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野洲市

成橋東部古墳群

8基から成ります

野洲市大篠原穴蔵の「源太山」に分布する8基から成る古墳群です。  3号墳は、全長35mほどの前方後円墳で、横穴石室を主体部とします。石室は、ほぼ埋没状態となっている。4号墳は、通称「イワヤ」といわれる円墳で、横穴石室が開口しています。全体的に藪の中に分布する古墳群ですので冬季の見学がお勧めです。

田中山古墳群

円墳に3石室!?

妙光寺山の北側の田中山南西麓に位置する29基の円墳から成る古墳群で、常照寺の東側墓地内と周辺に分布しています。  墳丘規模は径10m前後で、横穴式石室を主体部としています。状態のよいものは少なく、確認できる石室は小型の横穴石室ですが、墓地から南東方向の橋を渡った左側の林にある15号墳で円墳に3基の石室が備わっています。  墓地内には、27号墳が円墳状に木が植えられています。まずは、ここを拠点に他の古墳を周るのが良いでしょう。

福林寺古墳群

2021年に発掘調査

野洲川の右岸、田中山西麓に分布する11基の円墳から成る古墳群です。すぐ西側には、7世紀後半に創建された福林寺遺跡があります。  4号墳では、もとから横穴石室の奥壁側が開口しておりました。(画像あり)その他は、石材の一部が露出した墳丘を確認したのみでしたが、2021年に2号墳・3号墳で、中ノ池川支流単独通常砂防工事に伴う発掘調査が行われ、一部詳細が明らかになってます。  3号墳は、径12mほどの円墳で、右片袖式横穴石室を主体部とします。玄室高さ2.1m、羨道高さ1.6m前後を測ります。出土遺物は、耳環、鉄鏃、土師器、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半~末頃と推定されます。

桜生古墳群

日吉神社周辺に分布

野洲川の右岸、大岩山から北に延びる丘陵北側に分布する古墳群で、麓にある日吉神社からのアクセスがわかりやすい。北側丘陵先端部の旧中山道沿いには、甲山古墳が位置しています。  横穴石室を主体部とする円墳群で、石室が開口する古墳が数基残ってますが、柵内に分布するなど見学は容易ではありません。

妙光寺古墳群

4支群の70基

妙光寺山の山頂から南麓にかけて宗泉寺支群(15基)、三上神社支群(30基)、東光寺支群(11基)、山頂支群の4支群、70基ほどから構成される古墳群です。  小型の横穴石室を主体部とする群集墳ですが、状態の良いものは各支群に数基残っているのが現状です。

越前塚古墳

県内最古級の横穴石室

野洲川の右岸、妙光寺山山麓から派生した独立丘陵頂部に位置する前方後円墳です。  墳丘規模は、墳丘長49m、後円部径27m、高さ4.7m、前方部長22m、幅21m、高さ3m、くびれ部幅17.5mを測り、葺石、埴輪が認められる。埋葬施設は左片袖式の横穴石室で、全長7.72m、玄室長5.32m、幅2.6~2.68m、羨道長2.4m、幅1.2~1.35m、高さ1.6mを測ります。石室は、扁平な板石状石材を用い、玄門部の羨道天井石が1段低く、横口式石室の特徴を持ちます。築造年代は、5世紀末~6世紀前半と推定される。

林ノ腰古墳

二重の盾型周溝巡る

野洲川の右岸、大岩山古墳群が分布する丘陵麓の平野部に位置する前方後円墳ですが、現在消滅する。  墳丘規模は、墳丘長90m、後円部径46m、前方部長45m、前方部幅70mを測り、葺石、埴輪を備える。墳丘周囲には二重の盾形周溝が巡り、滋賀県平野部で当古墳のように5世紀代に見られる前方後円墳で周溝を備えるタイプは確認されていない。そう言った意味では、貴重な存在だったと考えられます。  出土遺物は、円筒埴輪、形象埴輪、木製埴輪、須恵器が出土。築造年代は、5世紀後半と推定される。

大岩山古墳群

首長墓系列で築く

野洲川の右岸、大岩山丘陵とその前面平野部に分布する古墳群で、現在17基確認されている。主要な古墳として大塚山古墳(帆立貝式古墳)、甲山古墳(円墳)、円山古墳(円墳)、天王山古墳(前方後円墳)、亀塚古墳(帆立貝式古墳)、冨波古墳(前方後方墳)、宮山2号墳(円墳)、古冨波山古墳(円墳)があります。  うち甲山古墳、円山古墳、天王山古墳の3基は、桜生史跡公園として保存整備され、見学しやすくなってます。築造年代は、3世紀後半~6世紀後半と推定される。長きに渡り継続して営まれ、首長墓の系列で築かれてきたことが伺えます。(各古墳の詳細は別記載)
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木部天神前古墳

竪穴系横口石室

野洲川下流域の右岸、木部集落北側の水田地帯に位置する円墳です。  墳丘規模は、径40m、高さ1.6mを測りますが、現状削平を受け方形を呈する。埋葬施設は、奥行4.3m、幅2.2m、残存高1.2m、羨道長6.2m、幅1.3mの左片袖式の横穴石室となります。玄室と羨道との間に仕切り石が設けられおり、15cmほどの段差が施され竪穴系横口石室の影響を受けている。  出土遺物は、ベンガラで彩色された玄室から鏡、鉄刀、鉄鏃、耳環、銅鈴、玉類、馬具、鍬先、須恵器などが出土する。築造年代は、6世紀中頃と推定される。
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