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日田市

東寺横穴墓群/ダンワラ古墳

金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡

三隈川の北岸、JR豊後三芳駅の北側丘陵崖面に築かれた横穴墓群とその麓にあったとされる古墳がダンワラ古墳で、唯一の金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(九州国立博物館展示)が見つかったと考えられている。  1933年に線路の盛土を採集している際、石棺が出土し、副葬品として金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡の大発見につながりました。 残念なことに発見から調査に至るまで長い年月が経過しており、発見時には線路工事によって破壊されているため、ダンワラ古墳が実際の鏡の出土地であったという明確な実証が得られていない。  金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡は、径21.1cm、厚さ2.5mmを測り、約3分の1が残存してました。中心部分には、金で「長宜子孫」と4文字が刻まれています。鏡の装飾文様は、全面に金で龍文が象嵌され、角や爪は銀の象嵌が施され、眼など体には赤や緑の玉が嵌入されています。このほか鉄刀、轡、金錯鉄帯鉤などが出土し、周辺からは玉類が出土している。

縫ヶ迫古墳群

坂本伯耆守鑑次の墓に転用

花月川の左岸、葛原台地から派生する丘陵中腹に分布する2基から成る古墳ですが、明確な墳丘が確認できるのは、1号墳のみと思われる。  1号墳は、径15mほどの円墳で、墳頂に竪穴式石室の板石が確認できます。その板石を用いた墓標が建っており、大友時代の日田八郡老の一人である坂本伯耆守鑑次の墓に転用されたことがわかります。  1号墳の上方には、前方後円墳の2号墳が残るとされるが、はっきりしないのが現状です。すぐ横には、詳細不明な高まりが残っています。

クエト古墳群

慰霊碑たつ

有田川の南岸丘陵上に築かれた2基の円墳ですが、開墾時に削り取られ消滅する。現在は、慰霊碑が建てられている。所有者によって今は見学を固く禁じられています。他詳細は不明。

草場古墳

高まり確認

「辻原台地」の東側に築かれた径15mほどの低い円墳で、大分自動車日田インターチェンジの南東に位置する。ちょうど国津神社の東側に分布し、同台地上には、草場原古墳やブドウ畑古墳などが存在したようです。  周辺域では、6世紀頃の土師器、須恵器、磨製石斧などが採取されている。他詳細は不明。

鬼塚

古墳か微妙~

三隈川の北岸、会所山の南麓の畑に囲まれた地に「おんづか」と呼ばれる塚があります。江戸時代には広瀬淡窓先生によって歌も詠まれている史跡となります。  古墳かどうかは確証がありませんが、周辺には巨石が転がり、お堂が建っており、山頂まで取り囲むように石仏が並んでいます。他詳細は不明。

亀ノ甲古墳

石室石材露出

通称「松野原」台地の端部に位置する円墳で、竹林の中に残ってます。墳頂部には、石室石材が数個確認できます。未調査の為、他詳細は不明。

ガランドヤ古墳群

ガランドヤ古墳公園

三隈川の左岸段丘上、日田盆地西端部に位置する古墳群で、3基から構成されます。1号墳・2号墳では装飾の描かれた石室が発見されました。令和4年3月より「ガランドヤ古墳公園」として整備保存され、ガイダンス施設が併設しています。石室見学は、定期的に開催されおり予約制となってます。  1号墳は、複室構造の横穴式石室で、全長11.2m、玄室長4.1m、幅3m、高さ3.4m、前室長2.1m、幅2.5m、高さ2.7mを測ります。奥壁に赤色の文様を緑色で縁をとる手法を用いて、人物・馬?・舟・鳥・円文など描いています。出土遺物は、鉄鏃、耳環、玉類、馬具、土師器、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。  2号墳も同様に複室構造の横穴式石室で、全長11.6m 玄室長3.3m、幅2.8m、高さ3mを測ります。玄室ほぼ全体に赤色の顔料を塗り、奥壁に緑色の顔料を用いて騎馬人物・同心円文・連続山形文を描いています。出土遺物は、鏡、鉄刀、耳環、玉類、鉄製工具、馬具、土師器、須恵器が出土。築造年代は、6世紀中葉と推定される。

法恩寺古墳群

日下部氏一族の墳墓

三隈川の右岸、法恩寺山丘陵上に近接して築かれた古墳群で、7基の円墳から成ります。「豊後国風土記」の日田郡の条には、欽明天皇の頃に靱部として仕えていた日下部氏の祖先が刄連郷に居を構えていたと記されており、古代日田地方の豪族日下部氏の墳墓群ではないかと考えられています。  3号墳では、全長8mほどの複室構造の横穴石室に、円文・同心円文・馬・人物・騎馬人物・鳥・四足獣などの装飾が施されており、筑後川流域ではよく見られます。出土遺物は、琥珀製棗玉、轡、雲珠、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。  隣接する4号墳では、成人2体、子供1体の人骨、変形五獣鏡、直刀、鉄鏃、鹿角装刀子、馬具、玉類、須恵器など多くの遺物が出土しています。築造年代は、3号墳に先行する6世紀中葉と推定されます。

会所山の遺跡群

古代遺跡が集積(鳥羽塚など)

日田市の東部、日田分地に突き出す通称「ヨソ山」という丘陵先端部に分布する遺跡群です。かつては、「エソ」と言われていました。三韓征伐の時に国造である鳥羽宿祢の構える館で将兵を集めて軍議をしたことから「会所の宮」との伝承があります。丘陵上には、古墳と思われる墳丘、弥生時代の甕棺墓、住居跡などの遺跡が散在しいる。  丘陵の麓には会所八幡社が鎮座し、八幡三神が祀られ、景行天皇と比佐津媛も合祀されています。豊後風土記には、筑紫から日田に入った景行天皇を比佐津媛が迎えた所とも伝わっています。  さて、丘陵上の東側の古墳と思われる墳丘だが、北側の頂部に前方後円形の墳丘が確認されている。「古代日田を語る会」によってレーダー探査が行われ、石室らしき反応があった為、トレンチを堀ったが自然堆積層の境にカーボン粒子層を形成したことで、レーダーが反応したことがわかりました。南側の頂部には、円墳があったようだが、こちらも墳丘らしきものを確認できませんでした。  丘陵の西側尾根先端部に位置する鳥羽塚古墳(止波塚)は、径10mほどの円墳とされるが西側のタンク横にありました。目印として墳丘があった所に木が植えられているようです。出土遺物は、須恵器(高坏・𤭯)が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。

ガニタ古墳群

3基の古墳群

有田川に流れ込む求求里川の右岸、南西方向に突出する丘陵先端部に分布する3基から成る古墳群です。3基ともに状態は良いとは言えない。1号・2号墳は尾根上に位置し、3号墳は西側斜面の中腹に石材が散乱する程度で古墳ではない可能性があります。  1号墳は、墳丘がほぼ流失し、南西方向に開口する横穴式石室の一部が露出する。2号墳は、1号墳の北側に位置しており、径10mほどの円墳が残ってます。他詳細は不明。

有田塚ヶ原古墳群

胴張三味線型

日田市東有田、大分自動車道の南側丘陵上に位置する古墳群で、ウッド平島公園の真南の林の中に2号墳が残ってます。1号墳は消滅したようです。  1号墳は、径10m、高さ1.5mほどの円墳で、胴張三味線型の横穴式石室を主体部とします。出土遺物は、鉄鏃、刀子、馬具、玉類、須恵器が出土する。築造年代は、6世紀代と推定される。  唯一残る2号墳は、小型の円墳が残っており、墳頂が陥没し、横穴石室の天井石が露出しています。未調査のため、他詳細は不明だが、1号墳同様に6世紀代の築造と推定される。

尾漕2号墳石棺

ウッド平島公園内

有田川の南岸、求求里川沿いに開けた沖積地を見通すことができる台地鞍部の最高所に築かれた古墳です。造成工事の際に当古墳のほか縄文時代~古墳時代にかけての有田塚ヶ原遺跡群が見つかっています。現在は、ウッドコンビナート内のウッド平島公園内に復元展示されています。  墳丘規模は、径25m、高さ3mほどの円墳で、南側に弧を描くように幅3mの周溝が巡っていました。周溝からは、甕、椀、高杯が出土しています。  埋葬施設は、墳頂部ほぼ中央に第一主体部が確認され、やや南に第二主体部が存在しました。復元展示されている第一主体部には、大きな凝灰岩の板石5枚と安山岩板石1枚を用いた箱式石棺が据えられていました。石棺材にはベンガラ、出土した人骨からは水銀朱が認められています。副葬品として素環頭太刀、直刀、刀子、竪櫛が納められていました。第二主体部は、墓坑が確認され、蓋石と思われる凝灰岩の板石が墓坑の壁に倒れ掛かるよう表出していました。副葬品として鉄刀が出土。  築造年代は、石棺材の特徴が新しいことや周溝から出土した遺物の形式から5世紀初頭~前半と推定される。

惣田塚古墳

石室露出状態

三隈川の南岸、その三隈川に高瀬川が流れ込む合流点の南側河岸段丘上に位置する古墳です。  墳丘規模は、径13m、高さ3mほどの円墳です。埋葬施設は、前室と玄室に分かれる複室構造の横穴式石室で、玄室長2.1m~2.33m、幅2m~2.12m、高さ1.5以上、前室長1.83m、幅1.86m~2.11m、高さ1.35mを測ります。現状、石室が露出状態となり、埋没気味となっている。  築造年代は、奥壁に1枚岩を用い、その上に平積みに石材を突出させ、側壁は切り石を持ち送るなどガランドヤ1号墳に類似することから6世紀後半と推定される。

薬師堂山古墳

市内唯一の円筒埴輪

大波羅丘陵の西側先端部に位置する古墳で、大原八幡宮の裏山に残っています。東側70mほどには、丸尾神社古墳が存在します。  墳丘規模は、径35m、高さ5mの大型円墳で、市内唯一の円筒埴輪(朝顔形埴輪)が立てられていたことがわかってます。埋葬施設は、竪穴式石室及び箱式石棺が考えられます。築造年代は、5世紀前半と推定される。

丸尾神社古墳

丸王山古墳

大波羅丘陵の頂部に位置する古墳で、丸尾神社が鎮座する。別名「丸王山古墳」とも言われる。西側70mほどには、薬師堂山古墳が存在する。墳丘は、形の良い墳丘が残っており円墳とされる。他詳細は不明。

千人塚古墳群

玖珠川と大山川の合流点

玖珠川と大山川の合流する地点に桃山丘陵があり、その北西斜面に3基の古墳群がありました。現在は、住宅地になっており、2号墳と3号墳は消滅する。  辛うじて残る1号墳は、径7mほどの円墳とされ、横穴式石室の石材が住宅地に上がるコーナーに散乱しています。他詳細は不明。

丸山古墳

円墳と判明

花月川の左岸、慈眼寺丘陵から派生する丘陵中腹に築かれた古墳です。ちょうど城町変電所の東側丘陵に位置しています。  墳丘規模は、径20m、高さ7mほどの円墳で、以前は前方後円墳と考えられて来ましたが、円墳と判明しました。市内では、比較的大きな墳丘と言えます。埋葬施設は、長さ2m、幅0.5mほど竪穴式石室とみられている。他詳細は不明。築造年代は、5世紀代と推定される。

用松中村古墳

一辺21mの方形状

花月川の右岸、三和天満宮のある丘陵「山田原台地」の東端部に位置する方形状の古墳です。別名「小塚古墳」とも言われる。  墳丘規模は、一辺21m、高さ6mほどで、方墳の可能性が考えられています。墳丘斜面には、葺石と思われる石が確認できます。他詳細は不明。

朝日天神山古墳群

天満古墳群

日田盆地の北部、宮原大地上の南端部に築かれた大小2基の前方後円墳で、前方部を西に向け隣接して存在しています。以前は、天満古墳群とも言われていました。  1号墳は、全長54.3m、墳長33.8mを測り、鍵型の周溝が巡っていました。墳丘上には、社殿が建ってます。埋葬施設は、前方部と後円部に横穴式石室が確認されています。また、古墳群近くの畑では石枕が見つかってます。出土遺物は、変形五獣鏡、鉄刀、三輪玉、馬具、須恵器、土師器など多くの遺物が出土しています。築造年代は、2号墳に後続する6世紀後半と推定される。  2号墳は、全長85.5m以上、墳長65mを測り、段築、葺石、二重の周溝を備えていました。埋葬施設は、未調査ですが、こちらも前方部と後円部に二つあることが推定されています。出土遺物は、環状把手付横瓶、大型平底須恵器、大型器台出土しており、須恵器においては埴輪の代用として立てられていたことが考えられます。築造年代は、1号墳に先行する6世紀前半と推定されます。大分県古墳時代後期において、日田・玖珠地方最大規模を誇る前方後円墳です。

姫塚古墳

蛇行剣出土伝わる

三隈川を臨む河岸段丘上に位置する古墳で、日田市立高瀬保育園の東隣に残ってます。  墳丘は、径10m、高さ3mほどの円墳で、墳丘が陥没し原形を留めていない。埋葬施設は、二つの竪穴式石室が確認されており、西側石室が長さ1.7m、幅0.8、高さ0.6mを測り、東側石室は、ほぼ消滅する。  出土遺物は、鉄剣、鉄鏃、土師器が出土。なかでも鉄剣は、希少な蛇行剣と伝わっており、現状長38.8cm、幅2.6cm(最大)、厚さ0.5cm(最大)を測ります。先端部及び基部が欠損しているが2ヵ所の凹凸を成し、緩やかに湾曲している。築造年代は、5世紀代と推定される。

護願寺古墳群

前方後円墳含む3基

日田盆地の南西、三隈川を臨む望む河岸段丘上に分布する前方後円墳1基と円墳2基から古墳群です。護願寺から上野に抜ける山道沿いに残っています。  1号墳は、全長35m、後円部径20mの小型の前方後円墳で、前方部を西に向けます。2号墳と3号墳は、円墳とされ横穴式石室が主体部と考えられています。詳しい調査が行われていない為、他詳細は不明。

吹上・北友田横穴墓

市内最大規模

花月川の北岸、北友田から吹上に至る台地の南側崖面に分布する横穴墓群で、東側を吹上、西側を北友田と呼び分けています。  昭和の発掘調査により20基ほどが発掘調査されており、横穴墓には、列を成した小道が付けられ、個別の羨道部をもたず、単室構造の玄室となっています。横穴墓によっては、閉塞石が残っているものも存在します。出土遺物は、人骨、須恵器子持高坏が出土しており、6世紀後半の築造と推定される。その後の平成15 年には、掘削工事の際に 1基の横穴墓が発見され、玄室奥行70cm 、最大幅80cm、高さ30cmほどの小型の横穴墓が確認されています。

鳥越古墳

横穴墓?

標高約135mほどの朝日ヶ丘台地の南端部に位置する古墳です。こんもりとする墳丘に横穴が開口するが、横穴墓のように見えます。詳細は不明。

上野姥塚、カグネ塚

記念碑に転用

三隈川の南岸、上野台地の西側にあった古墳ですが、いずれも消滅しております。耕地整理の記念碑を建てる際に主体部である横穴式石室の石材に転用しています。他詳細は不明。

星隈山遺跡

44基の横穴墓群

日田盆地の北側を流れる三隈川と南を流れる花月川との合流地点に「三隈の山」の一つである星隈山があります。月隈山と日隈山と星隈山を総称して「三隈の山」と呼びます。  星隈山遺跡(横穴墓群)は、その星隈丘陵上に44基ほどが確認されている。詳しい調査は、行われていないが、多くの遺物が確認されているようです。  国道386号線を挟んで三郎丸古墳が位置しており、横穴式石室が露出しています。

三郎丸古墳

川辺に巨石露出

花月川が三隈川に合流する手前、左旋回する右岸に築かれた古墳です。現在、石室が露出しており、民家が近くまで差し迫り、古墳横の大木と共に川に転落せず、ようやく残っている状態です。すぐ南側には、日田三隈の一つとされる星隈公園が位置しています。  墳丘は流失し、巨石を用いた横穴式石室が露出状態となっている。石室規模は、玄室部長3.7m、幅2.7mを測り、天井部がドーム状で胴張りの平面形を成しています。築造年代は、6世紀後半と推定される。

穴観音古墳

円・三角・人物・鳥・舟

三隈川の南岸、長者原台地に築かれた古墳で、「日下部の長者」の伝承地とされています。被葬者は、その日下部の一族の墓だとも言われています。  墳丘は、径19mほどの円墳で、幅4mの周溝が巡っていました。埋葬施設は、前室と後室に分かれる複室構造の横穴式石室で、全長6.9mを測り、装飾が施されていました。奥壁には、同心円や連続三角文、玄室側壁には円文や舟や人物、前室側壁には、同心円や舟や人物などが描かれていました。現在、石室は保護を目的として施錠されているため、見学することができません。  出土遺物は、土師器、須恵器が出土する。築造年代は、6世紀末 ~7世紀初頭と推定される。

津辻古墳(1号墳)

巨石石室が露出

三隈川の南岸、河岸段丘上に築かれた古墳で、巨石を用いた横穴式石室が露出します。公民館前の住宅地の一角に位置しています。  2号墳も存在していたが、国道210号線建設の際に消滅する。出土遺物として勾玉、管玉、切子玉、金環、鉄斧、鉄刀、刀子が出土しています。他詳細は不明。

中尾古墳群

箱式石棺が露出

有田川に流れ込む求来里川の左岸、中尾原台地から南から北に派生する丘陵上に分布する2基の古墳群です。すぐ南側に大分自動車が走っています。  1号墳は、径26mほどの円墳で、墳頂部に石棺が露出しています。南側の2号墳は、径15mほどの円墳で、墳頂部に石棺の蓋と思われる石材が露出する。  2号墳のすぐ南側には、箱式石棺墓、土壙墓、石蓋土壙墓から構成される5世紀後半の大迫遺跡があります。

平島古墳

平島天満宮

花月川に流れ込む有田川の左岸、日田市立有田小学校南側の丘陵裾部に位置する古墳で、平島天満社のすぐ背後に残ってます。周辺域では、平島横穴墓群、住居跡が発見された平島遺跡が位置します。  墳丘は、径10m、高さ4mほどの円墳で、比較的に良好に残っている。墳丘前には、説明板が立っています。

城山古墳

ミニ前方後円墳

花月川に流れ込む有田川の右岸、須ノ原台地から派生する丘陵平坦部に位置する前方後円墳です。日田市東有田振興センターの北の裏山になります。  墳丘規模は、現状で墳丘長26.5m、後円径19m、高さ4m、くびれ幅10m、前方部長12m、幅6m、高さ1mを測り、前方部を西に向けます。前方部は、低く短い形状をしており、古い前方後円墳の特徴をしています。  埋葬施設は、竪穴石室または箱式石棺と考えられています。築造年代は、5世紀代と推定される。
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