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高槻市

今城塚古墳
謎多き継体王の墓
淀川中流域の北岸、三島平野の中央部に位置する前方後円墳で、前方部を西に向けます。現在、今城塚古墳公園として保存整備され、今城塚古代歴史館も併設されてます。
今城塚古墳は、宮内庁に治定されてませんが、第26代継体天皇陵墓としてほぼ間違いないと考えられています。因みに、宮内庁が治定する陵墓は、西に1.5Kmほど行った太田茶臼山古墳とされる。継体天皇は、男大迹王(をほどのおおきみ)と日本書紀に記され、出生地や系譜など継体王朝論争を巻き起こし、謎多き大王とされている。
墳丘規模は、墳丘長190mとされるが、城砦として利用されたり、慶長伏見大地震によって地すべりを起こし、損壊が激しく詳細は不明。墳丘には、葺石、段築、埴輪、造出を備え、二重の周溝が巡ります。埋葬施設は横穴式石室とされ、3基の石棺が納められていました。石棺の素材は、いずれも凝灰岩製で熊本の阿蘇ピンク石、兵庫の竜山石、大阪と奈良にまたがる二上山白石のすべて別産地を使用する。
出土遺物は、鉄刀、鉄鏃、胡籙、小札、馬具、ガラス玉、円筒埴輪、形象埴輪、須恵器が出土。
形象埴輪は、内堤北側に張出部が4区画65mにわたって施された特別区に整然と配置されていたことが確認されている。これによって、大王墓の葬送儀礼の詳細が判明しています。現在は、レプリカの埴輪で再現されており、当時の姿を思い起こすことができます。築造年代は、6世紀前半と推定される。

前塚古墳
三角文の長持形石棺
淀川北岸、三島平野中央部に広がる富田台 地の北端部に位置する帆立貝式古墳で、西方向に前方部を向ける(現在は削平)。北側の弁天山丘陵には、当古墳に先行する岡本山、弁天山、C1号墳の3基の前方後円墳である王墓が分布しています。
墳丘規模は、全長120m、墳丘長94m、後円部径69m、前方部長25m、幅25m(復元推定)を測り、葺石、埴輪、幅10~17mほどの周溝を備える。
埋葬施設の構造は不明だが、凝灰岩製の長持形石棺が納められていました。蓋石と左右長側の両端部には、各1ヵ所ずつ縄掛け突起が認められ、前後の短側部中央には各1ヵ所ずつ方形突起が施されています。長持形石棺の中では、新式に属します。(大阪府立近つ飛鳥博物館に展示)
出土遺物は、仿製鏡、鉄刀、鉄鉾が出土。築造年代は、5世紀中葉~後半と推定される。

郡家車塚古墳
「三島の王」の系譜
淀川北岸、三島平野中央部に広がる富田台地の北端部に位置する前方後円墳で、西方向に前方部を向ける。北側の弁天山丘陵には、当古墳に先行する岡本山、弁天山、C1号墳の3基の前方後円墳である王墓が分布しています。
墳丘規模は、墳丘長85.6m、後円部径51.3m、高さ7.4m、前方部高さ3.8mを測り、段築、葺石、埴輪を備える。埴輪は、円筒埴輪、朝顔形埴輪、鰭付円筒埴輪、家型埴輪、壺型埴輪が認められる。埋葬施設は、後円部墳頂部に東西に並行して粘土槨に割竹型木棺(第一主体部)と割竹型木棺直葬(第二主体部)が確認されています。
出土遺物は、第一主体部で黒漆塗の槍頭が出土。第二主体部で、四獣鏡、漆塗竪櫛、硬玉製勾玉、碧玉製勾玉、緑色凝灰岩製勾玉、碧玉製管玉、緑 色凝灰岩製管玉、碧玉製棗玉、碧玉製算盤玉、緑色凝灰岩製算盤玉、ガラス小玉、碧玉製小玉、緑色凝灰岩製小玉と多くの玉類が出土している。築造年代は、4世紀末と推定される。

塚脇古墳群
帯仕山山麓に分布
帯仕山から芥川の西岸にかけて分布する約50基の円墳と方墳から構成される古墳群です。横穴石室を主体部とする6世紀後半~7世紀代に築かれたと考えられてます。現在、見学できる主な古墳は、塚脇D1号墳、服部連塚古墳(塚脇8号墳)、帯仕山古墳(塚脇C7号墳)、塚脇F1号墳となります。
南平台にある埋蔵文化財センター敷地内には、塚脇D1号墳の方墳と縦長の横穴式石室が開口する古墳が移築復元されています。
唯徳寺に隣接して服部連塚古墳(塚脇8号墳)の円墳が残ります。織部を統率した服部連の墳墓との言い伝えが残っており、墳頂に は上宮神社がありました。築造年代は、5世紀中頃と推定。
清水台には、帯仕山古墳(塚脇C7号墳)が公園化されてます。横穴石室を主体部とし、人骨、耳飾り、須恵器、土師器が出土。築造年代は、6世紀末と推定。
妙力寺には、塚脇F1号墳の横穴石室の基底部があり、群中最大規模を誇ります。出土遺物は、直刀、鉄鏃、鉄斧、馬具、玉類、首飾り、須恵器、土師器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。
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