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市原市

菊間古墳群
「菊麻国造」の領域
村田川の下流域南岸の台地上にある古墳群で、前方後円墳3基、前方後方墳1基、円墳13基、方墳33基から構成されます。主要な古墳として姫宮古墳、権現山古墳(北野天神山古墳 )、東関山古墳、天神山古墳、新皇塚古墳があります。
姫宮古墳は、市原台地先端部に位置する全長47mの前方後円墳で、前方部を北西に向ける。築造年代は、6世紀代と推定。
権現山古墳は、推定全長90mの前方後円墳で、郡中最大級を誇ります。前方部を南東方向に向け、円筒埴輪を備えていました。築造年代は、5世紀末と推定。
東関山古墳は、全長120m(周溝含む)、墳丘長90mの前方後円墳で、こちらも権現山古墳と並び最大規級を誇る。前方部は、権現山とは真逆の北西に向ける。築造年代は、5世紀後半と推定。
天神山古墳は、径44m、高さ3.5mの大型円墳で、円筒埴輪を備えてました。築造年代は、5世紀末と推定。
新皇塚古墳は、郡中唯一の全長60mの前方後方墳で、前方部を南に向ける。埋葬施設は粘土槨2基が並び、割竹形木棺が納められていました。出土遺物は、北槨から内行花文鏡、石釧、玉類、鉄剣、刀子、錐、農具が出土。南槨から珠文鏡、鉄製槍、大刀、刀子、工具、農具、玉類が出土する。築造年代は、4世紀後半と推定。

草刈古墳群
180基を超える群集墳
村田川下流域右岸の台地上に分布する古墳群で、総数180基を数えます。現在は、ちはら台の新興住宅地建設のため数を減らしてますが、ちはら台公園とまきぞの自然公園に数基残されてます。
まきぞの自然公園に残る33号墳は、全長42mの前方後円墳で下総型円筒埴輪、馬型埴輪が並べられていたことがわかってます。築造年代は、6世紀後半と推定。
ちはら台公園には、数基の円墳と前方後円墳が整備保存されている。1号墳では、主体部として割竹型木棺が3基確認され、第1主体部から剣、刀子、農耕具、釧、鉄鋌、玉類、軽石が出土。第2主体部から鉄剣、鉄鉾、鉄鏃、刀子、工具、農具、きさげ状工具、玉類が出土。第3主体部から鉄剣、玉類が出土。墳丘内から鍬先、土製玉が出土。周溝内から玉類、土製鏡、土製紡錘車、石製紡錘車、土玉、土錘が出土する。築造年代は、5世紀初頭と推定。
3号墳からは、200個体という大量の土器が出土しており、墳丘築造時期の下層と、古墳時代中期前半の上層とに分けられます。下層は、甕が大半を占め、東海東部系の壺が出土する。そのほか、何らかの儀式が行われたと考えられる焼土に交って貝層、動物骨が確認される。築造年代は、古墳時代前期~中期と推定。
前方後円墳である11号墳は、全長50m測り、馬具、土器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定。
99号墳では全長30mの前方後方墳が確認されてますが、消滅。埋葬施設は、土壙が1基確認される。周溝内から甕、台付甕、壺、器台、高坏、坩が出土。築造年代は、3世紀末~4世紀初頭と推定されます。

稲荷台1号墳
王とは誰だ?
養老川を挟んで姉崎二子塚古墳の対岸にある径28mの円墳で、12基の稲荷台古墳群を形成しています。現在は、3分の1に復元され古墳公園として整備されている。
埋葬施設は、中央と北側に2つ確認され、いずれも木棺とされる。注目すべきは、中央の埋葬施設から出土した「王賜」銘鉄剣です。
鉄剣は長さ73cmほどとされ、X線写真によって銀象眼の銘文が確認されました。表に、王賜□□敬(安)、裏に、此廷[刀]□□□と銘文刻まれており、王から古墳の被葬者に鉄剣を授けたと解釈されます。
謎を呼ぶのは、鉄剣に刻まれている王とは誰かということです。畿内王権と考えられるのが通説ですが、今後の展開が楽しみとされます。













