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富津市

弁天山古墳

石室天井石に縄掛突起

富津岬の南、内裏塚古墳群の中でも最南端台地上に築かれた全長86mの前方後円墳です。  主体部は竪穴石室で、注目すべきは3個の天井石のうち、真ん中の天井石の両サイドに縄掛突起が付けられている点です。石棺の蓋石にはよく見ることが出来ますが、石室天井石に突起が付いているのは大変珍しいもので、奈良県の室宮山古墳など畿内大王クラスの古墳に数例見られるのみです。  出土遺物は、甲冑、直刀、鉄剣などが出土している。築造年代は、5世紀の後半と推定される。

稲荷山古墳

将軍山古墳との関係性深まる

小糸川左岸の平地に二重の盾形周濠を備えた全長106mの前方後円墳で、周濠を含めた全長は202mを測り、内裏塚古墳群中最大規模を誇ります。  埋葬施設は、平成に入ってからの調査で横穴石室であることが確認されているが、内部調査は行われていない。  墳丘の形状、二重の周濠から、埼玉古墳群の将軍山古墳と類似性が指摘されている。さらに、将軍山古墳の横穴石室側壁は房州産の石材が使用されており、何らかの深い関係性が推測されます。

三条塚古墳

内裏塚古墳に次ぐ規模

飯野陣屋跡地に残る全長122mの前方後円墳で、二重の周濠を含めた全長は193mと内裏塚古墳群では2番目の規模を誇ります。  埋葬施設は、砂岩を用いた自然石の乱石積の無袖横穴石室で、床面には貝殻が敷かれていました。出土遺物は、3体の人骨、鏡、武器、馬具などが出土している、築造年代は、6世紀末と推定される。

割見塚古墳

群中最大の方墳

内裏塚古墳群の中の方墳では最大規模の1辺40m、高さ3.5mを測り、二重周溝を備える。内堀一辺63m、外堀一辺107.5mとなり、龍角寺岩屋古墳の規模に及びます。  埋葬施設は砂岩切石の横穴式石室で全長11.7mで、ハの字に開く前庭部までを含めると18.75mと県内最大規模を誇ります。出土遺物は、直刀、弓弭などの武器、馬具、須恵器、土師器が出土。築造年代は、7世紀の前半と推定される。

亀塚古墳

割見塚古墳に次ぐ規模

飯野陣屋跡地、三条塚古墳の南東に存在する方墳です。墳丘北東部は、陣屋の牢屋が存在していた為、墳丘が削平されてますが、一辺38mの規模を測り、二重周溝を含めると99mとなり割見塚古墳に迫る大型方墳となります。  埋葬施設は、南東方向に開口する砂岩製の切石両袖横穴石室です。出土遺物は、金銅製耳輪、銅椀、ガラス玉が出土。築造年代は、7世紀の前葉と推測される。

九条塚古墳

横穴石室導入期の古墳

内裏塚古墳群は、、内裏塚古墳から始まった古墳造営が上野塚古墳で半世紀ほど中断していました。そして、この九条塚古墳でまた築造が開始され、最盛期を迎え多くの古墳が継続して造られるようになりました。  墳丘の規模は、全長103mを測り、二重の周溝を含めると150mに達する規模となります。墳丘の形状から畿内の影響を大きく受けたものと考えられます。  埋葬施設は全長約9.5m、幅1.7~1.95mの規模や長軸の向きから、横穴石室の可能性が考えられ、県内では横穴石室導入期の墳丘と考えられる。現在、墳丘にある石碑の台座は、石室の天井石と言われています。  出土遺物は、武器類、金銅製馬具、玉類、人骨などが出土。築造年代は、6世紀中頃の築造と推定される。

西原古墳

線路によって寸断

JR内房線の敷設工事によって、墳丘は寸断され原型は留めていないが、後円部一部が残存する。平成になっての調査では、墳丘全長60m、周溝を含めると70-75mを測り、群中では中クラスの前方後円墳となります。  埋葬施設は、東南東方向に開口する自然石乱石積の無袖横穴石室で、全長12.5mの長大なものです。現在、凝灰岩質砂岩の石室天井石などを確認することができます。  副葬品は、武器、馬具、装飾品、人骨8体分、須恵器などが出土。築造年代は、6世紀中葉~後葉と推定される。

内裏塚古墳

内裏塚古墳群の盟主墳

小糸川下流域の砂丘微高地上に築造された全長144m、盾形の周溝を含めると185mの規模を誇り、南関東最大級となります。内裏塚古墳群では盟主墳で、157号線沿いに堂々たる姿を見ることが出来ます。  墳丘は、2段築、葺石が埋め込まれ、埴輪が立ち並び、東側くびれ部には造出が備わっております。  埋葬施設は、竪穴石室が2基確認され、武器、鏡、人骨、農工具など多くの出土遺物が出土している。なかでも金銅製胡籙金具は、福岡県吉井町の月ノ岡古墳にしか例がない希少なもので、他に伽耶地域にしか出土例がなく、また全長7.5cmの大型の鹿角製鳴鏑は、他に見られないことから貴重な出土品となります。

姫塚古墳

前方後円墳なんです

畑の中に残る全長61m(後円部径29m、前方部幅34.5m)の前方後円墳ですが、現状は前方部は削平され、石室部分周辺が一部残されているだけとなってます。  埋葬施設は、片袖の横穴石室で、出土遺物は金環、鉄刀、鉄鏃、馬具、須恵器が出土しています。築造年代は、6世紀の後葉と推定される。

東冠1号墳

墳丘消滅も石材残る

墳丘はすでに消滅しているが、発掘調査により復元墳丘径28m、周溝外径3.65mと判明しています。埋葬施設は横穴石室で、そこに使用されていた石室石材を現在、古墳の石碑の台座になっていると言われています。  副葬品は、直刀、金銅製耳環などが出土しており、古墳時代後期と推定される。(参考資料 書)東冠1号墳発掘調査報告

青木亀塚古墳

謎の未完成古墳

内裏塚古墳群の北西、小糸川下流域にある全長106mの前方後円墳で、盾形周溝を含めると126mを誇る堂々たる大型墳丘です。  しかしながら、墳丘の高さが前方部で5m、後円部で3.5mと低く、主体部の痕跡すら見つかっておりません。さらに、平成になってからの調査では周溝から奈良時代の住居跡、前方部北側から古墳時代~奈良時代の住居跡が確認され、築造当初から住居が建てられるなど不思議な点が多く、謎秘めた興味深い終末期前方後円墳です。

八丁塚古墳

墳丘は何処へ

内裏塚古墳群に属している径24m、高さ2.2mの円墳ですが、現状は藪に包まれ古ぼけた標柱が建つのみです。この木の標柱がなければおそらく見失うことでしょう。  埋葬施設は、両袖の横穴石室で全長10.2mを測ります。出土遺物は、碧玉製管玉、琥珀製棗玉、金銅製耳輪、直刀、馬具が出土しており、円墳群の中でも新しい時代のもと考えられ7世紀の初頭と推測されてます。
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笹塚古墳群

2基の円墳並ぶ

西いやさか通り沿いの送電線鉄塔横に2基の円墳が並んでいます。  1号墳は、径21m、高さ2.8mの円墳。2号墳は、径20m、高さ3mの円墳で、両墳丘には周溝が確認されています。埋葬施設は横穴石室ではないかとされています。  この通り沿いにはいくつかの円墳があったが、消滅したものも多く仲良く並んだ姿が見れるのは貴重な存在です。

蕨塚古墳

12体分の人骨出土

現状は、大きく変形しているが全長48m、後円径27.5m、高さ3.75m、くびれ幅10m、前方部前端幅28m、前方部長さ22m、高さ4m、の前方後円墳で、馬蹄形の周溝を含めると63mを測ります。  主体部は、後円部東側に開口する片袖横穴式石室で全長11.5m(玄室長7.5m、玄室幅1.7m、羨道部長4m、羨道幅1.2m)の自然石を用いた石室で、床面には、貝殻が敷かれていました。石室からは、12体分の人骨が確認されている。その他、副葬品として金銅製輪、銀製耳環、銅釧、ガラス製丸玉、小玉、琥珀製棗玉、金銅製鞍金具などの馬具、須恵器が出土しています。築造年代は、6世紀の末と推定されます。

百目木古墳

どうめきと読みます

1辺10m、高さ2.5mの小型の方墳で「どうめき古墳」と言われ、またの名を前原古墳、二間塚とも呼びます。  現状は低い墳丘に草木が茂っているので、意識しないとわからないかもしれません。

森山塚古墳

羨道と玄室間に段差

内裏塚古墳群の中で3番目の規模を誇る方墳です。一辺27m、高さ4m、二重周溝が巡っており、外辺周溝長43mを測ります。  埋葬施設は、南東に開口する砂岩製の切石積の両袖横穴石室で、全長6.9m、羨道と玄室間に1.2mの大きな段差があるのが特徴です。また、床面には切石が敷かれ、天井石も砂岩製の切石で屋根型に成形されてました。出土遺物は、把手状金具、鉄釘、土師器、須恵器が出土。築造年代は、7世紀の前半と推測される。

武平塚古墳

墳丘一部が残存

復元墳丘全長69mの前方後円墳で、周溝を含めた全長は93mを測ります。内裏塚古墳群の中では、中級クラスの規模と言えるでしょう。  現在墳丘は削平されているが、すぐ北側に位置する九条塚古墳と同方向に前方部を向けています。詳しい調査は行われていないので詳細は不明。古墳名の読みは、「ぶへいづか」です。

白姫塚古墳

群中最古級の円墳

内裏塚古墳群の中の円墳としては、最初に築造された墳丘です。径30mの規模で、民家の庭先にあります。墳頂には石碑が建っており、その土台は石室石材と思われます。  埋葬施設は横穴石室で、副葬品は、飾り大刀、挂甲、鍍金銅鋺、帯金具、金銅製耳環、須恵器など多くの出土品が確認されている。

古塚古墳

墳丘に埴輪列

現状は、鬱蒼とした森にしか見えませんが全長89m、後円部径40m、高さ5.5m、前方部幅62m、高さ6.5mの前方後円墳で、盾形周溝が巡っていました。周溝を含めると124mを測ります。  墳丘には、円筒埴輪や馬、鳥、人物、家の形象埴輪が並べられていた事がわかってます。ほか詳しい調査は行われていないので埋葬施設、副葬品は不明です。築造年代は、埴輪の形式などから6世紀後半と推定される。

内裏塚北方古墳

民家庭先に発見!?

内裏塚古墳の後円部の北側に位置する方墳で、民家の庭先にそれらしき高まりを確認することが出来ました。
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