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田布施町

国森古墳

4世紀の方墳

田布施川の右岸、田布施丘陵上に築かれた方墳で、北の丘陵上には石走山古墳、川を挟んだ東側丘陵上に後井古墳群が分布する  墳丘規模は南北27.5m、東西30m(造出長さ含む)、高さ4mを測り、造出が付設します。埋葬施設は、2段に掘り込まれた墓壙に組合式木棺が直葬されていました。木棺サイズは、朱の広がりから長さ4.44m、幅0.68~0.9mと推定される。  出土遺物は、連弧文昭明鏡、鉄剣、鉄槍、鉄鏃、鉄斧、鉄鑿、鉄鉇、刀子、簎状鉄製品、針状鉄製品、砥石、鉄矛、壺、高坏、甕 が出土。  連弧文昭明鏡は、面径91mm、鈕径14.6mm、鈕高6mm、縁の厚さ4.9mm、縁の幅12.5mmを測り、鈕の周囲に8弧の連弧文が巡ります。また、銘帯には、ゴシック体の15文字が刻まれる。土器片に関しては。庄内式土器と並行して存在する弥生土器後期の吹越式土器の様相を呈している。築造年代は、4世紀初頭と推定。  当古墳は、県内に前方後円墳が出現する以前の王墓で、古墳出現期において在地勢力との統合、再編を背景にした首長墓と考えられます。

石走山古墳

石走山遺跡

田布施川の右岸、川西区域の石走山南側に位置する円墳で、横穴式石室を主体部とします。南の丘陵上には、国森古墳、川を挟んだ東側対岸丘陵上に後井古墳群が分布する。丘陵全体が、集落遺構や石蓋土坑墓、壷棺墓、古墳などの埋葬遺構が含まれる石走山遺跡となっている。  横穴石室は、無袖式と考えられますが、まぐさ石が存在している。そのまぐさ石の辺りから明らかに石材の組み方が小型になり玄室と羨道部を区別しています。他詳細は不明。

木ノ井山古墳

粘土槨×3

田布施町川西地区、疫神社北西同丘陵上に位置する円墳です。  墳丘規模は、径27m、高さ3m~5mを測り、墳丘に埴輪を備え、東側からの眺めを意識して造られている。埋葬施設は、3基の粘土槨に割竹型木棺が納められている。県内では、数少ない粘土槨を主体部とする古墳となります。  出土遺物は、円筒埴輪、形象埴輪、鉄剣、鉄刀、竪櫛、翡翠製勾玉、管玉、鋳造鉄斧、鍛造鉄斧、鎌、鍬先、鋤崎が出土。築造年代は、5世紀中頃と推定される。

後井古墳群

双円墳状に並ぶ

田布施川の左岸、寺山の頂部に位置する古墳群で、11基の円墳で構成されます。東側丘陵上には、稲荷山古墳、南西対岸丘陵上には国森古墳が位置する、1号墳と2号墳は墳丘の一部が重なり合うように双円墳状に東西に分布します。  1号墳は径15m、高さ5.6mほどの円墳で、片袖式の横穴石室を主体部とします。全長11.9m、玄室長6m、幅3.5m、高さ3.5m、羨道長5.9m、幅1.6m、高さ1.8mを測り、県内最大規模を誇る。出土遺物は、鉄鏃、銀製耳環、碧玉製勾玉が出土。築造年代は、6世紀末~7世紀初頭と推定される。  2号墳は径11m、高さ5.4mほどの円墳となる。主体部は両袖式の横穴石室で全長7.4mを測り、1号墳に比べ小型の石室となる。玄門両袖の石材は、左右非対称の1枚岩を羨道部の小型で荒い石材に張り付くように立てられているのが特徴となる。出土遺物は、鉄鏃、鉄刀子、須恵器坏、高坏、甕が出土。築造年代は、6世紀末~7世紀初頭と推定される。  3号墳は少し離れて存在しており、状態が良くありませんが、豊富な副葬品が出土している。(詳細は別記載)

稲荷山古墳

奥壁にお稲荷様

田布施町下田布施、前方後円形をした稲荷山丘陵上に位置する円墳で、横穴式石室を主体部とします。  石室は小型の石材を積み上げており、石柱で補強がされています。奥壁が玄門のように改変され、お稲荷様が祀られています。他詳細は不明。

天王原古墳

鏡石が残る

大波野丘陵の西側段丘崖面に位置する小円墳で、北西に納蔵原古墳が分布しています。  横穴式石室を主体部としており、現在は奥壁のみが立って残っている状態です。出土遺物は、金環、鉄斧、鉄鏃、須恵器が出土する。他詳細は不明。
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納蔵原古墳

小型の前方後円墳

田布施町大波野地区にある誓立寺の西側丘陵にある前方後円墳で、かつては南に円墳の2号墳が隣接していました。  墳丘規模は、墳長28mほどの小型の前方後円墳で2段築成、葺石、埴輪を備えていました。また、後円部北側に周溝が確認されてます。埋葬施設は、南西方向に開口する両袖式の横穴石室で、玄室長4.3m、幅2.8m、高さ2.2m、羨道長1.8m以上を測ります。被葬者は、小柳井水系を掌握した首長墓と考えられます。  出土遺物は、装身具、鉄刀、馬具、須恵器が出土。築造年代は、6世紀中葉と推定される。
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