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小山市

桑古墳群(喜沢古墳群)
小山ゴルフクラブに分布
思川の左岸に位置する5基から成る喜沢古墳群で、小山ゴルフクラブ内に分布します。ゴルフ場内はプレー中で撮影は出来なかったが、主墳の57号墳は道路寄りにあって、説明板も設置されています。
桑57号墳は、前方部を南に向ける全長35.9mの帆立貝式前方後円墳です。墳丘には葺石、墳頂と墳丘裾部に埴輪が確認され、墳頂部埴輪列は一辺13.4mの方形に断続的に巡っていました。
埋葬施設は、墳丘下に土壙を設け、木棺を直葬したと考えらます。副葬品は、蛇行剣、鉄剣などの武器、天冠などの装身具、鏡類など多くのものが出土している。他にも30代前後の女性の歯が出土し、天冠や蛇行剣など副葬品から推測すると呪術性の強い女性像が考えられ、政治的にも強い影響力を及ぼした女性首長墓と思われます。築造年代は、5世紀末頃と推定。

宮内古墳群(宮内5号墳)
形の良い方墳
思川左岸の段丘上に分布する前方後円墳2基、他20基ほどの古墳群です。多くの墳丘が開発によって消滅している。
その中でも5号墳は、形が良い2段築の方墳が残ってます。1段目は、ローム層を削り出した緩斜面のテラス状を成し、2段目は東西32.6m、南北35.2mの規模を測る。北側で6.8mの周溝が確認され、周堤と思われる高かまりも見られる。埋葬施設は、ボーリング調査によると7mほどの地下式の横穴石室があると推測される。出土遺物は確認されず、墳丘下の表土に白色細粒軽石(榛名一二ッ岳火山灰)が含まれていていることから、6世紀半ば以前の築造ではないことがわかります。築造年代は、7世紀前後と推定される。
5号墳の近くには、1号、2号墳の方墳が分布してますが、それらしき墳丘は1基のみ確認しました。

寒川古墳群群(毘沙門山古墳)
最後の生き残り
小山市南西部の思川と巴波川に挟まれた沖積地、鏡と中里地区を中心に分布する前方後円墳5基、円墳7基から構成される古墳群です。現在は、開発などによって、毘沙門山古墳が最後の1基となっている。
墳形は、全長41.2mの帆立貝式前方後円墳ですが、当初は円墳と考えられていました(後の周溝調査にて判明)。埋葬施設は不明。出土遺物は、土師器片、円筒埴輪などが出土。築造年代は、5世紀後半と推定。
郡中で最初に築造されたのが、鶴巻山古墳で、径53mの大型円墳です。幅15~20mの周溝が巡り、墳丘全面に葺石が施されていました。その後、前方部を南に向ける全長77mの前方後円墳である茶臼塚古墳が築かれます。幅12mの周溝が巡り、周溝を含め100mを超える大型前方後円墳になります。そして、三味線塚古墳、毘沙門塚古墳に続いて行くことになります。

千駄塚古墳、桃塚古墳石棺
70m級の巨大円墳
思川の左岸の段丘上に築かれた大型円墳です。周辺には、いくつかの円墳群があって千駄塚古墳群を形成していましたが、主墳である当古墳のみが堂々たる姿を残す。
墳丘規模は、径70m、高さ10mで2段築成を成す。墳丘裾部から3mのテラスは7~8mほどの幅で、埴輪、葺石は確認されていない。墳丘の西と北側には、15~20mほどの周溝が認められ、その外側に周堤と思われる高まりも残る。周堤を合わせた規模は、90m超となって関東屈指の大型円墳です。埋葬施設は未調査で、墳頂には、浅間神社が鎮座し、浅間山古墳とも称される。築造年代は、7世紀前後と推定。
当古墳の北側には、覆い 屋で保護された凝灰岩の家形石棺、同発掘された石材が展示されてます。こちらは、近くの桃塚から出土した石棺で、地元住民の尽力で移設されました。
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