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神戸市

五色塚古墳
五色に輝く墳丘
垂水区
明石から須磨にかけて海岸線が最も突出する垂水丘陵南麓台地上に位置する前方後円墳で、隣接して大型円墳の小壺古墳が築かれてます。双方ともに国指定史跡に指定され復元整備されている。墳頂からは、海を隔てて淡路島を望み、明石海峡大橋を眺めることが出来る最高のスポットとなってます。
墳丘規模は、墳丘長194m、後円部径125m、高さ18m、くびれ部幅65.2m、前方部幅81m、高さ11.5mを測る。墳丘は段築、葺石、埴輪を備え、周溝が巡ります。周溝には、島状遺構が確認され土橋で繋がっていました。埴輪は円筒埴輪、鰭付円筒埴輪、鰭付朝顔形埴輪、形象埴輪確認されており、総数2,200本と推定されている。葺石は総数223万個、総重量2,784t余りを淡路島から運び込んで使用しており、当時は海峡を行き交う船から海面に反射した光が墳丘に当たって五色に輝いていたことが想像できます。埋葬施設は、竪穴式石室が推定される。また、島状遺構からは鰭付円筒埴輪棺が出土しています。
出土遺物は、埴輪の他に島状遺構で土師器壺、西側くびれ部で滑石製子持勾玉が出土。築造年代は、4世紀末~5世紀初頭と推定される。

西求塚古墳
菟原壮士(うないおとこ)墓
灘区
六甲山系の南麓の扇状地末端に築かれた前方後方墳で、1596年(慶長1)の慶長伏見地震により、地滑りや崩落の被害を受け、改変はされていますが公園化され保存されてます。周辺には当古墳を含めて、ほぼ2km等間隔で海岸線沿いに処女塚古墳、東求女塚古墳が並びます。そして、この3基には「菟原処女の伝説」の舞台として知られています。(詳細別記載)
墳丘規模は、全長98m、後方部長52m、前方部長46m、後方部幅50m、くびれ部幅25m、高さ最大9mを測り、葺石、段築(前方部)を備えます。埋葬施設は、後方部墳頂に1枚の板石により仕切られる副室が付いた竪穴式石室が確認され、割竹形木棺を納めていることが判明しています。また、石室石材にはベンガラの上に水銀朱が塗布されていました。
出土遺物は、主室から三角縁神獣鏡 7面、画文帯神獣鏡 2面、神人龍虎画像鏡 1面、半肉彫獣帯鏡 2面、鉄槍、短剣、小札、紡錘車形石製品、土師器など多くの鏡が出土。副室から鉄鏃、短剣、鉄刀、鉄斧、ヤリガンナ、鑿、ヤス、紡錘車形石製品などが出土。後円部墳頂部からは山陰地方の特色をもつ鼓形器台、複合口縁壺が出土する。築造年代は、3世紀後半と推定される。

東求塚古墳
茅渟壮士(ちぬおとこ)の墓
東灘区
六甲山系の南麓の扇状地末端に築かれた前方後円墳で、現在は原形を留めていませんが石碑が建てられ公園化されてます。周辺には当古墳を含めて、ほぼ2km等間隔で海岸線沿いに処女塚古墳、東求女塚古墳が並びます。そして、この3基には「菟原処女の伝説」の舞台として知られています。(詳細別記載)
墳丘規模は、全長80m、後円部径47m、前方部長さ42m、幅42mを測り、葺石、周溝を備えていました。埋葬施設は、前方部から木棺片、後円部から竪穴式石室が確認されている。
出土遺物は、前方部の木棺片とともに三角縁神獣鏡4面、内行花文鏡、画文帯環状乳神獣鏡 、鉄刀、勾玉、碧玉製車輪石が出土。その後、後円部の竪穴式石室から内行花文鏡、鏡式不明の鏡が出土する。ほか土師器、須恵器が出土。築造年代は、4世紀後半と推定される。

処女塚古墳
菟原処女(うないおとめ)の墓
東灘区
六甲山系の南麓の扇状地末端に築かれた前方後方墳で、現在は公園化されています。周辺には当古墳を含めて、ほぼ2km等間隔で海岸線沿いに西求女塚古墳、東求女塚古墳が並びます。そして、この3基には「菟原処女の伝説」の舞台として知られています。(詳細別記載)
墳丘規模は、全長70m、後方部幅39m、高さ7m、前方部幅32m、高さ4mを測り、後円部3段築成、前方部2段築成、また葺石を備えます。埋葬施設は、東側のくびれ部から箱式石棺、後円部中央から南北方向に円礫と粘土が見つかり、竪穴式石室または粘土槨ではないかと考えられています。
出土遺物は、墳丘の各所に竹管によるスタンプ文のある壺が出土。また、石棺から滑石製勾玉が出土している。築造年代は、3世紀後半と推定される。

北神ニュータウン古墳群
神戸リサーチパーク内に分布
北区
神戸市の北部、三田市との市境に北神ニュータウン(神戸リサーチパーク)が建設され、それに伴い弥生時代の遺跡や多くの古墳が見つかっています。
神鉄道場駅の北側には、北神第2地点古墳・第3地点古墳が復元整備され公園化されてます。第2地点古墳は、横穴石室を主体部とする円墳で、耳環、水晶製勾玉、琥珀製棗玉、ガラス玉、滑石製臼玉、須恵器などが出土している。第3地点古墳は、全長36mの北神地域唯一の後期前方後円墳で、横穴石室を主体部とする。奥壁の最下段から径12.5cmほどの「〇」形の線刻が確認されてます。
神戸市立北神戸中学校の東側には、第9地点1号墳(長方墳)と第9地点2号墳(円墳)が残されてます。両古墳とも隣接し、木棺を主体部としますが、築造年代は1号墳が4世紀代、2号墳が6世紀前半と時代格差があります。
神戸市立 鹿の子台小学校の校庭隅には、13号地点古墳が移築されてます。もとは北神戸中学校の南にありました。径15mほどの円墳で竪穴式石室を主体部とし、露出展示されています。

南所3号墳
県下で古式の横穴石室
北区
武庫川と長尾川の合流点をのぞむ台地上に位置する古墳で、3基の円墳から成る古墳群です。1号・2号墳は、低い墳丘が残るのみとなっている。
3号墳は、径22m、高さ3.2m程を測り、葺石、周溝、埴輪などの外表施設は認められない。埋葬施設は、南に開口する横穴石室で、全長8.9m、玄室長4.5m、高さ2.7m、奥壁幅2.6m、中央幅2.7m、羨道長2.8m、袖幅1.6m、玄門幅1.1m、羨門1.2mを測ります。また、現存長2.2m、幅0.5m、高さ0.85mの箱式石棺が納められていました。石室石材は板状の石材を多く用いて、丁寧に積み上げられており、側壁の持ち送りが著しく、奥壁にも若干の傾斜が確認できます。また、床面には板石が敷き詰められていました。このような形状から兵庫県下では、古式の横穴式石室のひとつと考えられます。現状は、大半が損壊を受けており奥壁側が残るのみとなっている。
出土遺物は、刀、鉄鏃、轡、滑石製紡錘車、耳環、玉類、須恵器、土師器が出土する。なかでも紡錘車には、斜格子文とクモの巣状の線刻が認められます。築造年代は6世紀前半と推定される。
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