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田原市

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城宝寺古墳

空海修行の穴倉

 37歳の弘法大師(空海)が、江の島からの帰路、この横穴石室の中で修業したとの伝承が残る城宝寺境内に残る古墳です。
 墳丘の規模は径20mほどの円墳で、西向きに開口する片袖の横穴石室を備える。石室全長は9.4m、玄室長6.4m、幅2.4m、高さ2.4m、羨道長3m以上、幅1.2m、高さ1.5mを測り、渥美半島最大級を誇ります。
 副葬品は確認されておりませんが、石室形態などから6世紀の末~7世紀の初頭の築造と推定されます。

新美古墳

渥美半島屈指の石室

 汐川を臨む台地の端部に築かれた径20m、高さ3mほどの円墳で単独で存在します。
 埋葬施設は、石灰岩を多用した両袖の横穴式石室が南向きに開口する。石室規模は全長7.8m、玄室長5.2m、幅2.2m、高さ2.5mを測ります。床面には、板石で遺体を置く仕切りが2ヵ所設けられている。
 出土品には、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半の築造とされ、7世紀の中頃まで追葬されたと考えられます。

栄巌1号墳(えいがん)

ユーモラスな鉄馬

 3基で栄巌古墳群を形成しており、衣笠小学校脇に石室の基底部が残っているのが栄巌1号墳です。
 墳丘は、推定25mほどの円墳で、玄室部長4.5m、幅3.5m、高さ2.5mの横穴石室を備えています。現状は、大きく損壊してますが、渥美半島最大規模を誇っていたと考えられます。 
 出土遺物は、須恵器、土師器、鉄鎌、鉄の小刀、鉄の馬が出土。鉄で形造られた馬は、なんともユーモラスな印象を持ちます。築造年代は、6世紀の中頃と推定。

神明社古墳

銀装の大刀出土

 神明社境内にある径17m、高さ3mの円墳で渥美半島の中では古い時期に入ります。
 主体部は、南東方向に開口する片袖の横穴石室で、全長6m以上、玄室長4.32m、幅1.32m、高さ2.76mを測り、左右に箱式石棺が置かれています。
 副葬品には、馬具、大刀、短刀、鉄鏃、鑿、鋏、耳環、須恵器が出土しています。なかでも銀装の大刀は、国内では出土例が少なく大変貴重なものです。築造年代は、6世紀後半と推定されます。

籠池古墳

記念すべき第1号!

 大久保町の通称「西山」の山の麓に築かれた直径20m、高さ2.5mほど円墳です。
 主体部は、東南東に向いた全長9mの両袖式の横穴石室で、奥壁面に沿って組合式石棺が置かれていました。現状は、天井石が失われ、側壁は崩落防止のために鉄で補強がされてます。
 出土遺物には、須恵器などが確認されている。築造年代は、出土遺物や石室形状から6世紀後半~7世紀前半と推定される。当古墳は、田原市となって文化財第1号の記念すべき古墳となってます。

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藤原古墳群

製塩集団の首長墓群

 渥美半島先端、西ノ浜海岸の砂丘上と言う特殊な場所に築かれた18基の円墳群です。現状は、標柱があるのでわかる程度です。
 主体部は横穴石室で、石室石材は対岸の佐久島から運ばれている。副葬品には金銅装圭頭大刀、耳環、鉄鏃、須恵器などが確認されている。6世紀~7世紀に製塩、海上交通、交易に従事した集団の首長墓群ではないかと考えられます。

鬼堕古墳(きおとしこふん)

道の駅「伊良湖」に移築

 赤羽町から「渥美をめぐる古墳展」という古墳事業の際に、道の駅「伊良湖」に移築保存されたものです。
 墳丘は10mほどで、横穴石室の天井石を失った状態でした。出土遺物は、須恵器の高坏、平瓶、盌(わん)、刀子、平根鉄鏃、尖根鉄鏃、轡などが出土。
 敷石面が重なっていることから埋葬が二度行われたと考えられています。築造年代は、6世紀後半~7世紀代と推定される。(参考 現地説明板)
 

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