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筑西市

台畑古墳

村田古墳群に属す

小貝川左岸の台地上に位置する前方後円墳で、灯火山古墳と村田古墳群を形成します。  墳丘規模は、全長68.8m、後円部径32.8m(東西)、高さ6.65m、前方部幅29m(東西)、高さ3.1~3.35mを測り、前方部を南東に向ける。段築、葺石は認められず、埴輪なども採取されていない。主体部は、木棺直葬または粘土槨と考えられいる。灯火山古墳、葦間山古墳に後続し、築造年代は、5世紀後半~6世紀初頭と推定される。(参考 筑西市HP、現地説明板、続日本古墳大辞典)

女方古墳群(おざかた)

女方48塚

鬼怒川左岸の河岸段丘上に分布する古墳で、神明塚古墳、猫塚古墳(弁天1号墳)、弁天塚古墳(弁天2号墳)の3基から構成されます。かつては女方48塚と呼ばれてました。  神明塚古墳は、民家の裏庭にある円墳で良く手入れがされ、墳頂に神明社と稲荷社が祀られています。弁天塚古墳は長径33m、短径20m、高さ5mで、前方後円墳の可能性が考えられてます。猫塚古墳は径12m、高さ4mの円墳で、弁天塚と合わせて弁天古墳群を成します。  女方地区一帯は、縄文から弥生時代遺跡の女方遺跡が確認され、長い期間に渡って繁栄し続けたことがわかる重要な地区となります。

宮山観音古墳

古代新治地域最大級

観音川の左岸、台地の縁辺上に位置する前方後円墳で、かつては古墳群を形成していました。現在、宮山ふるさとふれあい公園として整備され保存されています。  墳丘規模は、全長100m、後円部径45m、高さ7m、前方部長40m、前方部幅37m、高さ5mほどを測り、古代新治地域最大規模となる。前方部を南に向け、くびれ部には神社に通じる参道として道が付いています。築造年代は、6世紀の初頭と推定される。
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富士東塚古墳群

寺うしろ山古墳と浅間山古墳

五行川の右岸の台地上、旧国道294号線沿いの左右に2基の古墳が残ってます。富士東塚古墳群に属し、西側の線路沿いに残るのが浅間山古墳、東側の畑に残るのが寺うしろ山古墳です。  浅間山古墳は、全長45m 後円部径30m、高さ7mほどの前方後円墳で、墳丘がかなり削平されています。寺うしろ山古墳は、径20m、高さ4mほどの円墳で、畑の中に残ってます。

弁天山古墳

藪に覆われる

鬼怒川の左岸、自動車教習所の北側に位置する全長30mほど前方後円墳です。墳頂には、何らかを祀ってあった形跡があり、墳丘自体は藪状態です。他詳細は不明です。

桜塚古墳(稲荷塚)

前方後円墳の可能性

鬼怒川左岸の沖積地、関本下の住宅地に位置する前方後円墳で、墳丘は稲荷神社となってます。  墳丘規模は、全長50m、後円部径30m、高さ3.5mで前方部は削平されている。前方部は、南西方向の竹林側に向いていたと考えられてます。壺型の土器が採取されており、築造年代は、5世紀中葉と推定される。

船玉古墳

描かれた円文、靫、船

鬼怒川の左岸の河岸段丘上に位置する方墳で、舟玉神社参道の石段横に南向きに石室が開口しています。東日本大震災によって墳丘上にある船玉神社は残念ながら失われてしまいました。  墳丘規模は、一辺35m、高さ4mを測ります。筑波産の雲母片岩の板石を使った両袖式横穴石室は、全長11.5mの複室構造を成し、奥壁と側壁には円文、靫、船の壁画が赤や白の顔料で描かれていました。現状、肉眼では判別できない状態となっています。築造年代は、7世紀代と推定。(参考 日本古墳大辞典、現地説明板)

茶焙山古墳(ちゃぼうやま)

 多くの副葬品出土

鬼怒川左岸の上野東郷に位置する前方後円墳で、現状は民家に囲まれてます。  墳丘規模は、推定全長60〜70m、後円部高さ6.5mを測り、前方部は削平されてます。埋葬施設は、箱式石棺となり、多くの副葬品が確認され、六鈴鏡、環鈴、碧玉製管玉、ガラス製丸玉、銅環、槍鉋、直刀、剣、矛、鉄鏃、横矧板鋲留短甲、籠手、馬鐸、剣菱杏葉、轡、引手などが出土。また、円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪も確認されている。築造年代は、6世紀の前半と推定。

葦間山古墳

新治国造支配領域最大

小貝川左岸の沖積地に位置する前方後円墳で、別名徳持古墳とも稲荷山古墳とも言われている。  墳丘規模は、墳丘長141m(推定)後円部径82m、高さ10.5m、前方部長30m、高さ3mを測り、前方部を南東に向けます。新治国造比奈良珠命の墳墓とする説があり、新治国造領域では最大の古墳となります。  出土遺物は、赤色顔料の付着した壺型埴輪が出土している。築造年代は、4世紀末~5世紀初頭と推定。また、6世紀前半とする説もあります。(参考 下館市史、茨城県史、日本古墳大辞典)

西山古墳

藪に覆われる墳丘

鬼怒川の左岸、県道54号線沿い北側に位置する全長20mほどの前方後円墳です。民家敷地内にあって、墳丘自体藪に包まれ撮影不可能です。墳頂には、祠が祀られてました。  また、東の畑に円墳と思われる墳丘があり、古墳墳を形成していたようです。西山古墳の所有者の方に教えてもらいました。

西方古墳

西方新田古墳と並ぶ

大谷川の右岸の台地上に位置する円墳で、西方新畑古墳の東側に隣接しています。  墳丘は、径38m、高さ5mほどで隣接の西方新畑古墳より、ひとまわり大きめとなる。墳頂には稲荷社が鎮座しております。築造年代は、西方新畑古墳と同年代の古墳時代前期初頭と推定される。

西方新畑古墳

西方古墳に隣接

大谷川の右岸の台地上に位置する円墳で、西方古墳の西側に隣接しています。  墳丘は、径27m、高さ4mほどで、墳頂に庚申様が祀られております。築造年代は、西方古墳と同年代の古墳時代前期初頭と推定される。

野殿古墳

お菓子の香り漂う

大谷川の左岸の台地上に分布する野殿古墳群の一基で、常陽製菓株式会社拡張工事によって出土した石棺です。現在は、移築され常陽製菓株式会社入り口に移築されてます。  石棺は、長さ2.3m、幅0.7m、深さ0.9mを測り、小口積みの箱式石棺です。出土遺物は、人骨2体、鉄刀、刀子、鉄鏃、耳環などが出土。築造年代は、6世紀の後半と推定される。

長満塚古墳

詳細不明

鬼怒川の左岸にある墳丘で、ある程度の墳丘は残していますが詳細は不明です。
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