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永平寺町

二本松山古墳
松岡古墳群
九頭竜 川が福井平野へと流れ出る左岸丘陵上に位置する前方後円墳で、手繰ヶ城山古墳、鳥越山古墳、石舟山古墳、当古墳を含めた前方後円墳4基と陪塚3基からなる松岡古墳群に属します。福井平野を見渡せる好立地に分布し、九頭竜川流域を支配した「越の国の大王墓」に相応しい首長墓群です。また、九頭竜川の対岸丘陵上には、六呂瀬山古墳群が分布する。
墳丘規模は全長89mを測り、前方部を南西方向に向ける。墳丘は、2段築成、埴輪が認められ、東くびれ部には造出を備える。そして、隣接するように陪塚が位置する。
埋葬施設は、石棺が2基直葬される。2号石棺は、舟形石棺とされるが、蓋は家形石棺の趣を具備する。蓋には前後端に各2ヵ所、両端に各1ヵ所、身には前後両側に各1ヵ所の縄掛突起が付いてます。1号石棺から人骨、勾玉、甲冑が出土。2号石棺から仿製四獣鏡、鍍金冠、鍍銀冠、碧玉製管玉、鉄刀、鉄剣、小札鋲留眉庇付冑、三角板鋲留短甲、頸甲、脇当が出土。築造年代は、5世紀後半と推定される。

石舟山古墳
松岡古墳群
九頭竜川が福井平野へと流れ出る左岸丘陵上に位置する前方後円墳で、手繰ヶ城山古墳、鳥越山古墳、二本松山古墳、当古墳を含めた前方後円墳4基と陪塚3基からなる松岡古墳群に属します。福井平野を見渡せる好立地に分布し、九頭竜川流域を支配した「越の国の大王墓」に相応しい首長墓群です。また、九頭竜川の対岸丘陵上には、六呂瀬山古墳群が分布する。
墳丘規模は、全長79.1m、後円部径44.5m、高さ8m、前方部幅26m、高さ5mを測り、2段築成、 埴輪、陪塚(方墳)を有します。埋葬施設は、後円部から墳丘主軸平行に舟形石棺の身が確認され、縄掛突起が石棺側面に各1ヵ所付けられる。
出土遺物は、埴輪、須恵器が出土。築造年代は、5世紀中葉と推定される。

鳥越山古墳
松岡古墳群
九頭竜川が福井平野へと流れ出る左岸丘陵上に位置する前方後円墳で、手繰ヶ城山古墳、石舟山古墳、二本松山古墳、当古墳を含めた前方後円墳4基と陪塚3基からなる松岡古墳群に属します。福井平野を見渡せる好立地に分布し、九頭竜川流域を支配した「越の国の大王墓」に相応しい首長墓群です。また、九頭竜川の対岸丘陵上には、六呂瀬山古墳群が分布する。
墳丘規模は、全長53.7m、後円部径42m、前方部幅26mを測ります。地山を削り出した墳丘には、葺石、埴輪は認められない。埋葬施設は、舟形石棺直葬墓と竪穴系横口式石室の2基が確認されている。
出土遺物は、石釧、砥石、馬具、鉄製品、土器、須恵器が出土。築造年代は、5世紀中葉と推定。

手繰ヶ城山古墳
松岡古墳群
九頭竜川が福井平野へと流れ出る左岸丘陵上に位置する前方後円墳で、石舟山古墳、鳥越山古墳、二本松山古墳、当古墳を含めた前方後円墳4基と陪塚3基からなる松岡古墳群に属します。福井平野を見渡せる好立地に分布し、九頭竜川流域を支配した「越の国の大王墓」に相応しい首長墓群です。また、九頭竜川の対岸丘陵上には、六呂瀬山古墳群が分 布する。
墳丘規模は、全長130mを測り群中最大、北陸最大規級を誇ります。墳丘には、段築、川原石の葺石、造出、埴輪を備えていました。そして、くびれ部造出に隣接するように方墳である陪塚が位置する。
埋葬施設は、地中レーダー探査によって石棺が埋納されていることがわかってます。築造年代は、4世紀中葉と推定される
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