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小山市

摩利支天塚古墳

二重周溝を含めると197m超

思川と姿川に挟まれた台地上に分布し、飯塚古墳群に属する当古墳は、隣接して築かれた琵琶塚古墳と双璧を成しています。  前方部を南西に向けた全長117mの2段築製の前方後円墳で、墳丘には二重の周溝が巡っていました。内側周溝幅は20~30m、外側周溝幅は7~8mを測り、周溝を含めた全長は197mを超える大型前方後円墳となります。墳丘上には、円筒埴輪、形象埴輪が並べられていたようです。築造年代は、5世紀末~6世紀の初め頃で琵琶塚に先行します。

琵琶塚古墳

県内大首長墓

飯塚古墳群に属し、摩利支天塚古墳に後続して築造されたのが当古墳で、北東に隣接する。摩利支天塚古墳とは双璧を成しています。  前方部を南南西に向ける前方後円墳で全長123m、二重の周溝を含めると200mを超え、吾妻古墳(全長127m)に次いで県内第2位を誇ります。墳丘は基壇を設けた2段築成で、大型の円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪が並べられていたと思われます。築造年代は、6世紀の初頭と推定。

飯塚古墳群(35号墳)

県内有数の古墳地帯

思川と姿川に挟まれた台地上の飯塚地区には、40基(前方後円墳7基含む)近い古墳群を形成していました。その中心的な存在は、県内最大級の摩利支天塚古墳(全長117m)、琵琶塚古墳が堂々たる姿を残してます。その他の古墳は、ほとんどが消滅しましたが、前方後円墳の35号墳は、墳丘を削平されながら天満宮前に生き残りました。  墳丘規模は、全長40m超、後円部径31m、高さ4.5mの規模を測ります。埋葬施設は、横穴石室と思われる石材が確認されている。出土遺物は、円筒埴輪、朝顔形埴輪、盾持武人埴輪、土師器などが採取されてます。築造年代は、6世紀後半と推定。

外城古墳群(2号墳)

特異な石室形態

思川の左岸段丘上に分布している古墳群です。中でも2号墳は、丁寧な川原石積みの横穴石室で特異な形状をしており貴重な存在です。  2号墳は、径20m、高さ1m程の円墳です。南東方向に開口する全長4.2m、奥壁幅1.2m、高さ1.4mのほぼ長方形を成す横穴石室を備える。4.7mほどの墓道は、石室開口部に向かって、徐々に高まり、一番高まった所から三段ほど下がって石室へ入出するように築かれている。これは階段の上段部が石室を閉じる役目になっている珍しい形態です。  出土遺物は、刀子、鉄鏃、耳環、切子玉、ガラス製小玉が出土。築造年代は、7世紀前半から中頃と推定されます。

桑古墳群(喜沢古墳群)

小山ゴルフクラブに分布

思川の左岸に位置する5基から成る喜沢古墳群で、小山ゴルフクラブ内に分布します。ゴルフ場内はプレー中で撮影は出来なかったが、主墳の57号墳は道路寄りにあって、説明板も設置されています。  桑57号墳は、前方部を南に向ける全長35.9mの帆立貝式前方後円墳です。墳丘には葺石、墳頂と墳丘裾部に埴輪が確認され、墳頂部埴輪列は一辺13.4mの方形に断続的に巡っていました。  埋葬施設は、墳丘下に土壙を設け、木棺を直葬したと考えらます。副葬品は、蛇行剣、鉄剣などの武器、天冠などの装身具、鏡類など多くのものが出土している。他にも30代前後の女性の歯が出土し、天冠や蛇行剣など副葬品から推測すると呪術性の強い女性像が考えられ、政治的にも強い影響力を及ぼした女性首長墓と思われます。築造年代は、5世紀末頃と推定。

寒沢古墳

周溝の痕跡

思川の東側の段丘上に位置する円墳で、周辺は縄文時代早期から中期にかけての寒沢遺跡となっている。  墳丘規模は、径20m、高さ3.5mほどで、北側から東側にかけて周溝と思われる窪みが、わずかながら確認されています。他詳細は不明。

篠塚稲荷神社古墳

中型前方後円墳

思川と巴波川に挟まれた農地の中、小山環状線沿い残る前方後円墳です。前方部に稲荷神社、後円部墳頂に大黒神社が祀られています。  墳丘規模は、全長62m、前方部長26m、高さ3.5m、幅28m、後円部径36m、高さ4.7mを測り、前方部を南に向けています。築造年代は、6世紀の後半と推定される。

東島田10号墳

なだらかな墳丘残る

思川の左岸、R18(小山壬生線)から西に入った思川沿いに日本聖公会 小山祈りの家があります。古墳は、その敷地内になだらかな墳丘を残します。  墳丘規模は、直径25m、高さ2mほどの円墳となります。古墳時代後期の築造と考えられます。他詳細は不明。

愛宕塚古墳

背の高い墳丘

思川の左岸、愛宕神社となっている土台が墳丘で、背の高く形良い円墳が残ってます。  墳丘の規模は、径45m、高さ10m(墳頂平坦面8m)で、北と西側には5~10mほどの窪みが確認できます。築造年代は、古墳時代の中期と推定される。

宮内古墳群(宮内5号墳)

形の良い方墳

思川左岸の段丘上に分布する前方後円墳2基、他20基ほどの古墳群です。多くの墳丘が開発によって消滅している。   その中でも5号墳は、形が良い2段築の方墳が残ってます。1段目は、ローム層を削り出した緩斜面のテラス状を成し、2段目は東西32.6m、南北35.2mの規模を測る。北側で6.8mの周溝が確認され、周堤と思われる高かまりも見られる。埋葬施設は、ボーリング調査によると7mほどの地下式の横穴石室があると推測される。出土遺物は確認されず、墳丘下の表土に白色細粒軽石(榛名一二ッ岳火山灰)が含まれていていることから、6世紀半ば以前の築造ではないことがわかります。築造年代は、7世紀前後と推定される。  5号墳の近くには、1号、2号墳の方墳が分布してますが、それらしき墳丘は1基のみ確認しました。

寒川古墳群群(毘沙門山古墳)

最後の生き残り

小山市南西部の思川と巴波川に挟まれた沖積地、鏡と中里地区を中心に分布する前方後円墳5基、円墳7基から構成される古墳群です。現在は、開発などによって、毘沙門山古墳が最後の1基となっている。  墳形は、全長41.2mの帆立貝式前方後円墳ですが、当初は円墳と考えられていました(後の周溝調査にて判明)。埋葬施設は不明。出土遺物は、土師器片、円筒埴輪などが出土。築造年代は、5世紀後半と推定。  郡中で最初に築造されたのが、鶴巻山古墳で、径53mの大型円墳です。幅15~20mの周溝が巡り、墳丘全面に葺石が施されていました。その後、前方部を南に向ける全長77mの前方後円墳である茶臼塚古墳が築かれます。幅12mの周溝が巡り、周溝を含め100mを超える大型前方後円墳になります。そして、三味線塚古墳、毘沙門塚古墳に続いて行くことになります。

藤塚古墳

震災で社殿倒壊

浅間神社となっている土台が墳丘で、2011年の東北大震災で社殿が倒壊しており、2018年に草木を伐採し、ちかく再建するということです。その際に、御神木のイチョウだけ残している。墳形は、前方後円墳と言うことで、他詳細は不明です。  現在は、社殿は再建されようで、GoogleMapに画像が載ってます。

千駄塚古墳、桃塚古墳石棺

70m級の巨大円墳

思川の左岸の段丘上に築かれた大型円墳です。周辺には、いくつかの円墳群があって千駄塚古墳群を形成していましたが、主墳である当古墳のみが堂々たる姿を残す。  墳丘規模は、径70m、高さ10mで2段築成を成す。墳丘裾部から3mのテラスは7~8mほどの幅で、埴輪、葺石は確認されていない。墳丘の西と北側には、15~20mほどの周溝が認められ、その外側に周堤と思われる高まりも残る。周堤を合わせた規模は、90m超となって関東屈指の大型円墳です。埋葬施設は未調査で、墳頂には、浅間神社が鎮座し、浅間山古墳とも称される。築造年代は、7世紀前後と推定。  当古墳の北側には、覆い屋で保護された凝灰岩の家形石棺、同発掘された石材が展示されてます。こちらは、近くの桃塚から出土した石棺で、地元住民の尽力で移設されました。

八幡山古墳群

由緒ある神社に分布

天平年間に勧請された由緒ある間々田八幡山に分布する円墳群です。墳頂には、明治天皇遥拝所の記念碑や冨士嶽神社などその他いろいろな記念碑があります。  形の良い墳丘が、まとまって分布しているので、山の中の古墳群と違って大変見学しやすい古墳群となってます。
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中妻古墳

藪に包まれる帆立

小山市立博物館の南西、思川の西に位置する帆立貝型前方後円墳ですが、墳丘は藪に覆われ全容はわかりにくいのが現状です。辛うじて墳頂で社を確認出来ましたが、近所の案内人の方いわく、昔は石柱もあったようですが見つかりませんでした。   墳規模は、全長32m、後円部径21m、高さ2mを測ります。他詳細は不明。
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