定される。東に隣接する2号墳は、石室石材の一部が露出している状態で、埋没しています。

坂部古墳群

石鎚山東麓に分布

福山市津之郷町、石鎚山の麓付近の坂部地区に分布する古墳群で、8基の古墳が確認されており、3号墳と4号墳で横穴石室が開口しています。  移築された3号墳は、無袖式の横穴石室で全長7.5m、幅1.8m、高さ2.4mを測り、「山の神」が祀られている。4号墳も無袖式の花崗岩を用いた横穴石室で、全長8.13m、奥壁部幅1.64m、高さ1.3mを測り、南に開口する。築造年代は、6世紀代と推定される。

加屋古墳群

3基から成る

福山市津、石鎚神社のある丘陵の南側に分布する古墳群で、3基から構成されます。  墳丘規模は、10mに満たない円墳(1号墳墳丘なし)で、横穴石室を主体部とします。2基と麓で側壁のみの横穴石室(別の古墳群?)を確認しましたが、状態の良い石室はないのが現状です。

千田大迫古墳群

覆い屋によって保護

国道182号線沿いにある千塚池の北東丘陵上に分布する古墳群で、横穴式石室を主体部とする古墳が2基残ってます。  1号墳は、民家裏に覆い屋によって保護され、天井石を失い、奥壁と左側壁が保存されています。2号墳は、1号墳の北側の墓地から東の畑の中に横穴石室が開口しています。1号墳より大型の石材を用いており、整った印象をもつ石室となっている。

銭神古墳

住宅地斜面に石材露出

大門湾の北側、福山市春日町の住宅街斜面に残る古墳で、埋め戻された石室石材が露出しています。かつて、大蔭地区には多くの古墳群があったが、現在では当古墳と「能島丘第2公園」の大蔭2号古墳の2基が残るのみとなっている。  石室は南に開口する無袖式の横穴石室で、全長9.8m、幅1.8m、高さ1.9mを測り、閉塞石が確認されています。その付近からは、耳環、鉄器、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半~7世紀初頭と推定される。

大陰2号墳

能島丘第2公園に残る

大門湾の北側、福山市春日町の住宅街一角にある「能島丘第2公園」に残る古墳です。同丘陵上の北東90mには、1号墳も分布していましたが消滅。かつて、大蔭地区には多くの古墳群があったが、現在では当古墳と銭神古墳の2基が残るのみとなっている。  墳形は円墳とされ、無袖式の横穴式石室を主体部とします。石室規模は、全長4.9m、幅0.97m、高さ1.14mを測ります。  出土遺物は知られてませんが、1号墳から金環、須恵器が出土している。築造年代は、古墳時代後期と推定。

大谷古墳

左右非対称の石室

福山湾を見おろす引野丘陵の南斜面に分布した古墳ですが、周辺一帯の住宅開発に伴って「ゆめみが丘第2公園内」に移築復元されてます。  墳丘規模は、径8.5m、高さ1.7mの円墳で、南東方向に開口する横穴式石室を主体部とする。石室規模は、全長4.5m、幅1.3m、高さ1.7mを測り、側壁が左右非対称の構造となっています。  出土遺物は、土師器、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。

釜屋1号古墳

単鳳環頭柄頭が出土

芦田川河口付近の東側にある茶山に分布する十数基から成る古墳群の1基です。  当1号墳は、墳丘が流失し、花崗岩を用いた横穴石室の一部が露出した状態となっている。石室規模は、奥壁部幅2.3m、奥行4.05mを測り、南西方向に開口する。  出土遺物は、単鳳環頭柄頭、鉄刀、玉類、須恵器が出土。築造年代は、古墳時代後期と推定。

王ヶ峰2号古墳

2基の古墳群

芦田川の河口付近、王ヶ峯の西側山腹に位置する古墳で、2基から成る王ヶ峰古墳群に属します。山頂付近には、金鶏古墳も分布しています。  1号墳、2号墳ともに横穴式石室が露出しておりますが、藪が濃く2号墳のみ確認することができました。2号墳は、ほぼ半壊状態で埋没が進み、天井石も一部を残して落下している状態です。

船石古墳

石材のみ残存

福山市神辺町八尋、二宮神社の東側に位置するソーラー発電所の敷地内に残る船の形をした石材で、古墳から出土した石材と考えられています。奈良文化財研究所の文化財総覧WEBによると箱式石棺の石材ではないかと記載される。他詳細は不明。

安那古墳(やすな)

安倍晴明ゆかり?

福山市神辺町三谷、高屋川の北側丘陵の麓に位置する古墳で、横穴式石室の一部石材が露出しています。安倍晴明霊社が祀られており、安倍晴明とゆかりがあるのでしょうか。「小規模多機能ホームおひぃさん」の裏山に位置しています。

今坂古墳

山奥に、ひっそり露出

向山古墳の更に北側の山中、ため池の土手を東に渡った獣道沿いに半壊状態の横穴式石室が露出しています。

向山古墳

両袖式の横穴が露出

旧福山道東側、地蔵堂の北側の池から北東丘陵上に位置する古墳で、中型の石材を用いた両袖式の横穴石室が露出。石室内は、外観より立派な印象受けます。

国地古墳(くんち)

一本杉を目印に

金明寺近くの青木古墳から南側丘陵上に位置する古墳ですが、たどり着くのに少しわかりずらいのが難点です。丘陵北側の麓にある民家などに聞くのがベストです。  古墳自体は、ほぼ墳丘が流失しており、横穴式石室が開口する。奥壁側は埋没も進んでますが、周辺の横穴石室の中では良く残っている方だと思われます。

西谷・青木古墳

石室露出状態

西谷古墳は、R390(三谷神辺線)とR393が分かれる北側の丘陵先端部に位置する古墳で、横穴式石室が露出しています。天井石が落ちかけ、埋没も進んでいる状態です。  青木古墳は、R390(三谷神辺線)の西側、金明寺の北側丘陵に位置する古墳で、こちらは一部天井石が露出するほか、ほぼ埋没状態となっている。

池之坊古墳群

墳墓群も分布

福山市神辺町東中条、道々原池のある西側丘陵上に分布する古墳群で、3基ほどの墳形不明墳が確認されている。さらに北側には、弥生後期~古墳時代初期の墳墓群(石棺墓4基、土壙墓65基)が確認され、調査後に消滅している。  2号墳には、天満宮が鎮座しており、唯一墳丘らしさが残っている。北側にある1号墳は、藪となっているが、陥没坑を確認しました。さらに、北に3号墳が位置するようですが藪のため断念する。

安光古墳群

カンカン石古墳(1号)

福山市神辺町西中条、北面の観音さんから北側丘陵の谷筋に入った墓地周辺にある古墳群です。状態の良い古墳は少なく、1号墳のカンカン石古墳で横穴石室が開口しています。  カンカン石古墳は、左片袖式の横穴石室で、全長7.4m、幅2m、高さ2mを測ります。先の尖った左袖が印象的な石室となっている。ほか詳細は不明。

猫山古墳

造出を検出

福山市神辺町西中条、神辺平野中央部の北側丘陵先端部に築かれた円墳で、近年では造出のような突出部も確認されました。  墳丘規模は径26mほどの円墳とされ、現状は方墳のようにも見えます。出土遺物は、円筒埴輪が出土。築造年代は、古墳時代中期と推定される。

刈山第1号古墳

刈山古墳群を形成

福山市駅家町新山の服部大池の西側、南に延びる丘陵先端部に位置する古墳で、刈山古墳群を形成していました。  横穴石室が露出しており、おそらく円墳と考えられています。花崗岩の切石を用いた横穴石室は、長さ2.9m、幅1.6m、高さ1.4mを測り、埋没状態となっている。

ヤブロ古墳

備後南部でラスト!

福山市新市町、大佐山白塚古墳と同丘陵北側に位置する古墳で、廃棄処分場式内に露出した横穴石室が残されてます。  石室は、無袖式の横穴石室で全長6.2m、奥壁幅1.5m、入口幅1.8m、高さ1.65mを測ります。花崗岩を使用した奥壁と側壁には同様の規模の1枚岩を立て構築しており、備後最後の横穴式石室と考えられている。

湯神谷古墳

奥壁側のみ残存

福山市立芦田中学校に東側、新設された道路の突き当り手前北側の上方に開口してます。  横穴式石室の一部奥壁側のみが残存しており、分厚い天井石を見ることが出来ます。ほか詳細は不明。

田上第2号墳

子孫繁栄のメッセージ

神辺平野の西部丘陵上に築かれた古墳群で、道路改築工事に伴って調査が行われ、現在2号墳の石室基底部が移築保存されてます。  石室は、北北東に開口する片袖式の横穴石室で、全長6.35m、玄室長3.15~3.4m、幅1.7~1.9m、羨道長3.15~5.95m、幅0.95~1.25mを測ります。  出土遺物は鏃、刀子、玉類、多くの須恵器が出土。脚付装飾壷は,円や方形の透かしの入った長脚台部に装飾付広口壷を乗せる。注目すべきは、装飾に人物や動物の小像を貼り付け、人物像には性器を露呈した男女が向き合う特異な表現がされている。死者の再生や子孫繁栄への願いを込めたものと考えられており、広島県では前例がなく,非常に貴重な出土と言えます。築造年代は、6世紀中頃~7世紀末推定される。

迫山古墳群

備後国分寺の西丘陵に分布

神辺平野を南に見下ろす丘陵上に分布する古墳群で、11基の古墳が確認されています。さらにその後の調査で5基が追加されました。新たに確認されたものには、横穴石室墳2基、円墳1基、箱式石棺2基が見つかりました。  盟主墳である1号墳は、径21.5m、高さ5mほどの円墳で、南東に開口する片袖式の横穴石室を主体部とします。規模は全長11.6m、玄室長6.4m、幅2~2.5m、羨道長5.2m、羨道幅1.6~2mを測ります。  出土遺物は、人骨、単鳳環頭太刀、刀、鉄鏃、絞金具、勾玉、管玉、切子玉、棗玉、ガラス小玉、土製練玉、金銅製耳環、土師器、須恵器が出土。単鳳環頭大刀は、復元全長80cm、刃の長さ56cmで、金銅製環頭が装着され、中央に鳳凰、周囲に龍2頭が施されています。築造年代は、6世紀末と推定される。  古墳の規模や単鳳環頭大刀が出土していることから、神辺平野周辺域で、畿内政権と密接な関係を維持しながら台頭してきた首長墓と考えられます。

大坊古墳

切石の巨大石室

中条の谷の入口付近、丘陵の東斜面に築かれた横穴石室墳で、円墳または方墳とも考えられ、未だに定かになっておりません。  墳丘規模は、長方墳として南北10m、東西13m、高さ5m、円墳とすれば径14m、高さ5mとされる。埋葬施設は、南東方向に開口する花崗岩切石を用いた両袖式の横穴石室で、全長11.2m、玄室長5.27~5.38m、奥壁幅1.95m、高さ1.9m、羨道長4.4~4.82m、入口幅1.94m、高さ1.9mを測ります。同一規格として新市町の大佐山白塚古墳とされ、技術者集団の関連性が考えられます。  築造年代は、出土遺物が不明のため、石室構造から7世紀前半と推定されます。

亀山古墳群

三重溝取り巻く丘に2基

亀山丘陵上に分布する2基の古墳群で、亀山弥生式遺跡として県指定史跡となっています。亀山弥生式遺跡は、神辺平野中央北寄りの独立丘陵に弥生時代前期~中期の三重の環濠や当古墳群、平安時代後期の祭祀遺構など長期にわたって人々が営んできた事がわかる複合遺跡となっている。  亀山1号墳は、径28m、高さ2.3mほどの円墳です。埋葬施設は、粘土槨に長さ3.6m、径50cm割竹型木棺を納めていました。  出土遺物は、棺内に剣、刀、短甲、刀子、鏃、鎌、槍鉋、斧、竪櫛、玉類、石製刀子、砥石が出土。棺外で矛、槍が出土。粘土槨で矛、筒形銅器、盾などの豊富な副葬品が出土しています。築造年代は、5世紀代と推定される。

土井塚古墳

自衛隊の方々ご苦労様です

神辺平野の北辺、丘陵麓にある「平の前池」東側に位置する大型横穴石室です。民家の敷地内に大きな口を開けています。見学当日は、自衛隊方々によって土嚢で補強作業が行われていました。

粟塚古墳群

粟塚古墳の丘

神辺平野の北側丘陵に位置する古墳群で、「粟塚古墳の丘」として整備保存されてます。ほか正福寺裏山1号古墳、狼塚2号古墳も保存されてます。  群中最大の3号墳は、径21m、高さ2.5mの円墳で、幅2m、深さ0.3mの周溝が巡ります。埋葬施設は、粘土槨とされます。築造年代は、4世紀代と推定される。  このほか、5・6・7・8号墳の横穴石室の基底部が保存される。石室規模は、石室長1.7~3.4mと小型となっています。(古墳データ詳細は別掲載)出土遺物は、7号墳で須恵器平瓶、坏が出土している。築造年代は、6世紀後半~7世紀前半と推定。

正福寺裏山1号古墳

粟塚古墳の丘に移築

神辺平野の北側丘陵に位置する古墳群でしたが福山北産業団地の造成に伴って、移築復元され「粟塚古墳の丘」として整備保存されてます。ほか粟塚古墳群、狼塚2号古墳も保存されてます。  墳丘規模は径15mほどの円墳で、竪穴式石室を主体部とします。墳丘中央に正方形の墓壙を掘り込み、長さ2.6m、幅0.7~0.85m、高さ0.8mの竪穴石室中央に7mほどの排水溝を構築しています。また、大量の朱が確認されている。  出土遺物は、連弧文縁四獣鏡が出土しており、希少価値の高い副葬品です。築造年代は、4世紀代と推定される。

狼塚2号古墳

粟塚古墳の丘に移築

神辺平野の北側丘陵に位置する古墳でしたが福山北産業団地の造成に伴って、移築復元され「粟塚古墳の丘」として整備保存されてます。ほか粟塚古墳群、正福寺裏山1号古墳も保存されてます。  墳丘規模は径12mの円墳で、幅2~2.8m、深さ0.4mの周溝が巡っていました。埋葬施設は、花崗岩切石を用いた横穴式石室で、全長5.5m、玄室長さ2.7m、幅1.45m、高さ1.45m、羨道長2.2m、幅1.45~1.5m、高さ1.45mを測ります。  出土遺物は、滑石製管玉、締め金具(馬具)、須恵器が出土。築造年代は、7世紀前半と推定される。

掛迫第6号古墳

竪穴式石室×2

神辺平野の北辺を成す低丘陵上に位置する前方後円墳です。また、円墳との見解も存在する。  墳丘規模は、全長46.5m 後円部径27.5m、高さ7m、前方部長19m、幅12m、高さ2mを測り、前方部を西に向ける。葺石、埴輪、周溝などは認められない。埋葬施設は、後円部墳頂に2基の竪穴式石室が並んで検出される。先行して築かれた北側石室は、合掌式に積み上げた天井で3.3m、幅0.7~1m、深さ1mを測り、南側石室が天井板で3.8m、幅0.5~0.8m、深さ0.7~0.8mを測ります。  出土遺物は、北側石室から人骨、鼉龍鏡、鉄斧、鉄釘が出土。南側石室から歯、径20.5cmの三角縁神獣鏡、ガラス製小玉、硬玉製勾玉が出土する。築造年代は、5世紀初頭と推定される。

山の神古墳

前方後円墳の可能性

神辺平野の北辺、北側丘陵群から派生する丘陵先端部に位置する古墳で、円墳とされて来ましたが前方後円墳の可能性も考えられる。  墳丘規模は、前方後円墳とすると全長37mほどで、後円部径12m、高さ4mを測ります。埋葬施設は、片袖式の横穴石室で、全長6.35m、玄室長4.1m、奥壁幅2.9m、高さ3.3m、羨道長2.25m、幅1.26m、高さ1.25mを測り、側壁を持ち送りドーム型を形成する。  出土遺物は、金銅製丸玉、鉄斧、鉄針、金銅製杏葉、鉄地金張鏡板、雲珠、方形飾金具、土師器、須恵器が出土。築造年代は、6世紀前半と推定される。

二塚古墳

巨石玄室露出

神辺平野の北辺、北側丘陵群から派生する丘陵先端部に位置する古墳で、民家の庭先に横穴石室が露出しています。  露出する石室は、玄室部分の残存となっており、現存長4m、幅2.42m、高さ3.1mを測ります。大型の花崗岩を用いた石室は、玄室部のみでも圧倒され、完存が惜しまれます。  出土遺物は、銅鏡、玉類、耳環、馬具、武器、須恵器などが出土。築造年代は、6世紀末と推定される。
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