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神石高原町

猿ヶ馬場古墳群

9基から成る

神石高原町桑木、新市七曲西城線(R417)沿いに分布する9基から成る古墳群で、横穴式石室を主体部とします。  1号墳では、奥行6m、幅1.1m~1.45m、高さ1.2mの無袖式の横穴石室が開口しています。すぐ上に位置する2号墳は、石室がわずかに開口する。ほかに8号墳でも全長6.2mほどの横穴石室が確認されているようですが未確認。

古川本郷古墳

険しい峠に分布

神石小学校から新市七曲西城線を北上し、大師堂を過ぎた右手の自然独丘陵上に位置する円墳です。神石町古墳分布調査書によると以前は、前方後円墳とされていたようです。  墳丘規模は、東西径20m、高さ2.5~3mを測ります。埋葬施設は、南に開口する横穴式石室で全長8.5m以上、幅1m~1.5m、高さ1.2mの規模ですが、奥壁側の埋没が著しい状況です。  地形の険しい峠に位置している為、北上した東城町や西城町への交通路を掌握していた有力者の古墳ではないかと考えられます。

天王山1号古墳

製鉄集団の首長墓

古川小学校跡から新市七曲西城線を北上すると東側にバイパス状に山林を走る道があり、シャクナゲの里手前の独立丘陵上に位置する円墳です。また、北東に円墳の2号墳が分布します。  墳丘規模は、東西44m、南北32m、高さ5.3mを測り、墳丘上に屋敷跡も確認されている。葺石が認められ、神石町古墳調査報告書によると葺石の集積場も確認され、上円下方墳との説もあります。  西側の向かいの山腹ではカンナ流しの水路遺跡も確認されていることから、5世紀~6世紀代に周辺域で砂鉄を採取して製鉄を行っていた集団が存在しており、その首長墓と考えられています。

辰の口古墳

備後最大の前方後円墳

神石高原町の北西部、竜王山から西に派生する細尾根が高光の谷平野に面した末端部に位置する前方後円墳で、前方部を南に向けます。当地域は弥生時代後期以来から吉備や出雲地方の影響を受けた地域とされ、両地域を牽制するための要衝の地と考えられています。  墳丘規模は、墳丘長77m、後円部径南北41m、東西径36m、高さ7.3m、前方部長36m、前端部幅24m、高さ4.9mを測り、備後地方最大の前方後円墳です。後円部は楕円状で、西側で3段築成、東側で2段築成を成し、葺石、円筒埴輪の存在が認められます。埋葬施設は、後円部墳頂に竪穴式石室と西側くびれ部の裾に円筒埴輪棺が確認されている。竪穴式石室は、内法長6.7m、幅0.8m、高さ1.4mの長大な石室を備える。円筒埴輪棺は、4~5個体の埴輪を縦に半分に割り、底と蓋に利用している。規模は、内法長1m、幅0.3m、高さ0.3mを測り、子供用と推測される。  出土遺物は、碧玉製管玉のみ出土する。築造年代は、4世紀後半と推定。
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神宮寺古墳

エドヒガン桜は樹齢200年超

神石高原町福永、樹齢200年を超えるエドヒガン桜の名所として、神宮寺跡と桜についての説明板が建てられている。  前方後円墳との説もありますが、神宮寺跡の一角にある円墳と考えられます。埋葬施設は、横穴式石室とされ、石室石材が散乱しています。  周辺には、遮るものがなく春には一本桜が眺められる好立地となってます。
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