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つくば市

桜塚古墳

前方後円墳と判明

桜川の中流域西岸、舌状台地先端部に位置する前方後円墳で、すぐ東側に水守古墳群が分布する。以前は、前方後方墳と考えられていましたが、2013年の調査によって前方後円墳と判明しました。  墳丘規模は、全長59.6m、後円部東西径38m(復元推定)、前方部幅は後円部径の 2/3程度、前方部長は後円部径の半分程度と考えられ前方部の短いの前方後円墳と考えられます。  築造年代は、調査前年に出土したパレススタイル壺から古墳時代前期まで遡ると推定されます。

上野天神山古墳

鬱蒼とした森状態

遠方からでも鬱蒼とした森がすぐわかります。近づくと、こんもりと円形状の墳丘が確認でき、墳丘に上がると天神様が祀られてます。  墳丘規模は、全長80m、後円部径50m、高さ8m、前方部長30m、高さ2mを測ります。

中台遺跡出土石棺

ちいさな石棺

中台遺跡は、筑波山の麓の台地に分布する石器時代から近世まで遺構や遺物が発見された遺跡で、そこから出土した石棺です。無量院の駐車場から上がった右側に移設されてます。

佐古墳群出土石棺

鹿島神社境内に移設

円墳1基、墳形不明3基から成る佐古墳群から出土した石棺が鹿島神社の境内に移設されてます。石棺からは、勾玉、管玉、鉄刀、人骨三体などが出土。

作谷十九耕地古墳

単独で存在

小貝川と桜川とに挟まれた台地上に位置する単独墳で、すぐ北側に筑波東急ゴルフクラブがあります。  墳丘は、径15m、高さ2mほどの円墳で、階段が付いていて、墳頂に上がると石仏が祀られています。他詳細は不明。

八幡塚古墳

桜川流域最大級

桜川の左岸、筑波山の南麓の水田の中に位置する前方後円墳で、前方部を南に向ける。前方部は、残存状況が良くない為、復元整備されている。  墳丘規模は、全長94m、後円部径57m、高さ8.2m、前方部幅37m、高さ5.7mを測り、8mほどの周溝跡が確認されている。筑波国最大級の為、筑波国造阿閉色命(あべしこのみこと)の墳墓とも考えられてます。埋葬施設は、未調査のため、明らかでありません。  出土遺物は、前方部堀から女性の人物埴輪、墳丘から円筒埴輪、朝顔型埴輪、武人埴輪片が出土。築造年代は、6世紀初期と推定されます。

土塔山古墳

墳丘60m級

筑波山の南に位置する前方後円墳で、全体的に藪に覆われ墳丘ラインは近づかないとわかりにくいのが現状です。   墳丘規模は、全長61.3m、後円径30m、高さ3.7m、前方部長31.3m、前方幅27.8m、高さ2.13mを測ります。

安食稲荷塚古墳

詳細不明墳

グーグルマップに記載があったので行ってみると低い墳丘に、木がフサフサと生えてました。詳細は不明です。

山木古墳

鉄塔をも動かす

筑波台地の東端に位置する前方後円墳で、紅白の鉄塔横にブッシュに覆われ存在する。   墳丘規模は全長48mで、前方部を南東に向けます。埋葬施設は、粘土床に木棺を安置し、木棺前後両端に粘土塊を置く形式をとってます。  出土遺物は、武器、玉類、壺型土器が出土。築造年代は、4世紀の後葉と推定される。

平沢古墳群

佐都ヶ窟古墳(1号墳)

筑波山の南麓、桜川の支流である八幡川に面した丘陵上にあって、平沢官衛遺跡を見下ろす立地に分布する古墳群です。かつては、方墳1基、円墳7基から構成されてましたが、現在は4基が残ってます。  1号墳の佐都ヶ窟古墳は、南北25m、東西35m、高さ7mの方墳で、南向きに板石で構築された複室の横穴石室が開口する。平面プランは、T字形をしており、全長7.65m、前室2.5mを測ります。2号墳は、道路沿い反対側に開口する円墳で後室のみ残存し、玄門が特徴的です。3号墳は、複室構造の横穴石室が開口する円墳で、後室には石仏が祀られてます。さらに南東に下った4号墳も複室構造の横穴石室が開口しています。築造年代は、7世紀中頃~後半の築造と推定されます。

東古墳群

鹿島神社境内に分布

桜川の右岸、吉瀬台地南端に分布する方墳1基、楕円墳1基から成る古墳群です。鹿島神社の境内にあって、鹿島様古墳とは、県道24号線を挟んで南側に位置します。  1号墳は、一辺8m、高さ3mの方墳で、墳丘前には石仏が並び、石棺材らしきもので祀られた大日如来が鎮座します。2号墳は、長軸15m、高さ2mほどの楕円墳で、微妙な形状とみえるのが現状です。築造年代は古墳時代後期。

東福寺石室石材

滝夜盛姫伝説

滝夜盛姫は平将門の娘で、将門が討伐された後に西福寺に仏門に入りました。現在は栄公民館となっています。  その滝夜盛姫のお墓は東福寺の西200mほどの畑の中にあって、石室石材は近年まで近くの川の橋として利用されていました。現在は、東福寺の境内に板石数枚が移設されてます。

松塚古墳群

3基から成る

桜川の右岸に分布する前方後円墳2基、円墳1基から成る古墳群です。  1号墳の前方後円墳は、全長62m、後円部径38m、高さ6.1m、前方部幅41m、高さ5.8mを測り、それなりに墳形を保ってます。2号墳の前方後円墳は、全長50m、後円部径27m、高さ3m、前方部高さ1.5mを測り、形状はわかりにい状態です。3号墳の円墳は、墓地から竹藪に周り込み、隙間から何とか墳丘らしきものを撮りました。

栗原愛宕塚古墳

畑の中にこんもり

桜川の右岸、畑の中に墳丘がこんもりと残り、墳頂には愛宕神社が鎮座します。  墳丘規模は、径20m、高さ4mほどで、鳥居が建ち、墳丘には階段も付いており、比較的形の良い墳丘ラインを見せてます。すぐ北側には、慶長板碑があるので、是非あわせて見学してください。

水守古墳群

水守城物見台に

桜川の西岸、舌状台地先端部に分布する古墳群で、さらに西側先端部に前方後円墳の桜塚古墳が位置する。水守城跡であった旧田水山小学校の敷地内に2基の円墳が残り、北に筑波山の眺望が開けます。  1号墳は、径32m、高さ4mほどの円墳で、物見台に使用されていたようです。2号墳は、径35m、高さ5mほどの円墳で、鉄剣、鉄鏃が出土しています。築造年代は、古墳時代前期に遡ると推定されます。

満面塚古墳

埋葬者は機織り職人?

初酉神社の西側にある全長40mほどの前方後円墳です。前方部は、わかりにくいのが現状です。  初酉神社(はっとりじんじゃ)の「はっとり」は服部の姓名に通じるとされる。そもそも「はっとり」は「機織り」に由来すると考えられ、周辺には多くの墳丘が点在しているため、古代から機織りを生業とした古代人が住み着いていたと思われます。当古墳の被葬者もその一人かと想像させられます。築造年代は、6世紀後半と推定。

漆所大塚山古墳

竹林に覆われる

筑波山の南に位置する全長35mほど前方後円墳ですが、全体的に竹藪に覆われ墳丘ラインは近づかないとわかりにくいのが現状です。 墳丘横には白い標柱が建ってます。
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甲山古墳

古墳群を形成する

小田山から西側に延びる支稜線のひとつの先端に位置する。国道125号線沿い「レストラン&喫茶 ニュー高根」の裏に残ってます。前方後円墳とも言われてますが、現状は削り取られた円墳状の墳丘が残ります。周囲には円墳が数基残り甲山古墳群を形成しています。  埋葬施設は、2基の箱式石棺が確認されている。片方からは人骨と直刀が、もう片方から3体の人骨、直刀、刀子、ガラス製勾玉、鉄鏃が出土しています。築造年代は、6世紀前半の推定されます。

菅間大塚山古墳

筑波山のお膝下

桜川の右岸、台地の縁辺に位置する前方後円墳です。筑波山が真正面に視界に入る好立地。墳丘は、藪に包まれてます。  墳丘規模は、全長30m、後円径13.5mを測ります。他詳細は不明。

金田(こんだ)古墳

円墳群の可能性

桜川の右岸、舌状台地から切り離された独立丘陵上に築かれた前方後円墳ですが、全体的に林に覆われ、城に利用され墳丘が削平されている。そのため、前方後円墳ではなく円墳群という指摘もあります。  墳丘規模は、全長75m、後円部径35m、高さ3m、前方部長40mを測ります。出土品には、古墳時代後期と思われる直刀が出土している。他詳細は不明。
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