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東広島市

天神原古墳群

14基の古墳群

豊栄町吉原、三和大和線R181号線に沿って流れる吉原川南側丘陵に分布する古墳群で、14基から成ります。北西側には、光福寺古墳が位置しています。  横穴式石室を主体部とする古墳群で、1号墳で立派な石室が残ってます。その他は、説明板にある散在地と記された所に3基の石室が並んでおり、向かって左は、石室基底部、真ん中で横穴石室がほぼ露出、向かって右側でも石室奥壁側が残ってます。その他は、確認できませんでした。

光福寺古墳

民家裏に開口

豊栄町吉原、三和大和線R181号線に沿って流れる吉原川南側の丘陵上に位置する古墳で、民家裏に石室が開口しています。  墳丘規模は、径12m、高さ3mの円墳で、横穴式石室を主体部とします。石室は、奥壁下段左右に石材を並べ、奥壁上段と側壁にブロック状の石材を積み上げています。  出土遺物は、勾玉、管玉、𤭯(はそう)、圷、長頸壺、坩が出土。築造年代は、古墳時代後期と推定。

二反田古墳

ステルス古墳

東広島市河内町上河内、入野川に沿って走る国道432号線下に横穴石室が保存されてます。側道に表示板が出てますが、来る方向によって見過ごす可能性があります。完全に道路下に石室が保存されている状態なので、普段知らずに通過している方もいるでしょう。  石室は、右片袖式の横穴石室で奥壁に変四角の1枚岩を使用している。出土遺物は、刀子、鉄鏃、耳環、装飾付台付壺・子持ち器台・杯身・杯蓋・高杯・鳥形𤭯が出土しています。

元安古墳 

奥壁側残存

入野川の右岸、山陽本線とR432とが交差する北西丘陵麓に位置する古墳です。道路に標識あり、そこから川沿いに入って行くと右手山側の墓地に開口しています。  石室は奥壁側のみ残存しており、主に長方形の石材を積み上げ、側壁の持ち送りが顕著に見られ、確認できるもので3枚の分厚い板状の天井石を架けている。他詳細は不明。

東広島ニュータウン遺跡群

胡麻古墳群

高屋高美が丘の「東広島ニュータウン」住宅開発に伴って調査され、現在、住宅地の中に胡麻近隣公園(高美が丘公園)として整備された園内に東広島ニュータウン遺跡群が保存されています。  遺跡群は、弥生時代~古墳時代初めのもので、円墳、箱式石棺、石蓋土壙、組合式木棺、土蓋土壙などが確認されている。墳墓群からは、鉄鏃、銅鏃、ガラス小玉、土器が出土。円墳は、2号墳で径11mほどで、埋葬施設、副葬品は不明。築造年代は、5世紀代と推定される。

八幡山古墳石室

三永歴史民俗資料館に移設

西条町御園宇八幡山にあった古墳ですが、国道2号線バイパス建設の為、調査後に箱式石棺を茅葺農家の外観の三永歴史民俗資料館に移設しています。  石棺は、小口に1枚ずつ、側壁にそれぞれ6枚ずつの花崗岩板石を組み合わせている。出土遺物は、棺内から人骨、棺外から鉄器が出土しています。築造年代は、5世紀中頃~後半と推定。

岩幕山古墳

覆い屋にて保護

東広島市黒瀬町南方、黒瀬川を南に見下ろす丘陵上に位置する径15mほどの円墳で、古墳群を形成していました。現在、横穴式石室の基底部が露出しており、覆い屋によって保護されています。  出土遺物は、鉄刀、小刀、ガラス製小玉、須恵器などが出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。

宮ヶ迫古墳

古墳群を形成

豊栄町の西端丘陵上に位置する円墳で、本宮八幡神社と同丘陵西側に横穴石室が開口する。当古墳の北側尾根上には、2基の円墳が分布しており古墳群を形成する。  墳丘規模は、径14m、高さ5mを測ります。主体部の横穴石室は、全長9m、奥壁幅2.1m、高さ2.1m、入口幅1.6mで南に開口する。天井石が盗掘の際に1枚取り除かれ、石室内に土砂が堆積している。出土遺物は、銀環、管玉、切子玉、須恵器が出土。

小松古墳

石柱を立てる

国道375号線沿いの西側丘陵上に分布する円墳で、小松西7号墳と言われる。  墳丘規模は、径16m、高さ3mを測ります。埋葬施設は、南西方向に開口する横穴式石室で、全長8.5m、玄室長4.8m、奥壁幅1.95m、高さ1.82mを測り、周辺域で最大級となる。玄室と羨道の境に20cmほど張り出させた石柱を立て、さらに同位置で天井石を一段下げて両者を区別しています。出土遺物については不明。

丸山神社古墳群

三ツ城古墳に先行する

西条盆地の北西部、西条市街地を見渡すことができる東西に延びる丘陵尾根先端部に分布する古墳群で、前方後円墳1基、円墳2基から構成される。隣接して丸山神社が位置しています。  1号墳は、全長42.9m、後円部径33m、高さ6.5、前方部長16m、幅14.2m、高さ1.2mを測ります。埋葬施設は、竪穴式石室または箱式石棺とされます。隣接する丸山神社から壺型埴輪が出土している。築造年代は、4世紀中葉~後半と推定され、三ツ城古墳に先行すると考えられる。  2号墳と3号墳は、径10mほどの円墳で、箱式石棺が埋葬施設とされます。2号墳は、1号墳の前方部西側に位置し、3号墳は後円部東に隣接し、社殿裏に大きく削平され残ってます。

仙人塚古墳

開墾中に石棺露出

高屋町の中央部、白市台地と言われる砂礫段丘上に位置する円墳で、桑畑を開墾中に石棺が発見されました。  墳丘規模は、径24m、高さ2mを測ります。埋葬施設は、3基の箱型石棺が確認され、中央の第一号石棺からは人骨、珠文鏡、碧玉製石釧、T字形勾玉、管玉が出土しています。築造年代は、4世紀末~5世紀初頭と推定される。

三ッ城古墳群

三ツ城近隣公園

西条盆地南の八幡山から派生する丘陵先端部に分布する古墳群で、現在3基が三ツ城近隣公園として整備保存されtます。  1号墳は、墳丘長84m、後円部径52m、高さ12.7m、前方部前端幅52m、高さ10mの前方後円墳で3段築、葺石、左右の造出、周溝を備えます。埴輪は、円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪(家・蓋・鶏・水鳥・盾・靫・冑・短甲)がくびれ部の造出や3段のテラスなどに並び立てられ、総数1800本を数えます。  埋葬施設は、後円部墳頂に3基の箱型石棺が確認されており、覆い屋によって保存される。第一号埋葬施設からは、人骨、勾玉、管玉、珠文鏡、鉄刀が出土。第二号埋葬施設からは、人骨、勾玉、棗玉、丸玉、櫛、銅釧、直鉄、刀子が出土。第三号埋葬施設からは、玉類、鉄剣、鉄鉾、鉄鏃が出土する。築造年代は、5世紀前半と推定。  2号墳は、径25m、高さ4mほどの円墳で、葺石が認められる。埋葬施設は、箱式石棺とされますが失わている。築造年代は、5世紀前半と推定。  3号墳は、長径8m、短径4m、高さ1mの楕円形墳です。埋葬施設は、箱式石棺とされる。築造年代は、6世紀前半と推定推定される。
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