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かすみがうら市

出島天神塚古墳

墳丘ラインに萌ます

霞ヶ浦北岸の台地縁辺に位置する前方後円墳で、角度によってきれいな墳丘ラインを拝めます。後円部墳頂には石仏が祀られ、前方部墳頂には社殿が建ってます。田宿天神塚古墳とも言われてます。  墳丘は、全長63mほどで中型の規模で、周溝が巡っていました。出土遺物は、壺形埴輪が採取されてます。築造年代は、4世紀末と推定。

房中台出土石棺

牛渡房中台で出土

霞ケ浦牛渡の房中台で出土した箱式石棺をかすみがうら市歴史博物館の移築したものです。博物館の屋外に展示しております。  規模は、長さ190cm、幅90cm、高さ80cmほどで一般的な石棺です。

崎浜横穴墓群

カキ殻層に彫った横穴

霞ケ浦の沿岸、県道118号線沿いのカキ殻の断崖に横穴墓群が並んでます。他ではなかなか見ることが出来ない横穴墓群です。  横穴は、数十基が開口しており、玄室は奥壁に棺座があるもの、奥壁と左右に棺座があるものと様々な形が存在します。築造年代は、7世紀代と推定。

小沼弁天塚古墳

偶然立ち寄り

県道118号沿いの畑の中にある径17mほど円墳で、低い墳丘に枝ぶりが変わった木が生えてます。県道から目立つので、偶然見つけて立ち寄りました。墳頂には、弁天様が祀られてます。

安食太子古墳

5段の円文装飾

霞ヶ浦に注ぐ菱木川右岸の台地上に位置する全長60mほどの前方後円墳です。現在は、墳丘は失われ横穴石室が南方向に開口する。地元では「太子のカロウド」と呼ばれてきました。  半地下式横穴石室は、雲母片岩で構築され、左右の側壁に5段にわたって朱の円文が描かれていました。肉眼では、ほとんどわからないのが現状です。所有者の方が幼いころから、すでに確認できなかったようです。  出土遺物は、人骨2体分、直刀、刀子、銀環、須恵器が出土。築造年代は、7世紀前半と推定。

牛渡銚子塚古墳

勅使塚とも言われる

牛渡下郷集落の北西部にある前方後円墳で、牛塚古墳から東に位置します。またの名を「勅使塚」とも言われる。常陸国府に下向した勅使がこの地で亡くなり、その遺体を埋葬したと言い伝えからこの名が付いたと思われます。  墳丘規模は、全長64m、後円部径34m、高さ5.6m、前方部幅38m、高さ2.7mを測り、前方部を西に向けます。

牛渡牛塚古墳

勅使への思い届かず

霞ケ浦の沿岸、R118沿い位置する径40mほどの円墳で、道路から姿を見ることが出来ます。  その昔、常陸国府に下向する勅使がこの地で亡くなりました。勅使を乗せていた牛も、霞ヶ浦を船で渡った勅使を慕って泳いできたが、力尽きて亡くなってしまった。その牛を土地の人々が手厚く葬ったという伝説が残っています。  墳丘周辺から、壺形埴輪片が採集されています。築造年代は、5世紀代と推定される。

富士見塚古墳群

霞ケ浦の先には富士を望む

霞ケ浦を臨む台地上に分布する古墳群で、前方後円墳1基と円墳4基から構成されます。現在、古墳公園と整備され、丘陵麓に展示館も併設されてます。  1号墳の富士見塚古墳は、全長80.2mを測り、市内最大規模を誇る。前方部は、南西方向に向けます。円筒埴輪、朝顔型埴輪、形象埴輪が多数確認され、周囲には盾形の周溝も巡ります。埋葬施設は、後円部に粘土槨を2基、前方部に片岩を使用した箱式石棺を備える。副葬品は、装身具、武器、馬具などが出土。築造年代は、5世紀末~6世紀初頭と推定。  2号墳は、径25mの円墳で、周溝が巡る。埋葬施設は、未調査。副葬品は、金銅製鋏具が出土。南東部に土坑が確認され、土坑に隣接して須恵器甕が出土している。築造年代は、5世紀末~6世紀初頭。  3号墳は、径18mの円墳で、周溝が巡る。埋葬施設は、箱式石棺で赤い朱を検出、人骨が1体確認される。副葬品は、刀子、ガラス製小玉が出土。築造年代は、6世紀末と推定。

折越十日塚古墳

ベールに包まれた壁画

霞ケ浦北西部、折越台地の端に位置する前方後円墳で、現在は鬱蒼とした林になってます。  墳丘規模は、全長63.2m、後円部径35m、高さ5.4m、前方部幅30.5m、高さ4.8mを測り、前方部を南西に向け、二重周溝を備えます。埋葬施設は横穴石室で、安食にある太子唐櫃古墳と同様の装飾が施されていると考えられてます。しかしながら、今は見ることは出来ません。築造年代は、7世紀の初頭と推定。

坂稲荷山古墳

良好に残る

坂東集落の北西の台地上に位置する前方後円墳で、前方部を南西に向け、前方部墳頂に稲荷社が祀られてます。前方部側には、10基の円墳が並びます。  墳丘規模は、全長60m、後円部径27.8m、高さ8m、後円部幅39m、高さ6.4mほどを測ります。墳丘には、周溝が巡ってます。築造年代は、6世紀後半と推定される。

稲荷山古墳

風返古墳群

霞ケ浦と菱木川に挟まれた細い台地上に分布する前方後円墳1基、帆立貝型墳1基、円墳15基以上から構成される風返古墳群に属し、古墳群の中心的存在です。  墳丘規模は、全長78mを測り、前方部を西に向けます。南側を除いて20mほどの周溝があります。主体部は雲母片岩使用の複室横穴石室(奥壁、左右側壁に箱式石棺)とくびれ部から雲母片岩使用の箱式石棺が確認される。  出土遺物は、装身具、玉類、武器、馬具、土師器など豊富に出土している。6世紀後半~7世紀中頃にかけて4度の追葬が行われてます。

風返3、5、7号墳

風返古墳群

霞ケ浦と菱木川に挟まれた細い台地上に分布する前方後円墳1基、帆立貝型墳1基、円墳15基以上から構成される風返古墳群に属しています。浅間山古墳を中心にして時計回りに5号、3号、7号と分布します。  3号墳の羽黒山古墳は径20mほどの円墳で、竹林で墳丘はわかりにくいのが現状です。5号墳の藤塚古墳は、径10ほどの円墳で、ビニールハウス横にロータリーの中心円として墳丘が残ってます。7号墳の山の神古墳は、円墳とわかる程度に残ってます。
 

大日山古墳

風返古墳群(2号墳)

霞ケ浦と菱木川に挟まれた細い台地上に分布する前方後円墳1基、帆立貝型墳1基、円墳15基以上から構成される風返古墳群に属しています。風返集落の西に位置し、墳丘は林に覆われてます。  墳丘規模は、長径55m、短径46m、高さ6.3mを測り、造出部を南東に向ける帆立貝墳です。墳丘裾部から円筒埴輪片、造出部から鶏頭の埴輪片が出土。埋葬施設は、墳頂部から箱式石棺が確認される。石棺蓋の上に直刀と鉄鏃が置かれ、朱塗りのある石棺内からは人骨、直刀、鉄鏃、玉類などが出土する。築造年代は、6世紀の前半と推定。

浅間山古墳

風返古墳群(4号墳)

霞ケ浦と菱木川に挟まれた細い台地上に分布する前方後円墳1基、帆立貝型墳1基、円墳15基以上から構成される風返古墳群に属しています。穴倉風返集落の西の竹林に堂々たる姿を残してます。  墳丘規模は、径40m、高さ6mほどの周溝が巡る円墳で市内最大級を誇ります。築造年代は、7世紀代と推定。

古八幡塚古墳(27号墳)

風返古墳群

霞ケ浦と菱木川に挟まれた細い台地上に分布する前方後円墳1基、帆立貝型墳1基、円墳15基以上から構成される風返古墳群に属しています。形の良い円墳が畑の中に残ってます。行政区は、石岡市になりますが同一古墳群群と言うことで、かすみがうら市に掲載。風返24号墳とも呼ばれてます。

熊野古墳

市川古墳群に属す

霞ケ浦に注ぐ恋瀬川の右岸、台地突端に位置する前方後円墳で、舟塚山古墳とは対岸になります。階段の付いた前方部から墳頂に上がると後円部の墳頂に熊野権現社が祀られています。  墳丘規模は、全長63m、後円部径30m(墳頂平坦面径16m)、高さ8m、前方部幅22m、高さ4mを測り、前方部を東に向ける。後円部と前方部の高低差がある古式の様相をしています。出土遺物は確認されてない。築造年代は、5世紀の中頃と推定される。

大塚古墳群

県下最大の古墳群

霞ケ浦に注ぐ恋瀬川の右岸台地上に立地する古墳群で、市川で10基、下志筑で70基が分布し県下最大の古墳群でした。市川古墳群、下志筑古墳群とも言われます。現在では、ほとんどが消滅し残り少なくなってます。  中心的存在の大塚古墳は、径37m、高さ3.8m、周溝幅10mの円墳です。埋葬施設、出土品が未確認のため築造年代は不明ですが、大塚古墳群の大半が7世紀代であること、埴輪の出土がないので、7世紀代の築造と推定。狐塚古墳は、畑の中に墳丘の一部を残すのみで、墳形や規模については不明で、武人や水鳥の埴輪が出土しています。当古墳の南に1基墳丘が残ってますが、標柱などはありません。
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西田古墳群

ほかは何処へ

天の川の右岸、上稲吉に分布する古墳群で、前方後円墳と円墳数基で構成される。しかしながら、前方後円墳は原形を留めていないようです。円墳に関しても畑の中に石室石材が露出したものを辛うじて1基確認しました。他周辺を探索しましたが墳丘らしきものは見当たらず。地元の方も畑の中の1基しか認知していないようです。  前方後円墳は、埋葬施設が長さ1.8m、幅0.75mの箱式石棺で朱塗りがされている。中から人骨、直刀、墳丘から多くの円筒埴輪が確認されてます。北側の円墳からは、雲母片岩の箱式石棺が確認され、中から人骨3体、勾玉、管玉、棗玉、水晶製切子玉、丸子玉、土製小玉、ガラス製小玉、銀環、直刀が出土。築造年代は、古墳時代後期と推定。
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