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出雲市

西谷墳墓群

四隅突出型墳丘墓

西谷と言う小さな谷を形づくる丘陵上、及びそこから派生する丘陵上に分布する墳墓群で、四隅突出型弥生墳丘墓6基以上、古墳、横穴墓群など計32基から構成される。なかでも弥生時代の四隅突出型墳丘墓は、出雲を代表する個性的な形状をした墳丘墓とされています。現在、1号~6号、9号墳は西谷墳墓群史跡公園「出雲弥生の森」と整備保存され、「出雲弥生の森博物館」が併設しています。  最初に築かれたのは、2世紀後半築造の3号墳となります。墳丘規模は、突出部含むと一辺52m×42m、高さ4.5mで、最大の9号墳(一辺62m×55m、高さ5m)に次ぐ規模となる。墳丘斜面は、貼り石に覆われ、突出部稜線が墳頂への墓道のようになっており独特な形状をしています。  埋葬施設は、8基確認されており、墳頂部に木棺と木槨の二重構造の第1主体部と第4主体部の2基を備えます。出土遺物は、第1主体部で、玉類、壺形土器、器台形土器、坏形土器。第4主体部で管玉、鉄剣、壺形土器、甕形土器、器台形土器、坏形土器などが出土しています。

今市大念寺古墳

版築技術の先行

神戸川と斐伊川に挟まれ、出雲平野を見渡すことができる丘陵先端部に位置する前方後円墳で、前方部を東に向けます。周辺域には、上塩冶築山古墳、上塩冶地蔵山古墳などが位置します。また、神戸川の対岸にも妙蓮寺山古墳、放レ山古墳、宝塚古墳など出雲平野における首長墓の密集地帯となっている。  墳丘は、墳丘長92m、後円部径45m、高さ7mを測り、後円部西から南にかけて平坦面の広がりがみられ、基壇面が確認されている。これらのことから墓域は全長140m以上であったとも推定され、出雲地方で最大規模になります。  墳丘は、ほぼ盛土によって築かれていることが判明し、性質の異なる土を盛ってゆく(版築状)にする土木技術が採用されている。この版築法は、畿内では7世紀頃になって古墳に採用されてきましたが、先行して大念寺古墳に用いられていることで、出雲地域の技術力の高さがわかります。  埋葬施設は、自然石や加工した割石を用いた全長12.8mの複室構造の横穴式石室で、2基の石棺が納められています。奥室には長さ3.3m、幅1.7m、高さ1.89mの横口式家形石棺、前室に長さ1.81m、幅1.08m、高さ0.82mの組合式石棺(基底部のみ)がそれぞれ安置されています。石室の規模、横口式家形石棺の規模は、こちらも出雲地方最大級を誇ります。横口式家形石棺については、全国的に見ても最大級とされる。  出土遺物は、直刀、大刀、鉄鏃、角装刀子、金銅製履、金環、丸玉、槍身、斧頭、馬具、須恵器、円筒埴輪が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。

上塩治築山古墳

山陰地方屈指の被葬者

神戸川と斐伊川に挟まれた微高地に位置する古墳で、多くの煌びやかな遺物が副葬されており、山陰地方屈指の被葬者が推定されている。周辺域には、今市大念寺古墳、上塩冶地蔵山古墳などが位置します。また、神戸川の対岸にも妙蓮寺山古墳、放レ山古墳、宝塚古墳など出雲平野における首長墓の密集地帯となっている。  墳丘は径46m、高さ6.2mほどの円墳で、幅14mの周溝が巡っていました。埋葬施設は、南西方に開口する凝灰岩製の切り石を用いた全長14.6mの両袖式の横穴石室で、大小2基の横口式家形石棺を納められいます。  奥壁側にある小型の石棺には、金銅製冠、金銀装捩環頭大刀、鉤状鉄製品、玉類、金銀装馬具が副葬されていました。その手前、西側の側壁にある大石棺からは金銀装円頭大刀、大刀、銀装馬具、須恵器などが副葬され、双方ともに煌びやで豪華な品が多く出土しています。この他、玄室内から鉄矛、銅鈴、鉄鏃、須恵器が出土。墳丘周囲から円筒埴輪、子持ち壺が検出されています。築造年代は、6世紀末~7世紀初頭と推定される。  石室規模や豪華な副葬品から、大石棺の被葬者は、今市大念寺古墳に続く出雲西部を領域支配した豪族で、山陰地域においても突出した存在であったと推測される。そして、それに次ぐ人物が小石棺に埋葬されたと考えられます。

地蔵山古墳

石棺式石室系

神戸川の右岸、半分城のある低丘陵裾部に位置する古墳です。すぐ西側に県立出雲工業高等学校があります。周辺域には、同年代の大念寺古墳や築山古墳が分布する。  方形状の墳丘には、石棺式石室系の横穴石室が南東方向に開口しています。石室は凝灰岩の切石によって築かれた玄室、前室、羨道部に分かれた複室構造で、刳り抜き式玄門を採用する。そして、玄室内の奥壁側に刳抜式の横口式家形石棺を配置し、その手前に有縁石床を築いています。  出土遺物は、現在のところ不明。築造年代は、7世紀前半と推定される。

妙蓮寺山古墳

新興勢力の台頭

神戸川の左岸、連なる低丘陵の北斜面中腹に位置する前方後円形で、前方部を南に向けます。  墳丘は全長49m、後円部径25m、高さ4.5m、くびれ部幅13m、前方部幅22m、高さ7.5mを測り、後円部が丘陵麓に近い位置にあるため、前方部が3mほど高くなっている。神戸川左岸では最大規模を誇ります。  埋葬施設は、自然石と割石を用いた全長8mほどの両袖式の横穴式石室で、凝灰岩製横口式家形石棺を納めています。玄室床面には拳大の礫を敷き、玄門部には観音開きに閉塞石を据え、羨門部は角礫によって閉塞していたことがわかってます。  出土遺物は、ガラス製丸玉 、金銅製鈴釧、銀象嵌入円頭大刀、刀子、鉄斧、鉄鏃、馬具、土師器、須恵器、円筒埴輪が出土。築造年代は、6世紀中頃~後半とされる。付近には、放れ山古墳、宝塚古墳などが位置しており、新興勢力の台頭が伺えます。

宝塚古墳

横口式家形石棺

神戸川の左岸、妙蓮寺山北西の水田に分布する古墳です。西高入口交差点のすぐ南西に位置します。.  墳丘形状は不明で、埋葬施設は、凝灰岩の切り石を用いた片袖式の横穴式石室を備えます。石室規模は全長7m、玄室長3.6m、幅2.1m、高さ2.5m・横口式家形石棺 長さ2.3m、幅1.5m、高さ1.5mを測ります。また、玄室には長さ2.3m、幅1.5m、高さ1.5mの横口式家形石棺が納められています。  出土遺物は、鉄鏃、円筒埴輪が出土。築造年代は、6世紀末~7世紀初頭と推定される。

放れ山古墳

アーチの美しさ

神戸川の左岸、妙蓮寺山の東側丘陵上に位置する古墳で、切り石で組まれた美しいアーチ状の持ち送りをした石室を見ることができます。墳頂には二又に分かれた立派な桜の木が生えてます。  墳丘は径13m、高さ3mほど小型の円墳で、外表施設は認められない。埋葬施設は、凝灰岩の切石を用いた両袖式の横穴石室で、全長7m、玄室長3.3m、幅1.7m、高さ2m、羨道長2m、幅1.1m、高さ1.7mを測ります。側壁を絶妙な角度でアーチ状に持ち送っており、奥壁を際立たせてます。床面には、3基の区画された屍床が認められます。  出土遺物は、圭頭大刀、金銅装小刀、銀装大刀、刀子、金環、玉類、鉄鏃、馬具、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。

大梶古墳

切り石の石室構造

神戸川の左岸に位置する古墳で、周辺には妙蓮寺山古墳、放れ山古墳、宝塚古墳など横穴式石室を主体部とする古墳が分布しています。  墳丘は流失しており、凝灰岩の切り石を用いた石棺式の石室が露出していました。現在は、一部の露出が確認できる程度でわかりにくいのが現状です。出土遺物は、鉄製品、金環、埴輪、土師器、須恵器が出土。築造年代は、7世紀前半と推定される。

苅山古墳群

A~F支群40基(小阪古墳含む)

神戸川を臨む丘陵上に分布する古墳群で、A~F支群に分かれ前方後円墳3基、方墳4基、円墳32基、不明1基の計40基から構成されます。  A支群は、19・ 20・ 21・ 29号墳が群中最高所に分布しています。主墳と考えられる19号墳は、全長29.3m、高さ3.4mを測り、埋葬施設は不明。  丘陵中腹のB支群(1・2・ 3・ 4・ 5・ 6・ 7・ 8・ 9・ 10・ 11・ 13・ 17・ 31・32号墳)とその麓に近い尾根上に位置するD支群(12・14・16・40号墳)は、群中でもっとも多くの古墳が密集しています。1号墳は、全長31.8m、高さ3.1mの前方後円墳で、群中最大規模となる。4号・5号墳では、横穴式石室が開口しており、家形石棺が納められていました。出土遺物は、4号墳で鉄刀、銀環、須恵器、5号墳で円頭太刀、鉄鏃、刀子、鉄斧、馬具、銅釧、金環、玉類、砥石、須恵器など多くの遺物が出土している。  C支群は、丘陵麓に近い尾根上に比較的に小型の円墳(30・35.36.37.38.39号墳)が分布しています。  E支群は、B・D支群から谷を隔てた北西側に22・23・24・25・26・27・28・33・34号墳の円墳群が分布します。なかでももっとも麓近くにある28号墳は、切石を用いた横穴式石室を備えており、石櫃が納められています。出土遺物には蕨手刀が出土しており、後世に何らかの理由によって再利用されたと考えられる特異な古墳です。  F支群は、古墳群の東端に分布する方墳2基で構成されます。埋葬施設や出土遺物などは不明。  当古墳群は、まず始めにA支群またはF支群から築造が始まり、6世紀後半以降にB支群、 C支群、D支群、E支群が相次いで築かれ、7世紀中頃には終焉を向えたと考えられます。

半分古墳+横穴墓

ウイリアム・ガウランド

神戸川を望む低丘陵の斜面中腹に位置する前方後円墳で、前方部を南西に向ける。丘陵全体は、出雲国守護塩治氏が城主であった半分城となっています。ほか丘陵麓に近い斜面には、かつて100穴を超えるほどの横穴墓があったとされている。  墳丘は、改変が著しく復元推定で全長40m、後円部径20m、高さ(東側2.5m、西側4.5m)を測ります。主軸を丘陵斜面にほぼ直交しており、墳丘の多くを盛土によって構築している。  埋葬施設は現在埋め戻されており、伺い知ることができないが、ウイリアム・ガウランドの調査報告によると自然石を用いた横穴式石室とされている。そして、組合式石棺が2基納められていました。  出土遺物は、銀環、馬具、銅鈴、玉類、須恵器などが出土している。

布子谷古墳

切り合わせの美

斐伊川の右岸、立栗山の南斜面中腹に位置する古墳で、小型の横穴式石室が開口する。  石室は石棺に近い形状をしており、切り石を組み合わせている。切り石積みの接合部においては、大変にきれいに加工されていて、工人の技術の高さが伺えます。(古墳までの道のりメモに記載)

国富中村古墳

未盗掘!

斐伊川の左岸、旅伏山の東麓に位置する古墳で、東西を低い丘陵に挟まれる谷の出口付近に位置します。石室が未盗掘で発見され、その後の調査により葬送儀礼のあり方を知ることのできた古墳です。  墳丘は、径30m、高さ4.5m以上とされる円墳で、横穴式石室を主体部とする。石室は両袖式の横穴式石室で、羨道・前室・玄室とに分かれる複室構造を成し、全長9.3mを測ります。玄室には、左右の側壁に灯明石を備えた組合式の家形石棺が納められており、前室には組合式石棺が納められていました。  出土遺物は、玄室から珠文鏡、金銅製鈴、太刀、金環、鉄鏃、ガラス製勾玉、馬具、須恵器が出土。組合式家形石棺内から須恵器が出土。前室から太刀、鉄鏃、刀子、馬具、須恵器が出土。組合式石棺内から銀環、太刀、馬具が出土する。築造年代は、6世紀末~7世紀初頭と推定される。  未盗掘の石室からは、埋葬後に2度にわたって石室内に入り、棺蓋を破壊して遺体を棺外へ出し、集骨を行い、須恵器、鉄鏃、馬具などを玉砂利の中に埋めたり、鈴においては土砂上に散布するなど副葬品の再配置が行われたことがわかっています。これらの行為は、「古事記」や「日本書紀」などに記載されている「モガリ」、死後の世界での飲食を表現した「ヨモツヘグイ」、閉塞儀礼とされる「 コトドワタシ」の葬送儀礼にあたると推定されます。すなわち飲食物の容器である土器などは「ヨモツヘグイ」の表現とし、副葬品や人骨の再配置を「コトドワタシ」として考えられます。(詳細はメモに別記載)  このように古代における葬送儀礼について理解を深めることができた未盗掘の当古墳は、貴重な存在と言えます。

出西小丸1号墳

陽刻の閉塞石

斐伊川の右岸、仏経山の西麓に位置する古墳で、同丘陵上に栖雲寺山古墳や後谷町道脇古墳が分布しています。出西一帯は郡家の置かれた出雲郷に比定され、郡司及びそれに準ずる勢力を有した被葬者が推定されます。  墳丘は、径10mほどの円墳で、横穴式石室を主体部とする。玄室は、数枚の切り石を用いて築かれ、玄門に閉塞石をはめ込む形式をとっており、石棺式石室と類似している。そして羨道部は小型の切り石をレンガ状に積み重ねています。さらに閉塞石には、宍道湖周辺に多く見られる陽刻を見ることができます。現在はコケなどが生えており、わかりにくいのが現状です。  出土遺物は、出雲型の子持壺が出土。築造年代は、7世紀代と推定される。

後谷町道脇古墳

石棺式石室が露出

斐伊川の右岸、北東に突き出た栖雲寺のある同丘陵麓に位置する石棺式石室を主体部とする古墳です。現状、 刳り貫かれた石室の一部が露出しています。同丘陵上には、栖雲寺山古墳や出西小丸古墳が分布しています。

上島古墳

出雲最古の家形石棺

斐伊川の左岸、旅伏山の東側麓近く位置する古墳です。  墳丘は、径15m、高さ2mほどの円墳で、東西に主軸をもつ二つの埋葬施設が確認されています。一つは、長さ1.85m、幅0.7m、高さ0.7mほどの竪穴系石室、もう一つは、内法長1.83m、幅0.69mほどの凝灰岩を用いた刳り貫き型の家形石棺が浅く納められていました。石棺は出雲地方最古級とされ、双方の異なった埋葬形態が同墳丘に築かれる稀有な存在となる。  出土遺物は、石室から玉類、銀環、五鈴鏡、鈴釧、鉄刀、刀子が出土。石棺から鉄鏃、馬具が出土する。鈴鏡、鈴釧の出土例はこちらも山陰地方で貴重な存在となります。築造年代は、6世紀中頃と推定される。

武部西古墳

石仏2体安置

荒神谷遺跡の西側、出雲ロマン街道から南に入った溜池北側に位置する古墳です。すぐ北側の出雲ロマン街道沿いには、掘立柱建物が見つかった武部西遺跡があります。  古墳前には白い標柱が建っており、横穴式石室が南側に開口する。切り石で築かれた横穴石室は、整った印象を持ち、奥壁側に2体の石仏が安置されています。

貴船古墳

水田に露出

斐伊川の右岸、仏経山の北側麓の水田に残る古墳で、横穴式石室が露出しています。水田の中にポツンと残っているので、遠くからでもすぐ見つけることができます。

大寺古墳群

出雲で最も古い

斐伊川の左岸、旅伏山の南麓丘陵端部に分布する古墳群で、大寺薬師の北側に位置します。  1号墳は、全長52m、後円部径22m、高さ6m、前方部幅12m、高さ3mの前方後円墳で、柄鏡型の形状を成し、葺石が認められています。埋葬施設は、長さ4m、幅0.8m、深さ0.7mの竪穴式石槨に割竹型木棺が納められていました。  出土遺物は、鉄鍬、鉄斧、碧玉製勾玉が出土。なかでも鉄製鍬先は、幅17㎝を測り、古墳時代のものとして国内最大となります。築造年代は、4世紀後半と推定され、出雲地方最古級とされる。  2号墳は、1号墳後円部に設計して築かれたものだが、切り石積みの横穴石室の基底部が露出した状態となっており、墳形は不明です。

山根垣古墳

切石の数段積み

西郷町山根の徳雲寺が位置する低丘陵山裾にある古墳です。  墳丘は、一辺10mほどの方墳で、両袖式の横穴石室を主体部とします。比較的に大き目な切り石を数段に積み上げ、奥行2.7m、幅1.5m、高さ1.52mを測ります。  出土遺物は、金環、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。
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