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米子市

青木遺跡
西伯耆の土器編年
日野川と法勝寺川の形成した沖積地に挾まれた長者原台地に営まれた弥生時代中期~奈良時代の集落跡を中心した複合遺跡です。調査では、住居跡群、掘立柱建物跡群、古墳、方形周溝墓、縄文時代の土壙や落し穴など多くの遺構が確認され、北側に隣接する福市遺跡と並び山陰地方を代表する遺跡で、数か所にわたって史跡公園として一部が保存整備されています。
台地北端に当る丘陵の一支脈上には、前方後円墳4基、方墳12基、円墳39基の計55基が築かれています。また、北西丘陵の先端部には周囲に溝を巡らせた弥生時代の方形周溝墓が確認されている。さらに西側丘陵上では、方墳10基、円墳7基、土器棺、箱式石棺、割竹型木棺、多種多様な埋葬施設が検出されています。
出土遺物は、内行花文鏡、鉄刀、刀子、鎌、土製品、玉類、土器など多くの遺物が出土。出土した土器は西伯耆の土器編年の指標となっています。

宗像古墳群
北部九州との関わり
米子市街地の南東、法勝寺川と日野川の合流地点西側の高山丘陵上には、当古墳群をはじめ、東宗像古墳群、観音寺古墳群など多くの古墳群が分布します。宗像古墳群は、式内社宗形神社の背後と国道を隔てた北側丘陵上に4基の前方後円墳含む計42基から成る北部九州系石室を有する後期古墳群です。
主墳とされる1号墳は、全長37 mの前方後円墳で、2基の埋葬施設を備えます。A石室は、両袖式の横穴石室で、奥壁に1枚岩を用いた羽子板状の平面 プランを呈する。そして、側壁の腰石に大型石材を据え、その上に平行に板状の石材を積み重ねており、北部九州との関わりが推測される。B石室も同様に羽子板状の平面形を成す小型の横穴石室となります。
出土遺物は、A石室後室から円頭柄頭、鉄刀、鉄鏃、鉄鉾、金銅製帯金具、銀環、玉類が出土。A石室前室から鈴付雲珠、鉄刀、刀子、鉄鏃、玉類、須恵器などが出土する。そして、B石室から銅鈴、鉄刀、刀子、鉄鏃、玉類などが出土。築造年代は、古墳時代後期後葉と推定される。

妻木晩田遺跡
鳥取県立むきばんだ史跡公園
米子市と大山町にまたがる晩田山及び大山山麓に存在した大集落遺跡で、弥生時代中期後葉~古墳時代にかけての竪穴住居跡、掘立柱建物跡、環壕、四隅突出型墳丘墓などの墳墓群などが発見されており、古代出雲の中心地でした。現在「鳥取県立むきばんだ史跡公園」として整備保存されている。
はじめ平地が中心であったムラは弥生時代前期から中期にかけて次第に丘陵上へと移り変わり、松尾頭地区に小規模集団が住み始めたことでムラが形づくられました。
弥生時代後期になると、妻木山地区や妻木新山地区や松尾頭地区まで居住区域が広がりを見せます。そして、洞ノ原地区に、四隅突出型墳丘墓を主とした洞ノ原墳丘墓群や環壕が築かれました。墓域は、その後に妻木晩田遺跡内最大の四隅突出型墳丘墓を含む仙谷墳丘墓群へと移って行きます。さらに各地区では、住居数を増し最盛期を迎えます。その後、増減は見られますが松尾頭地区と妻木山地区は竪穴住居の密度が濃く、松尾頭地区で祭殿のような大型建物跡が出現します。弥生時代終末期になると松尾頭墳丘墓群が新たに形成され、方形周溝墓が築かれました。
古墳時代前期になると住居数が減少し、ムラは衰退に向かいます。墓域は松尾頭地区から仙谷墳丘墓群の北西端に移って行きました。古墳時代中期から終末期にかけては、長きに渡って、遺跡の北側半分に晩田山古墳群、番田山古墳群、松尾頭古墳群、妻木山古墳群など3基の前方後円墳を含む50基を超える古墳が築かれました。「鳥取県立むきばんだ史跡公園」は、現在でも発掘調査が継続されています。

石馬谷古墳
鳥取県改め「馬取県」
淀江平野の東端部、小枝山丘陵の西斜面中腹に位置する前方後円墳で、前方部を南西に向けます。小枝山古墳群を構成するひとつで、5号墳に相当する。また、北西にある向山丘陵に分布する古墳群と合わせて向山古墳群と総称されることもあります。
墳丘は、墳丘長64m、後円部径36m、高さ8m、前方部幅18m、高さ3.5mを測り、段築、葺石を備えます。墳丘には、円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪が配置され、さらに大山山麓の安山岩を用いた体長1.5m、高さ0.9mほどの石馬が見つかってます。当石馬は本州で唯一の存在となり、八女市の岩戸山古墳で確認されているものと合わせても全国でわずか二体の貴重な存在となっています。前足が損壊してますが、鞍、手綱、鐙などが写実的に表現されており、赤色顔料も一部残っていました。
当時の九州と山陰との交流を伺い知ることのできる貴重な資料として国の重要文化財に指定され、現在は、天神垣神社の収蔵庫に大切に保管されている。

石州府古墳群
西伯耆最大級の古墳群
日野川の右岸、大山西麓の丘陵上や扇状地上に分布する古墳群で、西伯耆最大級の古墳群です。丘陵上には古墳時代前期から中期の古墳が築かれ、扇状地上には古墳時代後期の古墳が築かれました。調査により扇状地上に展開する前方後円墳、方墳、円墳、石棺墓、石蓋土壙墓など多くの古墳が確認されています。現在、シャープ米子工場の西側に古墳公園として1号墳・48号墳・67号墳が保存されています。
1号墳は径42m、高さ6mほどの円墳で、市内最大級を誇ります。埋葬施設は、玄武岩を用いた両袖式の横穴石室で、現在は破損しているが石障が設けられていました。そして、玄門部は1枚の板石によって閉塞されています。
出土遺物は、金銅製頭椎太刀、鉄鏃、轡、鐙、須恵器が出土。金銅製頭椎太刀は、県内では3例しか確認されていない貴重な品となっている。
このほか敷地内には、48号墳・67号墳の横穴石室が移設保存されています。

向山古墳群
伯耆古代の丘公園
淀江平野の南東山裾に位置する「向山」と「瓶山(瓶山古墳群)」と呼ばれる二つの独立丘陵を中心として、前方後円墳9基、円墳5基、方墳2基、不明1基の計17基で構成される古墳時代中期末から後期にかけての古墳群です。伯耆古代の丘公園として整備され、上淀白鳳の丘展示館や淀江ゆめ温泉「白鳳の里」などが併設します。
丘陵の北東端に残る1号墳(岩屋古墳)は、全長52mほどの前方後円墳で、段築、葺石、造出、埴輪を備えます。埋葬施設は、全長9mほどの石棺式石室で、前室と後室とに分かれます。出土遺物は、須恵器、円筒埴輪、形象埴輪が出土。築造年代は、6世紀後葉と推定される。
丘陵中央部の向山4号墳は、全長64.5mで群中最大規模を測り、段築、葺石、造出、埴輪を備えます。出土遺物は、鉄鏃、須恵器、円筒埴輪、形象埴輪が出土。築造年代は、5世紀末~6世紀前葉と推定される。
丘陵南西端に残る長者ヶ平古墳(5号墳)は、全長48.5mほどの帆立貝式古墳で、段築、葺石を備えます。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、全長10.3mを測ります。また、石室の北側から小石槨が確認されています。出土遺物は、鉄刀、鉄鉾が出土。小石槨からも金銅製透彫冠、三累環頭把頭、金銅製三輪玉、銅鈴など豪華な副葬品が確認されています。築造年代は、6世紀中葉と推定される。
向山古墳群には2種類の埴輪が確認されており、淀江系と称される3号・4号・6号~8号墳で出土する古い埴輪と、雲伯系と称される1号墳や5号墳で出土する新しい埴輪です。それぞれがどのような背景で成立し、変化したのかは不透明ですが、前方後円墳が継続して築かれた向山古墳群で淀江系の埴輪が出雲の埴輪の影響を受けて変化して行ったことがわかります。

妻木晩田遺跡
鳥取県立むきばんだ史跡公園
米子市と大山町にまたがる晩田山及び大山山麓に存在した大集落遺跡で、弥生時代中期後葉~古墳時代にかけての竪穴住居跡、掘立柱建物跡、環壕、四隅突出型墳丘墓などの墳墓群などが発見されており、古代出雲の中心地でした。現在「鳥取県立むきばんだ史跡公園」として整備保存されている。
はじめ平地が中心であったムラは弥生時代前期から中期にかけて次第に丘陵上へと移り変わり、松尾頭地区に小規模集団が住み始めたことでムラが形づくられました。
弥生時代後期になると、妻木山地区や妻木新山地区や松尾頭地区まで居住区域が広がりを見せます。そして、洞ノ原地区に、四隅突出型墳丘墓を主とした洞ノ原墳丘墓群や環壕が築かれました。墓域は、その後に妻木晩田遺跡内最大の四隅突出型墳丘墓を含む仙谷墳丘墓群へと移って行きます。さらに各地区では、住居数を増し最盛期を迎えます。その後、増減は見られますが松尾頭地区と妻木山地区は竪穴住居の密度が濃く、松尾頭地区で祭殿のような大型建物跡が出現します。弥生時代終末期になると松尾頭墳丘墓群が新たに形成され、方形周溝墓が築かれました。
古墳時代前期になると住居数が減少し、ムラは衰退に向かいます。墓域は松尾頭地区から仙谷墳丘墓群の北西端に移って行きました。古墳時代中期から終末期にかけては、長きに渡って、遺跡の北側半分に晩田山古墳群、番田山古墳群、松尾頭古墳群、妻木山古墳群など3基の前方後円墳を含む50基を超える古墳が築かれました。「鳥取県立むきばんだ史跡公園」は、現在でも発掘調査が継続されています。

石馬谷古墳
鳥取県改め「馬取県」
淀江平野の東端部、小枝山丘陵の西斜面中腹に位置する前方後円墳で、前方部を南西に向けます。小枝山古墳群を構成するひとつで、5号墳に相当する。また、北西にある向山丘陵に分布する古墳群と合わせて向山古墳群と総称されることもあります。
墳丘は、墳丘長64m、後円部径36m、高さ8m、前方部幅18m、高さ3.5mを測り、段築、葺石を備えます。墳丘には、円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪が配置され、さらに大山山麓の安山岩を用いた体長1.5m、高さ0.9mほどの石馬が見つかってます。当石馬は本州で唯一の存在となり、八女市の岩戸山古墳で確認されているものと合わせても全国でわずか二体の貴重な存在となっています。前足が損壊してますが、鞍、手綱、鐙などが写実的に表現されており、赤色顔料も一部残っていました。
当時の九州と山陰との交流を伺い知ることのできる貴重な資料として国の 重要文化財に指定され、現在は、天神垣神社の収蔵庫に大切に保管されている。

向山古墳群
伯耆古代の丘公園
淀江平野の南東山裾に位置する「向山」と「瓶山(瓶山古墳群)」と呼ばれる二つの独立丘陵を中心として、前方後円墳9基、円墳5基、方墳2基、不明1基の計17基で構成される古墳時代中期末から後期にかけての古墳群です。伯耆古代の丘公園として整備され、上淀白鳳の丘展示館や淀江ゆめ温泉「白鳳の里」などが併設します。
丘陵の北東端に残る1号墳(岩屋古墳)は、全長52mほどの前方後円墳で、段築、葺石、造出、埴輪を備えます。埋葬施設は、全長9mほどの石棺式石室で、前室と後室とに分かれます。出土遺物は、須恵器、円筒埴輪、形象埴輪が出土。築造年代は、6世紀後葉と推定される。
丘陵中央部の向山4号墳は、全長64.5mで群中最大規模を測り、段築、葺石、造出、埴輪を備えます。出土遺物は、鉄鏃、須恵器、円筒埴輪、形象埴輪が出土。築造年代は、5世紀末~6世紀前葉と推定される。
丘陵南西端に残る長者ヶ平古墳(5号墳)は、全長48.5mほどの帆立貝式古墳で、段築、葺石を備えます。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、全長10.3mを測ります。また、石室の北側から小石槨が確認されています。出土遺物は、鉄刀、鉄鉾が出土。小石槨からも金銅製透彫冠、三累環頭把頭、金銅製三輪玉、銅鈴など豪華な副葬品が確認されています。築造年代は、6世紀中葉と推定される。
向山古墳群には2種類の埴輪が確認されており、淀江系と称される3号・4号・6号~8号墳で出土する古い埴輪と、雲伯系と称される1号墳や5号墳で出土する新しい埴輪です。それぞれがどのような背景で成立し、変化したのかは不透明ですが、前方後円墳が継続して築かれた向山古墳群で淀江系の埴輪が出雲の埴輪の影響を受けて変化して行ったことがわかります。

宗像古墳群
北部九州との関わり
米子市街地の南東、法勝寺川と日野川の合流地点西側の高山丘陵上には、当古墳群をはじめ、東宗像古墳群、観音寺古墳群など多くの古墳群が分布します。宗像古墳群は、式内社宗形神社の背後と国道を隔てた北側丘陵上に4基の前方後円墳含む計42基から成る北部九州系石室を有する後期古墳群です。
主墳とされる1号墳は、全長37 mの前方後円墳で、2基の埋葬施設を備えます。A石室は、両袖式の横穴石室で、奥壁に1枚岩を用いた羽子板状の平面プランを呈する。そして、側壁の腰石に大型石材を据え、その上に平行に板状の石材を積み重ねており、北部九州との関わりが推測される。B石室も同様に羽子板状の平面形を成す小型の横穴石室となります。
出土遺物は、A石室後室から円頭柄頭、鉄刀、鉄鏃、鉄鉾、金銅製帯金具、銀環、玉類が出土。A石室前室から鈴付雲珠、鉄刀、刀子、鉄鏃、玉類、須恵器などが出土する。そして、B石室から銅鈴、鉄刀、刀子、鉄鏃、玉類などが出土。築造年代は、古墳時代後期後葉と推定される。

石州府古墳群
西伯耆最大級の古墳群
日野川の右岸、大山西麓の丘陵上や扇状地上に分布する古墳群で、西伯耆最大級の古墳群です。丘陵上には古墳時代前期から中期の古墳が築かれ、扇状地上には古墳時代後期の古墳が築かれました。調査により扇状地上に展開する前方後円墳、方墳、円墳、石棺墓、石蓋土壙墓など多くの古墳が確認されています。現在、シャープ米子工場の西側に古墳公園として1号墳・48号墳・67号墳が保存されています。
1号墳は径42m、高さ6mほどの円墳で、市内最大級を誇ります。埋葬施設は、玄武岩を用いた両袖式の横穴石室で、現在は破損しているが石障が設けられていました。そして、玄門部は1枚の板石によって閉塞されています。
出土遺物は、金銅製頭椎太刀、鉄鏃、轡、鐙、須恵器が出土。金銅製頭椎太刀は、県内では3例しか確認されていない貴重な品となっている。
このほか敷地内には、48号墳・67号墳の横穴石室が移設保存されています。

青木遺跡
西伯耆の土器編年
日野川と法勝寺川の形成した沖積地に挾まれた長者原台地に営まれた弥生時代中期~奈良時代の集落跡を中心した複合遺跡です。調査では、住 居跡群、掘立柱建物跡群、古墳、方形周溝墓、縄文時代の土壙や落し穴など多くの遺構が確認され、北側に隣接する福市遺跡と並び山陰地方を代表する遺跡で、数か所にわたって史跡公園として一部が保存整備されています。
台地北端に当る丘陵の一支脈上には、前方後円墳4基、方墳12基、円墳39基の計55基が築かれています。また、北西丘陵の先端部には周囲に溝を巡らせた弥生時代の方形周溝墓が確認されている。さらに西側丘陵上では、方墳10基、円墳7基、土器棺、箱式石棺、割竹型木棺、多種多様な埋葬施設が検出されています。
出土遺物は、内行花文鏡、鉄刀、刀子、鎌、土製品、玉類、土器など多くの遺物が出土。出土した土器は西伯耆の土器編年の指標となっています。
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