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黒部銚子山古墳

後円部

後円部から前方部

横から

後円部
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北流する竹野川の右岸、西に突き出す丘陵尾根を分断して築かれた前方後円墳で、すぐ南側の尾根上には福谷城跡が存在する。竹野川のすぐ東に面した墳丘は、樹木に覆われ、前方部を南東に向ける。
墳丘規模は、全長105m、後円部径70m、高さ15m、前方部幅50m、高さ11mを測り、2段築成、葺石、埴輪列が認められ、周溝も巡っていました。埋葬施設や出土品は、未調査のため不明。
築造年代は、5世紀前半と推定される。「丹後王国」の大王墓である蛭子山1号墳(与謝野町、145m、4世紀中葉)、網野銚子山古墳(京丹後市網野町、198m、4世紀後半)、神明山古墳(京丹後市丹後町宮、190m、4世紀末~5世紀初)に後続する王墓だが墳丘規模が縮小され、その後100m級の前方後円墳が築かれなくなります。「丹後王国」最期の大王墓と言えるでしょう。
墳形
前方後円墳 2段築成 葺石 周溝
築造年代
5世紀前半
埋葬施設
不明
規模
全長105m、後円部径70m、高さ15m、前方部幅50m、高さ11m
出土遺物
円筒埴輪
参考文献
現地説明板、日本古墳大辞典、丹後王国の世界
所在地
京都府京丹後市弥栄町黒部
メモ
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