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宇都宮市

稲荷古墳群

集落跡も確認

宇都宮市街から南西方向、姿川の右岸の狭い丘陵上に分布する古墳群で、前方後円墳1基、円墳3基から構成されます。  1号墳は、円墳ですが墳丘は流失し横穴石室の基底部が露出してます。3号墳、4号墳は、いずれも円墳で、低い墳丘が残る。主墳である2号墳は、全長32.5mの前方後円墳で葺石が確認され、墳丘裾部には埴輪が巡らされていました。主体部は、未調査ですが横穴石室と考えられてます。築造年代は、6世紀末と推定。  当古墳群から南西1kmほどの聖山公園遺跡では、古墳群築造に携わった人々の集落跡が確認されています。

高山古墳

埋め戻される

山田川右岸、田原街道と山田川が交差する西側丘陵の先端に分布する古墳で、横穴石室の基底部が露出していました。現在は、震災の影響か埋め戻され石材の一部が露出しています。  石室規模は、玄室長4.8m、奥幅1.56m、玄門幅.0.65m、奥壁高さ1.67m、奥壁は凝灰岩、側壁は割石を平石積みに持ち送る。築造年代は、6世紀代と推定。

瓦塚古墳群

40基を越える古墳群

宇都宮市豊郷台に接する丘陵上西側に分布する古墳群で、前方後円墳1基、円墳40数基から構成されます。現在は、宅地造成によって南東斜面の円墳群は消滅し、瓦塚(前方後円墳)と円墳20基ほどが残る。  瓦塚古墳は、全長50mほどの前方後円墳で2段築成の墳丘に、葺石、埴輪が確認されている。墳丘北西側には、周溝跡が良く残る。  埋葬施設は、横穴石室が設けられ、副葬品に武器、装身具、馬具、土師器、須恵器などが出土。築造年代は、6世紀後から7世紀代と推定。

谷口山古墳

未盗掘石室

田川が丘陵部から広大な沖積地に流れ出る開口部、西側丘陵先端に位置する円墳で、6基から成る谷口山古墳群を形成する。(瓦塚古墳群の一支群と捉える考え方もある)同丘陵にあるインマヌエル教会の駐車場整備工事の際に石室が発見された。  墳丘規模は、径29m, 高さ3.6mで、周溝を備えます。埋葬施設は、南に開口する砂質凝灰岩の割石積みの片袖型横穴式石室で、床面には方形の板石が12枚敷かれている。  未盗掘の横穴石室からは、人骨3体分、直刀、鉄鏃 、耳環、ガラス製小玉が出土。築造年代は、6世紀の後半と推定。

砥上神社古墳

切石積みの横穴式石室

姿川左岸の段丘上に位置し、現存5基から構成される下砥上古墳群を形成する。墳頂には砥上神社の社殿が建つ。別名「愛宕神社古墳」とも言われる。  墳丘は、径24.5m、高さ5mの円墳です。埋葬施設は、南に開口する両袖式横穴式石室で、全長4.95m、玄室長3.65m、幅1.85m、高さ1.9m、羨道長1.3mを測り、凝灰岩の切石を用いた整った印象をもつ石室です。  出土遺物は、確認されていない。築造年代は、7世紀前半頃と推定される。

戸祭大塚古墳

昭和40年の珍事

田川の右岸、宇都宮丘陵の南端に位置する大型円墳で、周溝を含む規模は、径70m近くなります。  古墳は、昭和40年に市内の某氏によって石室が破壊される盗掘事件にあっており、復元工事の際に緊急調査が行われました。  墳丘規模は、径53.4m、高さ6.2mを測り、2段築成で北西から東側にかけて周溝が確認されている。盗掘を受けた横穴石室は、全長5.17mで、砂質凝灰岩の平石積みの奥壁1枚、天井部3枚で覆われる。  出土遺物は、石室壁際に直刀が確認され、少なくとも追葬が2回以上行わている。築造年代は、6世紀の末と推定。

権現山古墳

北山古墳群

田川の左岸、宇都宮丘陵北部の尾根上に位置する北川古墳群に属します。古墳群は、瓦谷町と岩本町にかけて分布しており、北山霊園に隣接してます。3基の前方後円墳と5基の円墳から構成される。  そのうち最初に築造されたのは、前方後円墳の権現山古墳で丘陵の最南端に位置する。前方部を南西方向に向け全長40m、後円部径22m、高さ3m、前方部前端幅20m、高さ2mを測ります。墳丘には葺石が確認され、円筒埴輪、馬形埴輪も出土する。   埋葬施設は、南東方向に開口する無袖式の横穴石室で、全長8.05m、玄室長5.05m、奥壁部幅1.25m、羨道長3m、最大羨道幅0.88mを測り、かなり細長い印象の石室となっている。奥壁は、凝灰質砂岩の割石、側壁には、凝灰岩の割石を乱石積みにする。当古墳の石室は、栃木県における横穴石室導入期におけるものと考えられます。築造年代は、6世紀の前半と推定。

雷電山古墳

北山古墳群

北山古墳群に属し、権現山古墳の北方、丘陵尾根の東端部に位置する前方後円墳です。  墳丘規模は、全長41m、後円部24m、高さ3.5m、前方部前端幅18m、高さ3mで、前方部を南東に向ける。  埋葬施設は、凝灰質砂岩の割石積みの両袖式横穴石室で南東に開口。羨道の一部には、川原石を用いる。規模は、全長6.3m、玄室長3.57m、奥壁幅1.3m、羨門幅0.8mを測る。副葬品などは不明。築造年代は、6世紀の中頃と推定。北山古墳群の前方後円墳の築造順は、権現山古墳→雷電山古墳→宮下古墳の順に築造される。

宮下古墳

北山古墳群

北山古墳群に属し、雷電山古墳から北上した丘陵の最高所にある前方後円墳で、古墳群中では中心的な存在となる。また、付近には5基の小円墳の陪墳が「V字」形に築かれていると言う。  墳丘規模は、全長43m、後円部径29m、高さ4m、前方部前端幅32m、高さ3mを測り、前方部が発達する。埋葬施設は、凝灰質砂岩を用いた片袖式横穴石室で全長8.48mを測る。現状は、埋没している。  出土遺物は、武器、馬具、装身具、鉄製花形品、土師器などが出土。築造年代は、馬具などから6世紀後半と推定される。

将軍塚古墳

うつのみや遺跡に隣接

武子川と姿川に挟まれた台地上、うつのみや遺跡横にある古墳で、遺跡入口に段築の付いた墳丘の姿を残してます。  墳丘は、径30m、高さ2.4mの円墳で、2段築成、周溝を備えます。周溝幅は2.5m、深さ2.4mを測る。出土遺物は、鉄器、須恵器、土師器などは出土。築造年代は、7世紀の前半と推定。  うつにみや遺跡広場内には、縄文時代前期の根古谷台遺跡が整備され、住居跡、墓壙跡、資料館が併設。とくに1号長方形建物は、日本最大級を誇り復元展示されてます。

聖山1号墳

うつのみや遺跡内に復元

姿川と武子川に挟まれた台地上に分布した聖山公園古墳群でしたが、霊園整備に伴って発掘調査が行われ、1号墳の石室の一部を隣接するうつのみや遺跡広場に模式復元したものです。

西原遺跡の小石棺

うつのみや遺跡資料館内に展示

下桑島町の西原遺跡1号墳の周溝から出土した小石棺です。現在は、うつのみや遺跡広場の資料館に展示しております。  小型と言うことから、再葬されたか、子供を埋葬するために使用されたものと考えられます。

下欠亀塚古墳

横口式石室をもつ

姿川の右岸の低い段丘上に位置する前方後円墳で、現状は前方部を失い後円部のみが水田に残ってます。羽生田街道沿いにある星宮神社から真南に草木に覆われた墳丘が見えます。  墳丘規模は、後円部径40m、高さ6mほどを測り、墳頂から1.5mのあたりに横口式石室という珍しい石室が開口する。平らな割石を使用して積まれた石室は、長さ2m、幅1.3m、高さ0.5mの長方形を成し、扁平な大きめの石材で天井を覆う。残念ながら、藪のため見ることが出来ませんでした。  築造年代は、5世紀末~6世紀の初め頃と推定。

鶴塚古墳

正一位稲荷大明神

葵川の左岸、羽生田街道沿いに位置する円墳で、立派な石碑も建てられ、墳頂には稲荷大明神が祀られています。  墳丘規模は、径約19m、高さ約2.5mを測る。他詳細は不明。

長岡横穴墓墓群

長岡の百穴

長岡街道沿いに南面する宇都宮丘陵裾部に位置する横穴墓群で、凝灰岩に52基(東44基、西8基)、ほぼ三段に開口する。  多くの横穴墓には羨道がなく、羽子板状の玄室から直接八の字の前庭部が続き、玄門には扉石をはめ込んだと思われます。床面には、礫や排水溝を備えたものも確認できる。  築造年代は、遺骸や副葬品が皆無の為。おおよそ7世紀代の築造と推定される。

高麗神社古墳

墳丘を東北本線が走る

山田川の流れる左岸、東北新幹線沿線の東側に位置する古墳で、付近には複数の古墳が分布し、川沿古墳群を形成していました。現在は、当古墳のみが残ってますが、墳丘はかつて南北方向に東北本線が走っていた為、削平されてます。  墳丘規模は、径30m、高さ5mほどの円墳となってますが、原形はとどめておりません。築造年代は、6世紀の後半と推定される。ちなみに、古墳名の読みは、「たかお神社古墳」と言います。

大ジノ古墳群

大塚古墳に隣接

宇都宮丘陵の南端に位置する古墳群で、戸祭大塚古墳に隣接する。㈲ケントテックの路地を山へ上がっていくと9基の円墳が南斜面に分布する。  埋葬施設は、大塚古墳と同様に横穴石室を主体とするものと考えられます。古墳時代後期の築造。

祥雲寺境内古墳

別名「あまし塚」

西国三十三所観音霊場の観音巡りができる祥雲寺境内にある前方後円墳で、本堂の西側の墓地中に位置する。また、陪墳である円墳は、本堂裏の丘陵上に位置します。

御蔵山古墳

墳丘下にトンネル通過

栃木県庁の北側丘陵上に位置する前方後円墳で、墳頂部には雷神社が鎮座し、墳丘下にはトンネルが通過している。  墳丘規模は、全長62m、後円部径35m、高さ4.8m、前方部長27m、高さ5.4mの三段築成、剣菱形の前方部を備える。墳丘裾部からは、円筒埴輪片、墳頂部から須恵器高坏、甕、器台が出土。築造年代は、6世紀の前半と推定。

大山祇神社古墳

大山祇命鎮座する

田川右岸の台地上、住宅地と水田がくっきりと分かれる台地の端部に位置する円墳です。  墳丘は、大山祇神社の土台となっており、径30m、高さ4mほどの円墳です。墳形は、多少変わっていますが、形の良い墳丘を残してます。他詳細は不明。

下栗大塚古墳

五穀豊穣を祈って

下栗大塚通りから、南に入った水田の中に位置する円墳で、遠方からでもこんもりとした林が見えるので一目でわかります。墳頂には、五穀豊穣を願って丸山稲荷大明神が祀られております。  墳丘規模は、径43.5m、高さ6.5mで、2段築成となっている。墳丘のテラス幅は、4~5mほどで巡る。埋葬施設は、おそらく南に開口する横穴石室と思われる。他詳細は不明。築造年代は、7世紀の築造と推定される。

下栗念仏塚古墳

新装開墳!

下栗大塚通りから、南に入った水田の中に位置する古墳で、グーグルマップでは天神社の表記になってます。現在は、鳥居や社などが新たらしくなって、白く神々しく水田の中で目を惹きます。ちょうど下栗大塚古墳から東に位置します。  墳丘規模は、径7m、高さ2mほどの円墳です。埋葬施設など他詳細は不明。

大塚神社古墳群

2基の円墳

下栗二丁目公民館に隣接する大塚神社に2基から成る古墳群です。公民館の北側、大塚神社社殿が建つ土台になるのが大塚神社古墳1号墳です。2号墳は北側にあって消滅となってますが、1号墳の背後に社があるので、こちらが2号墳なのでしょうか。  1号墳は、径16m、高さ2.5mの円墳、2号墳は、径11m、高さ1.5mの円墳となってます。

久部愛宕塚古墳

牛塚古墳と相似形

鬼怒川の右岸、沖積低地に位置する帆立貝式前方後円墳で、国道4号線沿いに墳丘が確認できます。4号線を挟んだ北側には、久部浅間山古墳があります。  墳丘規模は、全長50.5m、後円部径41m、高さ4.5m、前方部長14m、前方部前端幅30m、高さ1.5m、くびれ部幅26m、周溝を含む全長南北64m、東西57mを測ります。本古墳と壬生牛塚古墳は墳丘規模がほぼ同じであり、同様な周堤帯を持つことから共通点が多く、なんらかの関係性を推測でます。  埋葬施設は、未調査。出土遺物は、円筒埴輪、形象埴輪が出土しており、築造年代は、6世紀の後半と推定。

久部浅間山古墳

林に覆われた墳丘

国道4号線、久部(きゅうぶ)交差点の南東に位置する前方後円墳で、水路が一部周溝のように、こんもりとした林を迂回するようになっているの所が墳丘です。  墳丘規模は、全長32.5m、後円約20m(墳頂径6m)、高さ4m、前方部幅16m、前方部長14m、高さ1.5m、くびれ部幅13.5mを測ります。現状は、林に覆われていた墳丘の形状は近くでもわかりずらい状態です。
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三日月神社古墳

前方部消滅

国道4号線から、久部交差点を西に入った住宅地内にある三日月神社となっているのが古墳で、帆立貝式前方後円墳です。  現状は、前方部が削平され後円部のみ残存。後円部の規模は、高さ4m、径23mを測る。墳丘上には、社殿が建ってます。
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