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市川三郷市

エモン塚古墳

武田の一族に由来

道林集落の南丘陵上にあり、北側に押出川が流れる道林古墳群の一基で、唯一墳丘が残る前方後円墳です。しかしながら、前方部は失われて主軸方向は東西と推定される。  墳丘が取り払われた高さは7mほどで、そこから大甕が出土している。近くには一条林があり武田の一族の一条右衛門大夫信竜に由来するものとして、エモン塚と名が付いたとされてます。(参考 現地説明板より)
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鳥居原狐塚古墳

赤烏元年銘神獣鏡が出土

甲府盆地南部、曽根丘陵の西端支丘上に位置する径18mほどの円墳です。曽根丘陵は東海地域の弥生文化や畿内の古墳文化の影響を強く受けた地域と考えられています。  埋葬施設は、割石小口積みの竪穴石室で朱が塗布されていました。副葬品には、滑石製臼玉、直刀、剣、銅鈴、須恵器片、内行花文鏡、舶載の神獣鏡が出土。径12.5cmの神獣鏡は、「赤烏元年五月廿五日丙午造作明竟百錬清銅服者君候宣子孫寿万年」の銘が刻まれ、国の重要文化財に指定されている。赤烏の銘がある鏡は、他に宝塚市の安倉高塚古墳で出土しています。(山梨県HP参照)

伊勢塚古墳

祟りの大型円墳

大塚・北原古墳群のうち一つで、径36m(墳丘頂部径14m)、高さ6mほどの円墳で、形の良い大きな墳丘を残しています。  一説には江戸時代に発掘が行われたが、祟りを恐れもとに戻して、伊勢大神の石祠を祀ったという言い伝えがある。これが古墳名の由来にもなっています。(現地説明板参照)
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三珠大塚古墳

後円部と前方部に石室確認

曽根丘陵上にある大塚・北原古墳群の中核を成す全長50mほどの帆立貝式前方後円墳です。  墳丘には葺石、円筒埴輪が認められ、盾形の周溝が巡っていました。埋葬施設は、後円部と前方部に竪穴石室が確認され、側壁を川原石、小口部を扁平な割石によって構築している。  副葬品は、前方部埋葬施設から六鈴鏡、短甲、馬具などが出土。後円部埋葬施設から直刀などが出土しています。築造年代は、5世紀の後半と推定される。
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