青津古墳群に属し、前方部を西に向けた全長129.4mの前方後円墳で県内1位を誇ります。会津大塚古墳と並んで会津の双璧と言えるでしょう。 残念ながら墳丘自体は、城やお墓の利用で改変されている。後円部は3段築成でかつては壺形埴輪、円筒埴輪、朝顔形埴輪が立ち並び、周囲は周溝が巡っていた。出土埴輪より4世紀後半の築造と推定。
亀ヶ森古墳に 隣接し、前方部を同様に西に向ける全長55.2mの前方後方墳です。葺石は確認されてないが墳丘は段築があり、相似形の周溝が巡る。亀ヶ森古墳とほぼ同時期の4世紀後半の築造。
古墳時代前期に継続的に築造された青津古墳群の出崎山支群で、前方後円墳2基、方墳1基、円墳5基から構成される。
前方後円墳1基、円墳2基からなる支群で、道路から見える茶色の鳥居から丘陵へと登って行く。全長47m、円部径27m 高さ7.5m、前方部幅14m 高さ3mとなります。4世紀後半の築造。
杵ガ森古墳付近を含む古墳時代前期の遺跡で、竪穴式住居跡15軒、掘立柱建物跡3棟、方形周溝墓23基程度が確認されている。建物群が古墳時代初頭に集落として営まれ、廃絶後の跡地の上に杵ガ森古墳が築造され、さらに周囲に杵ガ森古墳に何らかの関連性のある人々の方形周溝墓が築造されたと考えられている。
当初は楕円形の墳丘と考えられていが、平成2年の調査で前方部がバチ型に開く前方後円墳ということが判明し、奈良県の箸墓古墳の6分の1の相似形と言われてます。周溝から赤色壺形土器、器台が出土しており4世紀前半の築造と推測される。
現状は円墳で、墳頂に愛宕神社の社殿が建っている。もとは短い前方部を持つ帆立貝式前方後円墳と考えられ、後円部は長径35.8m、短径30mの楕円形を成す。築造年代は詳しい調査はされてませんが古墳時代前期と推測される。
只見川の段丘上にあって、古墳群を形成していたものと思われる。説明板にも付近には陪墳があったようなことが記載されております。墳丘上には子安観音が祀られており、そのおかげで残ったのかもしれません。
青津古墳群に属している鍛冶山支群で、前方後円墳1基、円墳11基で構成される。鍛冶山古墳(4号墳)は全長21mの小型の前方後円墳となります。隣接するように円墳も密集する。