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豊川市

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旗頭山尾根古墳群

豊川流域の積石塚群

吉祥山から西に下る旗頭山の尾根に位置し、北側眼下に豊川を臨む38基から成る積石の群集墳です。行政区は、新城市と豊川市に跨る。  1~18号墳は土石混合墳、19~24号墳は積石塚で尾根伝いに分布しております。墳丘規模は、最大のもので径27m、高さ2mで、ほとんどが10m以下を測ります。  26号墳が桜淵公園少年の家駐車場に復元されてます。径6.5mの円墳で、全長4.5mの無袖の横穴石室が開口してます。  このような積石の群集墳は、愛知県内ではここ東三河でしか見ることのできない貴重な存在となります。近県でも長野県の善光寺平周辺地域や山梨県甲府市で見られる程度です。造営期間は、6世紀~7世紀と推定。
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炭焼平古墳群

素晴らしく明瞭な石列

本宮山から南に派生する一支丘上に分布する36基から成る古墳群で、うち4号墳が唯一の前方後円墳となります。  県道21号豊川新城線の道路沿いには、15、17~19号墳が残されてますが、低い墳丘で詳しい調査が行われていないので詳細不明です。そこから南東に300mほど入ったビニールハウスに囲まれた位置に4号墳があります。全長34.5mの前方後円墳には、墳形がはっきり確認できる程に石列が巡らされてます。埋葬施設は、天井石を失った横穴石室が露出してます。出土遺物は、玉類、武器、須恵器などが出土。14号墳からは、鳥钮蓋付壺が出土。古墳群の築造期間は、6世紀後葉~7世紀後葉と推定される。
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穴観音古墳

東海初の三帯の列石

舌状丘陵の先端に位置する円墳で、県立御津高等学校の裏山に大きな横穴石室が開口し、奥には石造の観音様が祀られています。  径20mほどの墳丘には、三段に外護列石が巡って、このような形態は東海地域では珍しく初めて導入されたものと言われます。横穴石室の全長8.2mほどで、奥壁は1枚岩、玄門、羨門に三河特有の立柱石を用いております。  出土遺物は極めて少なく、石室形状、墳丘形態から6世紀後半~7世紀前半と推定される。
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舟山古墳群

小型石材を多段積み

一宮生涯学習センター裏、舟山という独立丘陵上にある10基ほどの古墳群です。ほとんどが15m前後の円墳であり、2号墳の前方後円墳で、横穴石室の基部が露出する。  2号墳の墳丘規模は、全長33m、後円部径18m、高さ3mを測ります。天井石を失った横穴石室は、玄室長2.3m、奥壁幅2.2mを測り、小型の石材を多段積にして南に開口する。出土遺物は、大刀、鉄鏃、須恵器が出土。築造年代は、6世紀の前半と推定される。
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御津舟山古墳

須恵質の円筒埴輪出土

御津町船山の民家に囲まれた前方後円墳で、形良い墳丘を残しています。  墳丘規模は、全長37m、後円部径21m、前方部最大幅15mを測り、周溝が巡っていたようです。墳頂に盗掘跡がありますが、埋葬施設は不明です。  出土遺物は、墳丘法面で採取された須恵質の円筒埴輪が確認されてます。築造年代は、6世紀の中頃と推定。
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横穴古墳群

墳名ちょうだい

県道豊金野線沿いに位置する古墳群です。現状は、わずかな石材が残る程度で一応扉が付いていますが、説明板がないと古墳とはわかる状態ではありません。御津町のホームページによると藤久保に5か所、西沢に6か所、足見に1か所に円墳があったと載ってます。  せめて横穴古墳群の名前ぐらいは付けてまらいたいです。築造年代は6世紀~7世紀と推定。
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観音山古墳

西国三十三ヵ所観世音

墳丘は流失し、徳川時代の中期に西国三十三ヵ所観世音と刻まれた石室の奥壁と天井石が残るのみで、もとは円墳のようです。他詳細は不明ですが、すぐ東に名鉄名古屋本線、他の路線も入り組んでる中、説明板もあって良く残ってくれてます。
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糠塚古墳

奥の院に隣接

五社稲荷古墳と同様に、五社稲荷神社境内に残り、奥の院横に位置する径17.5m、高さ2mほどの円墳です。墳丘自体は草木が茂っており、墳頂には石祠が祀られています。
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五社稲荷古墳

弥生土器が含む墳丘

豊川の右岸、段丘縁辺部に位置する円墳で、墳丘上に五社稲荷神社が建ってます。かつてこの付近には、弥生時代中期~後期の環濠集落である欠山遺跡が広がっていました。  墳丘規模は、径32.5m、高さ4.75mを測り、埴輪、葺石、周溝は確認されておりません。社殿建設の際に調査が行われ、墳丘の盛り土には大量の弥生土器が含まれおり、周辺の土を盛って築造されたと思われる。埋葬施設は木棺直葬と推定。直接的な出土品は不明ですが、築造年代は古墳時代中期と考えられます。
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念仏塚1号墳

日吉原古墳群を形成

陸上自衛隊日吉原演習場の南、かつては前方後円墳3基を含む、8基から構成される古墳群を形成していました。現在は、南を通る東名自動車道工事の為、シロキ精機工場前にある1号墳にのみが残ります。  1号墳は全長30mほどの前方後円墳で、墳丘には葺石、埴輪が並べられていたと考えられます。埋葬施設はわかっておりません。築造年代は、5世紀後半~6世紀初頭と推定。
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船山古墳

東三河最大級

白川と音羽川に挟まれた台地上にある前方後円墳で、三河最大級を誇ります。  墳丘規模は、全長96m、後円部径50m、高さ6.5m、前方部幅56m、高さ6.5mを測り、前方部を西に向け、左右くびれ部には造出があります。墳丘は3段築成で葺石、埴輪の配列があったと考えられます。  現状は、後円部と前方部ともに一部が削平され、昭和63年に前方部の発掘調査を行ったところ2基の埴輪棺が出土しており、前方部道路向かいに復元模型が展示されてます。さらに2017年度、道路拡張工事に伴い前方部断面が露わになりました。版築方法は、土手状に盛土を設けて壇状に盛土する手法を用いていることがわかりました。これは墳丘中央に小丘に盛土をして拡幅する東日本的手法とは異なり、畿内勢力下の影響で築造されたと考えられます。  出土遺物は、石材、木炭、鉄刀、埴輪片・土器片が出土。築造年代は、5世紀の中頃と推定。  墳丘の北側には、一辺19.5m、高さ3mの方墳、2号墳がありましたが消滅。
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