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足利市

足利公園古墳群

最初の学術調査が行われた地

近代日本において、坪井正五郎によって初の発掘調査が行われた古墳群で、両崖山から延びる丘陵の南端に位置します。20基ほどから成る古墳群で、前方後円墳墳1基を含み、他は全て円墳である。現在は、足利公園として整備保存されてます。

小曽根古墳群(永宝寺古墳)

無袖の横穴石室開口

小曽根古墳群に属する2基の前方後円墳のひとつで、浅間山古墳の東方、永宝寺の境内に位置しています。  墳丘は、前方部を南西に向けた全長66mの2段築成の前方後円墳で、前方部前端部で周溝が確認されてます。現状は、墓地の造成などによってかなり削平されています。埋葬施設は、後円部に全長6.7mの無袖型の横穴石室が開口し、玄室と羨道との区切りに60cmの段差が設けられています。奥壁は1枚、側壁はチャート割石の乱石積みで細長い印象の石室です。  出土遺物は、玉類、馬具、武器、埴輪、須恵器が出土。築造年代は、6世紀の後半と推定。

小曽根古墳群(浅間山古墳)

県内最古級の埴輪

矢場川の左岸、沖積大地上に分布する前方後円墳2基と円墳2基から構成される小曽根古墳群に属します。  浅間山古墳は、全長58m、前方部高さ3m、後円部高さ7m、後円部と前方部の高低差が大きく、短い前方部となる。  出土した円筒埴輪は、口縁部は受皿状、縦のハケ目、方形や巴形の透かしを有し、県内最古級と思われます。出土埴輪や墳丘形状から古墳時代前期の前方後円墳と推定。当古墳の東、永宝寺境内には同古墳群である前方後円墳の永宝寺古墳があって、道路挟んだ南東には3号墳、4号墳が位置します。

機神山古墳群

市内見渡す織姫公園に分布

渡良瀬川の左岸、足利市内に突き出した機神山に分布する古墳群で、2基の前方後円墳を含む26基から成ります。中腹には織姫神社が鎮座し、神社自体も古墳であったようです。  山頂には、全長36mの前方後円墳の機神山山頂古墳があって、2段築成の葺石、埴輪を備えます。主体部は無袖式の横穴石室が南に開口する。現在は、東北大震災の影響で見学が出来なくなってます。  北東尾根上には、全長38mの前方後円墳の行基平山頂古墳あって、墳丘には埴輪が並べられていました。唯一石室が見ることが出来たのは、横穴石室の一部が露出している17号墳です。古墳群は、織姫公園として整備され見学しやすくなってます。

羽黒古墳

良好なチャート割石の石室

六之丞八幡宮の南東、丘陵南斜面に横穴石室が南向きに開口する。  径13.5mの円墳で、チャートの割石で積まれた両袖式の横穴石室は、石室全長6.9m、玄室長4.35m、幅1.8m、奥壁1.3m、高さ1.9m。 羨道長2.2m、幅1.0~1.3m、高さ1.1mを測ります。規模は大きくありませんが、良好な石室が残ってます。

瓢塚古墳

尾根カット!

小俣川上流、南北に派生した尾根をカットして造られた帆立貝式前方後円墳で、かなりの山間部に位置します。  墳丘規模は、墳丘全長42m、後円部径26m、高さ7m、前方部長12m、幅6m、高さ5.0~5.5mを測り、前方部を南(斜面上部)に向ける。現地では、尾根をカットした前方部の形状がよくわかります。  埴輪片、須恵器片が確認されていたようですが、他詳細は不明です。

藤本観音山古墳

全国5番目の規模

矢場川の右岸、沖積台地上に築造された前期の前方後方墳で、前方部を北西に向ける。現状は、くびれ部が大きく削り取られる。  墳丘規模は、全長117m、後方部幅58m、高さ10m、前方部前端幅42m、高さ4m、周溝幅40m、深さ1.0-1.2mを測り、周溝を含めると210mを越え、全国5位(東日本2位)を誇ります。  埋葬施設は、竪穴系と考えられます。周溝内からは、二重口縁壺、S字状口縁台付壺、甕、坏、器台が出土。築造年代は、4世紀中頃と推定。

丸山古墳

ひっそり残る

松田川の東、大前町の自性院の敷地内にある古墳で、奥書院のある駐車場横にひっそりと墳丘があります。  低い墳丘で、なかなか古墳とは気が付かないでしょう。山門から奥書院に上がるよりは、直接裏に行く道があるので、そちらの方が近道です。

明神山古墳群

独立丘陵の群衆墳

独立小丘陵の明神山の頂部から南斜面にかけて分布する前方後円墳1基、円墳33基から成る古墳群です。現在は、相当数が失われ、状態の良いものは少なく、わかりやすいのは山頂部の1基、民家脇に横穴石室が開口するのが1基、麓の擁壁間に3基保存されています。  墳丘は、径10m~30mの円墳で高さ3mほどで、葺石、埴輪が確認されています。古墳群の標柱、説明板は、北側のR40(足利環状線)沿いの擁壁上にあります。

八幡山古墳群

かつては100基超

足利市立山辺小学校の裏山、八幡山の南斜面に分布する94基からなる古墳群です。かつては100基を越えていたと思われ、現在は憩いの森として整備され73基が残ってます。  墳丘は、10m~30mほどの円墳で、川原石の葺石、埴輪が並べられていたと考えられます。埋葬施設は、横穴石室と思われ、小学校近くで唯一石室が露出したものが確認出来ました。  副葬品は、耳環、鉄鏃、人骨などが出土。築造年代は、6世紀後半~7世紀代と推定される。

助戸山古墳群(3号墳)

唯一の前方後円墳

渡良瀬川の左岸、17基から成る助戸山古墳群の一つで、定年寺の墓地裏の丘陵に位置するのが郡中唯一の前方後円墳である3号墳となります。  墳丘は、全長27.5mで2段築成、テラスには円筒埴輪が並べられていました。前方部側からは須恵器の大甕が円筒埴輪列の間に確認されてます。埋葬施設は、全長7m以上の無袖式横穴石室で陥没の跡が残ってます。  出土遺物は、直刀、象嵌鍔、鉄鏃、金銅製耳環、ガラス製勾玉、小玉、環状鏡板付轡、人骨が出土。築造年代は、6世紀後半~7世紀初頭と推定。

口明塚古墳

別名「クチア塚古墳」

袋川の左岸、沖積台地上に位置する円墳で常見古墳群に属します。山麓に位置する古墳が多いなか、平地に立地し、現在は復元整備され公園化しています。  墳丘は径45m、高さ5m以上で3段築成、2段目斜面には葺石が施され、埴輪が並んでいたと思われます。墳丘周囲には幅8mほどの周溝が巡っていました。埋葬施設は、南に開口する両袖式横穴石室で、推定全長8.7m、玄室部長5.4m、幅2.7m、高さ2.5mを測り、チャート石を利用した奥壁は1枚、側壁は割石の乱石積みで持ち送りが確認できます。出土遺物は、未確認。築造年代は、6世紀末と推定。

海老塚古墳石室

市内最長石室

この石室は、東方450mにあった海老塚古墳のもので区画整備の為、この山川公園内に移築されました。  墳丘規模は、径53mを測り周溝が巡る2段築成の円墳でした。現在は、石室の基底部が移築されている。石室は、全長9.1m、最大幅2.7m、高さ1.5mの全長9.1m、最大幅2.7m、高さ1.5mでチャート石を使用し、市内最大規模を誇る。  出土遺物は、丸玉、桂甲小札、雲珠、金銅製鈴、長頸瓶などが出土。築造年代は、6世紀後半と推定。同公園内には、口明塚古墳も整備保存されています。

正善寺古墳

墳丘上に本堂

渡良瀬川の左岸、低い台地上に位置する前方後円墳で、開口する横穴石室には観音像が安置されております。前方部と後円部を分断するように墳丘上にはお寺の本堂が建っています。  墳丘規模は、全長88m、後円部径32m、高さ5m、前方部幅38m、高さ約4mを測り市内最大級となる。後円部には、南に開口する全長7.5mの両袖式横穴石室が開口します。築造年代は6世紀の後半と推定。

中日向古墳群

15基を越える古墳群

高松町から瑞穂町にかけての台地上に分布する15基ほどを数える古墳群です。赤城神社周辺では、その一部の前方後円墳2基、円墳3基が残ってます。  赤城神社の墳丘が前方後円墳となる1号墳で、全長50-60mを測り、幅3.7~5mの周溝が確認されている。後円部墳頂には社殿が建ち、前方部は削平されている。2号墳は、前方部を東南に向ける前方後円墳で、姥川沿いに位置し、全長35mを測り、1号墳に後続して築造されたと思われます。3号墳は、径27mほどの円墳、4号墳は、径15mほどの円墳、5号墳は、径22mほどの円墳となります。

高松天神山古墳

方墳?

高松自治会館の西側に位置しており、高松古墳群を形成している。現状は、道路の擁壁で墳丘は削平され、墳頂には、社が鎮座しています。  墳丘は、一辺30m、高さ4.5mほどの方墳とされています。他詳細は不明です。
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羽刈観音山古墳

県境に位置

矢場川に合流する支流沿いに残る全長38mの前方後円墳で、西原集会所横に残ってます。後円部墳頂には、観音様が祀られています。  標柱は、古墳群となってますので、探せば他にも墳丘がみつかるかもしれません。他詳細は不明。
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