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東近江市

八之塚古墳群

八の塚?

愛知川の流域、河岸段丘上に残るもとは8基?から成る古墳群です。説明板に現認できるのは7基となっているが、確認できたのは5基程度となる。  5号墳で、高さ3.4mの形の良い円墳をみることが出来ます。被葬者は、最新の農耕技術などを伝えた渡来人である愛知秦氏と推測されます。
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八幡社古墳群

雪野山山麓に造営

県内最古の雪野山古墳がある雪野山東麓谷間に位置する古墳群で、前方後円墳1基を含む17基から構成される。山腹に5基、緩傾斜地から裾部平坦地にかけて12基とに大きく分けられ、直線状に2基または3基程度のまとまりをもって分布しています。  見所は、古墳群唯一の前方後円墳(全長24m)である46号墳です。後円部、くびれ部、前方部に横穴式石室が開口しています。後円部のA石室は、両袖式で玄室長4.2mを測り、くびれ部のB石室は、片袖式で玄室長3.15m、前方部のC石室は、両袖式で玄室長2.8mを測り、L字形の平面形をしています。そして、後円部A石室→くびれ部B石室→前方部C石室の順に構築されている。築造年代は、6世紀後半と推定。  そのほか円墳である41号墳の石室基底部が保存されています。両袖式横穴石室で、玄室長2.9m、幅1.3m、羨道長2.3m、幅0.9mを測り、副葬品として土師器、須恵器、鉄釘、鉄製品が出土しています。築造年代は、7世紀前半と推定。

勝堂古墳群

5基が現存する

愛知川の中流域右岸に分布する骨塚古墳、朝日塚古墳(山上塚古墳)、行者塚古墳、おから山古墳、赤塚古墳、弁天塚古墳の6基からなる古墳群で、6 世紀後半~7世紀中頃まで造営されました。  墳丘規模は径20m~30mほどの円墳(行者塚古墳は方墳の可能性あり)で、横穴式石室を備える。また、朝日塚古墳では、朱彩された石室を見ることが出来ます。そして、古墳群近隣に位置する正眼寺(2点)と瑞正寺(1点)で石棺材が確認され、かつて古墳から持ち出されたとされる。  被葬者については、当地域を本拠とする優れた土木技術ともに渡来してきた依知秦氏と考えられています。

天狗前古墳群

階段式横穴石室

雪野山の南東麓から派生する丘陵上南端に分布する古墳群で、かつて20数基の存在が確認されました。現在は、名神高速道路建設に伴い1号~6号墳は調査後消滅。その後、7号墳と10号墳は、保存整備のため公園化されています。  多くは墳丘が流失していますが、径15m~20mほどの円墳と考えられ、10号墳では外護列石を配し、埴輪列を巡らせていました。埋葬施設は、羡道と玄室の境に階段状となる構造の横穴石室を備える。階段式横穴石室は、渡来系氏族特有の石室と考えられ、主に湖東地域に多く分布しています。  古墳群は、7号墳と10号墳を山頂部築造した後に丘陵斜面に比較的に規模の小さい1号~6号墳、8号、9号墳を築造して行きました。それに伴って、石室構造も階段式横穴石室から段差のない横穴式石室に変遷したと考えられています。築造年代は、7号墳で6世紀後半、10号墳で6世紀中頃と推定される。

小八木古墳群

宇曽川(コスモス街道沿い)の左岸、小八木町集落周辺に分布する古墳群です。  横穴式石室を主体部とした円墳で、集落東側の畑の中に道路が迂回する墳丘があり、石室石材が露出しています。また、集落内の来迎寺裏でお宮として祀られる1基を確認しました。

山ノ神古墳

水田に石室露出

河辺の森駅南西の水田の中に横穴式石室が露出しています。見通しが良いので遠方からでも視認できると思います。

平柳古墳群

17基から構成される

琵琶湖に流れ込む宇曽川の左岸に分布する古墳群で、17基から構成される。現在は、天満神社境内などに10基ほどに確認できるのみとなっている。

平石古墳群

85号墳

山頂に雪野山古墳が分布する雪野山の東の麓に位置する古墳群で、59基から成ります。  そのうち85号墳は径15mほどの円墳で、集落縁辺の山裾に位置し、白い標柱が建てられています。主体部は、両袖式の巨石を利用した横穴石室で、全長10.2mを測ります。この他、雪野山の東麓には小型の円墳群が見られ、定石古墳群(15 基)、火打谷古墳群(10 基)などが分布しています。

木村古墳群

あかね古墳公園

日野川の中流域右岸、雪野山と玉緒山との間に挟まれた平野部南側に分布しており、県下最大規模の中期古墳群です。久保田山古墳、天乞山古墳、ケンサイ塚古墳、石塚古墳、入刀塚古墳の5基などによって構成されています。名神高速道路建設などに伴って多くの古墳が消滅しましたが、残された久保田山古墳と天乞山古墳の 2基を「悠久の丘あかね古墳公園」として整備保存しています。  久保田山古墳は、径57m、高さ6mの円墳で、南北に造出が付きます。墳丘には、葺石、段築を備え、埴輪、卵型の周溝を巡らせます。埋葬施設は、明らかではないが6~8mほどの竪穴石室と考えられている。築造年代は、出土した埴輪から5世紀前半と推定される。  天乞山古墳は、東西65.6m 南北65.2mほどの方墳で、南北に造出が付きます。県内の方墳として最大規模を誇ります。墳丘には、葺石、段築を備え、埴輪、周溝を巡らせる。埋葬施設は、竪穴石室で長さ6.7m 幅1.3m 深さ1.5mを測ります。築造年代は、5世紀前半と推定される。

池田古墳

愛知川最上流部の方墳

愛知川の左岸、最上流部の河岸段丘上に位置する方墳で、畑の中に墳丘を残してます。  墳丘規模は、一辺23m、高さ5mほどで、南東の一部が削平されてるが比較的良く残ってます。埋葬施設は、川原石を利用した玄室長3.8m、幅1.6~1.7m、羨道長6.8m、幅1mの両袖式の横穴石室です。玄室内は、埋没気味となっている。  出土遺物は、確認されていない為、築造年代についても6世紀~7世紀代と幅広く推定されている。

熊の森古墳

市辺忍歯別命山陵

愛知川の中流域、名神高速道路八日市ICの北側の畑の中に残る墳丘で、おそらく前方後円墳と思われます。墳丘横の道路沿いには、「市辺忍歯別命山陵」の石碑が建っています。  市辺之忍歯王は、履中天皇の皇子で従兄弟の大泊瀬皇子(雄略天皇)と一緒に猪狩りに出かけ、馬上から弓で射落とされ殺害されるという言い伝えがあります。その市辺之忍歯王の墳墓と考えられてましたが、現在は近鉄長谷野駅の西方の市辺古墳(磐坂市辺押磐皇子御墓)が宮内庁に治定され管理されてます。

狐塚古墳群

水田に浮かぶ3基

五個荘川並町のきぬがさ山トンネル東側、水田の中に3基残る(もとは4基)古墳群です。現状は、墳丘が流失し、横穴式石室の石材が露出しているようです。
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