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山辺町

坊主窪古墳群第一号墳

坊主窪古墳群第一号墳

日本海側最北端の前方後円墳

坊主窪は「ごさ窪」「四十八森」とも呼ばれている。第1号墳は標高250mの地に位置し、全長27.5m、後円部径15.7m、前方部長さ9.8m、前方部幅16~17m、高さ1.66m、周溝幅1.85mの規模となる。  日本海側最北端の前方後円墳。調査により最初に円墳が造られ後に前方部が追加されたという稀有な古墳である。後円部に2人の被葬者が埋葬されている可能性も指摘される。さらに周辺から縄文遺物が多数出土しており、8千年前の集落跡があったとされてる。
大塚天神古墳

大塚天神古墳

埴輪が並ぶ墳丘は日本海側北限

墳丘周囲のテラスから野焼きの焼成跡が残る円筒埴輪や朝顔型埴輪の破片が大量出土する。その特徴から築造年代は古墳時代前期の4世紀後半と推定され要害古墳群第1号墳に続く。山形盆地最古級の古墳とされ、埴輪を持つものとして日本海側で北限の大円墳となる。  埴輪は畿内的特徴を示し大和政権と近い関係にあったものと思われる。この辺りが「エミシ」と「大和政権」との境界域であったことを示す遺跡とも考えられる。
要害古墳群第一号墳

要害古墳群第一号墳

山形盆地で最古の方墳

標高286mの高台に立地する方墳で、付近には10数基の古墳が存在し古墳群を形成している。遅くとも4世紀の第3四半期には築造されている古墳で、2度にわたり埋葬がされた可能性がある。さらに葺石をもつものとして山形盆地では珍しい。  この古墳は、大塚天神古墳に先行し、山形盆地で最古の方墳である。
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