大矢戸地区の谷間にある水田から山を少し上った所に分布する。墳丘は流出し、石室が露出している。 もとは径14mの円墳とされ、5世紀末の築造とされる。現在は山の入り口に案内があって、そこから数分で古墳にたどり着くことができる。
古墳群自体は、後に南北朝時代に築かれた御茶ヶ端城跡とも複合する。尾根伝いに方形墳、帆立貝型古墳、前方後円墳、円墳と多くの形状が確認されている。 途中までは山道が整備されているが、古墳群の分布する尾根上は、見通しが悪く見学には厳しい状態です。