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長浜市

長浜市

村居田古墳

敏達天皇息長広姫の陵墓

横山丘陵の北部、東側の麓に位置する前方後円墳とされ、第30代敏達天皇息長広姫の陵墓に治定されている。また、光運寺本堂南に陪塚1基が位置し陵墓参考地とされている。  光運寺本堂改修の際に石槨と家型石棺が発見されました。家型石棺は、長さ2.19m、幅1.07m、高さ0.48mを測ります。さらに光運寺本堂裏の基壇石垣改修工事の際に円筒埴輪や墳丘の一部が確認される。  出土遺物は、宝冠、大刀、鏡が出土。築造年代は、5世紀末と推定される。円筒埴輪と石棺の年代は、ほぼ一致することがわかっており、息長広姫の6世紀後半の時代とは年代差があることが指摘されています。

上寺地古墳・岩田山古墳群

横山古墳群

上寺地古墳は、前方後円墳の垣籠古墳に隣接して存在した円墳です。現在は、道沿いの金網に表示板があるのみとなっている。  岩田山古墳群は、梶原古墳が位置する横山丘陵頂部中央から西側に派生する尾根先端部に分布する古墳群です。前方後方墳1基、円墳1基、方墳1基の3基から構成される。  1号墳は、全長46.5m、後方部長23m、くびれ部幅13m、前方部長24m、前端幅13mの前方後方墳です。2号墳は、19.5m × 16mの方墳です。3号墳は、径28m~30mに円墳です。いずれの墳丘も削平され、わかりにくいのが現状です。

垣籠古墳

横山古墳群

横山丘陵頂部に分布する堂の山古墳群の西側麓に位置する前方後方墳です。墳頂部には、両岐王宮が鎮座しています。  墳丘規模は、全長60mを測り、周溝を含めると80mを超えます。墳丘には、円筒埴輪、段築を備えます。埋葬施設は、横穴石室と考えられてます。  出土遺物は、鉄製矛、花形金具、勾玉、管玉、粒玉、漢鏡、直刀、鉄剣、不明鉄棒、須恵器が出土。築造年代は、5世紀後半と推定されます。

龍ヶ鼻古墳群

横山古墳群に属す

横山丘陵の北東端に位置する茶臼山古墳から南東方向に上がった尾根上に連なる古墳群で、方墳2基、円墳2基、前方後方墳1基から構成されます。5号墳の円墳は消滅しているが、1号墳から4号墳まで、北東から南西に密集して築かれています。  1号墳は、全長44.4m、後方部23m×21m、前方部長21.3m、前端幅11m、くびれ部幅9mの前方後方墳です。2号墳と4号墳が方墳、3号墳が円墳とされ、15m~17mほどの規模となります。  姉川の合戦の際に砦とされたせいか、墳丘はかなり低く表示板がなければ、わかりにくいのが現状です。

茶臼山古墳

横山古墳群

姉川の左岸に突き出た横山丘陵の北端部に位置する自然地形を利用して構築された前方後円墳で、横山古墳群に属します。  墳丘規模は、全長95m、後円部径55m、高さ9.7m、前方部長40m、高さ4.2mを測り、湖北最大規模を誇る。墳丘には段築、葺石、円筒埴輪を備えます。段築は、2段築成で幅2mほどですが、左右くびれ部は広いテラスとなっている。築造年代は、4世紀後半と推定。

山ヶ鼻古墳

横山古墳群

横山丘陵の北側頂部に分布する龍ヶ鼻古墳群の西側尾根先端に位置する前方後円墳です。  墳丘規模は、全長41.7m 後円部径20~ 21m、くびれ部幅10.5m、 前方部長21m、先端部幅13.5mを測り、葺石、埴輪を備えていました。後円部の墳頂部には、盗掘抗が確認されている。出土遺物は、墳丘から円筒埴輪の他に須恵器が出土する。

神塚古墳・西山古墳

横山古墳群

西山古墳は、横山古墳群の最北部に位置する前方後円墳の茶臼山古墳の西側麓に分布した円墳です。道沿いに表示板が立ってます。  神塚古墳は、横山古墳群の西側麓、総山古墳群と山の鼻古墳との間の田んぼに位置した方墳です。表示板があって、区画が一部残っている程度となっています。

総山古墳群(オサキ山)

横山古墳群に属す

横山丘陵頂部にある堂の前古墳群の西側麓に分布する3基から成る古墳群です。  墳丘規模は、径14m~16mほどの円墳ですが、現状はかなり削平され小さくなっている。

丸子山古墳群

横山古墳群に属す

横山丘陵の頂部に位置する北平古墳から北西方向に派生する尾根先端部に位置する4基の古墳群です。  1号墳で、径26mの群中最大の円墳となります。2号墳~4号墳は、径7m~13mほどの円墳で麓に群集しています。

犬飼・坂南・北平・梶原古墳

横山古墳群

堂の前古墳群から尾根伝いに南方向に犬飼古墳(円墳)・坂南古墳(前方後円墳)・北平古墳(円墳)・梶原古墳(不明)が間隔をおいて連なります。  いずれの古墳も表示板のおかげで認識できる状態ですが、湖北を見渡せる大変に景色が良い所です。

堂の前古墳群

横山古墳群に属す

横山丘陵の北部最高所に位置する前方後方墳2基、方墳1基から成る古墳群です。付近には、神代文字が刻まれる舟岩があります。  墳丘規模は、1号墳が全長51m、後方部29m×22m、くびれ部幅14m、前方部長25m、前端幅14mの前方後円墳で、群中最大規模となる。2号墳が、26.3m×24mの方墳で1号墳の南に位置する。3号墳が、全長31.5m、後方部18.5m、くびれ部幅8.7m、前方部長13m、前端幅9mの前方後方墳で、最も北側に位置する。

小倉古墳群

横山古墳群に属す

茶臼山古墳や龍ヶ鼻古墳群から南に行った横山丘陵上に位置する前方後円墳が南北に2基並びます。北側に2号墳、南側に1号墳が分布し2基で古墳群を形成しています。  墳丘規模は、1号墳で全長50m、後円部径30m、くびれ部幅10m、前方部長12m、前端幅17mを測り、2号墳で全長25m、後円部径13m、くびれ部幅7m、前方部長18m、前端幅8mを測ります。いずれも墳丘上が散策コースになっているせいか墳丘が低く、表示がなければ通常のアップダウンと思って通り過ぎてしまう程になっています。

墓立古墳

横山古墳群に属す

長浜市東上坂町にある社会福祉協議会通所介護事業所 東部デイサービスセンター入り口付近に残る円墳です。  径30mほどの円墳ですが、墳丘が流失し、横穴式石室の石材露出しています。詳しい調査が行われていない為、他詳細は不明です。

西塚古墳

横山古墳群に属す

滋賀県長浜市堀部町、丸岡塚古墳群の北東、北山塚の南西に位置する前方後円墳で、横山古墳群に属します。南西端の丸岡塚古墳群から北東方向に横山丘陵麓の八幡神社、丘陵上の八幡神社を結んだ線上に古墳が一直線に連なります。  墳丘規模は、全長29mほどの小型の前方後円墳で、北西に前方部を向けます。詳しい調査が行われていない為、ほか詳細は不明。

神輿塚古墳

横山古墳群に属す

滋賀県長浜市堀部町、丸岡塚古墳群の北東、北山塚の南西に位置する前方後方墳で、西塚古墳に隣接します。南西端の丸岡塚古墳群から北東方向に横山丘陵麓の八幡神社、丘陵上の八幡神社を結んだ線上に古墳が一直線に連なります。  墳丘規模は、全長46.5m、後方部23m、くびれ部幅13m、前方部長さ24m、前端幅13mを測り、前方部を北西に向ける。前方部と後方部との比高差は、1.5mとなります。詳しい調査が行われていない為、他詳細は不明。

北山塚古墳

横山古墳群に属す

滋賀県長浜市堀部町、西塚と神輿塚の北東に位置する円墳で、横山古墳群に属します。南西端の丸岡塚古墳群から北東方向に横山丘陵麓の八幡神社、丘陵上の八幡神社を結んだ線上に古墳が一直線に連なります。  墳丘規模は、径20m程とされますが、前方後円墳の可能性も指摘されている。墳頂に小さな社殿が鎮座しています。埋葬施設は、横穴式石室で露出しています。  出土遺物は、直刀、土器が出土。

丸岡塚古墳群

横山古墳群に属す

長浜市堀部町、長浜市立東中学校北側の畑の中に残された径10m程の円墳3基から成る古墳群で、横山古墳群に属します。広大な畑の中の森となっているのが現状です。詳しい調査が行われていない為、他詳細は不明です。

唐川宮山古墳群

湧出山の南麓に分布

独立丘陵湧出山の南の麓に分布する古墳群で、大きく東西2支群に分けて区分される。  東側に位置する1号墳は、横穴石室の奥壁側が残っている。手前には、石室石材が散乱し、状態は良くないが石柱が立っているので発見しやすい。  西側に位置する3号墳は、民家裏に両袖式横穴石室が開口し、全長6.2m、玄室長3.7m、幅1.4m、羨道長2.5m、幅1.1mの背の高い立派な石室です。湧出山登山道に説明板があり、その下側斜面に開口する。  出土遺物は、銀象嵌直刀、釘、耳環、須恵器が出土。築造年代は、6世紀末~7世紀初と推定される。

松尾宮山古墳群

はるばる運ばれた棺

磯野山の南麓、サイト山丘陵南斜面に分布する古墳群で、3基ほどから構成される。現在は1号・2号墳の2基のみが残ります。  1号墳は、丘陵中腹に位置する東西17m、南北13mの長方形で、2段築成、外護列石が2段に巡ってます。埋葬施設は、南に開口する無袖式横穴式石室で、刳抜式家形石棺が安置され、兵庫県の竜山産と推測される。また、右側壁側には木棺が安置されていて、追葬が行われたと考えられる。副葬品は、耳環類、玉類、鉄製品、大量の須恵器が出土。築造年代は、7世紀前半~7世紀中葉と推定される。  2号墳は、1号墳の下方に位置する円墳で状態はあまりよくない。墳丘規模は径10mほどを測り、片袖式横穴式石室を備えます。組合式箱式石棺が安置され、奈良県の二上山産と推測される。副葬品は、鉄鏃、馬具、須恵器、土師器甕が出土。築造年代は、6世紀末~7世紀前半と推測され、1号墳に先行すると考えられる。

湧出山古墳群

C地区に高地性集落

高月町唐川の湧出山(ゆるぎやま)に分布する古墳群で、前方後円墳1基、円墳5基、方墳6基の計12基から構成され、A・B・C・D・Eの5支群に区分される。  A支群は丘陵の東端に円墳1基単独で存在する。北陸自動車道の関係で調査が行われ径12.4m、高さ0.4m~1.6mを測り、埴輪が確認されている。埋葬施設は、長さ2m、幅0.6mの割竹型木棺とされる。出土遺物は、珠文鏡、鉄刀、刀子、玉類、須恵器などが出土。  B支群は、全長35m、後円部径23m、高さ5m、前方部長17m、高さ4.3~5.8mの前方後円墳1基と径10~15mほどの円墳が3基連なる。  C支群は、現状16×13m、高さ0.5mの長方墳がB支群よりに1基あり、埋葬施設は二段の墓壙(下段木棺直葬)となっている。出土遺物は、鉄剣、刀子、鉄鏃、鉄斧状鉄器、鉄針状鉄器が出土。そして、墳丘盛土内、墓壙埋土内にて弥生時代中期後葉の土器、石器類が出土する。盛土下層でも同時期の遺構が検出。範囲を広げB支群、C支群周辺でも土器片が出土した。調査での竪穴遺構、段状遺構、ピット等は住居跡と推測され、湖北平野部を望める好立地、北陸との交通要衝の地という遺跡の性格上から高地性集落と位置づけられます。  D支群は、C支群よりに一辺20mほどの方墳が位置し、茶臼と呼ばれる。そして、西側へ一辺14~17m、高さ0.5~2mほどの方墳が4基連なり、計5基の方墳群となる。  E支群は、径14m、高さ0.2m~3.5mほどの円墳で、南に突き出す尾根上に単独で存在する。

姫塚古墳

前方後方墳と判明

余呉川左岸の沖積地に位置する前方後方墳で、以前は前方後円墳と考えられていました。細長く低い前方部が田園のなかに延び浮かんでます。別名「へい塚」とも呼ばれる。  墳丘規模は現存70mで、本来は80mほどの墳丘に葺石、周溝が巡っていました。前方後方墳としては県内最大規模を誇ります。埋葬施設は、不明。築造年代は、墳形、葺石などから4世紀代と推定されます。

父塚古墳

7世紀以降の集落発見

長浜市高月町東阿閉、姫塚からほど近い南側に位置する円墳と考えられていましたが、前方後円墳の可能性が高まり、さらに、7世紀以降の集落跡が発見されました、  1992年の調査によって墳丘北側を調査したところ、周溝と掘立柱建物と竪穴式住居跡が検出。周溝は、全周せずに土橋または前方部の可能性が指摘され、前方後円墳であれば全長60m、後円部径40m以上、周溝幅17-18mを測ります。周溝下層からは、土器類、周溝外から古墳時代前期の土壙墓が確認されてます。  築造年代は、古墳時代前期まで遡る可能性が高くなります。

横山神社古墳

横山神社が鎮座

西野山丘陵東麓の平地、田園の中の緑に包まれた横山神社境内に当古墳は位置します。  墳丘規模は、全長約36m、後円部径21m、高さ2.3m、前方部前端幅15m、高さ1.75mの前方後円墳で、前方部を西に向けます。葺石、埴輪、周溝は認められない。埋葬施設は、後円部南に石塊から横穴石室と考えられます。築造年代は、6世紀頃と推定される。
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塚原古墳群

64基の群集墳

長浜市醍醐町、土器類や石器類が出土した紀元前約4500年~4000年前の縄文時代中頃の遺跡跡がある東側に分布する64基から成る古墳群です。  13号墳で、横穴石室が開口する円墳を見ることが出来ます。小型の石室ですが、持ち送りが良く見ることが出来ます。

若宮山古墳

湖北の古式前方後円墳

山本山の小丘陵上、南西端高所に位置する前方後円墳で、湖北地方で最古級とされる。  墳丘規模は、全長50m、後円部径32m、高さ5m、前方部幅20m、くびれ部幅16.5m、高さ2.5mを測り、柄鏡型を呈する。また、2段築成、円筒埴輪を備えます。  埋葬施設は、割石が確認できることから後円部墳頂に、竪穴系の石室があると推測されます。現状でも薄っすらと陥没するのが伺えます。築造年代は、4世紀前半と推定される。

尾上の石棺

今西集落付近から出土

長浜市湖北町尾上、相頓寺の鐘楼の土台に石棺の底石が立てかけられています。  組合式石棺で今西集落付近から出土して、相頓寺に持ち込まれたと伝わる。花崗岩製の石材を用いた石棺は、長さ2.2m以上、幅1.2mを測ります。どこの古墳から出土したのかは不明。
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