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松江市

上竹矢古墳群

最古級の墳丘

茶臼山の北東、低丘陵地帯の南端部に分布する古墳群で、東側麓には出雲国分寺跡があり、南には意宇平野が広がります。当丘陵の西側の谷には、古代幹道である「枉北道」が南北に走っていたと考えられ、陸路交通の要衝地となっていました。  7号墳は、墳長63.9m、後円径36.3m、くびれ部幅11.1m、高さ4.4m、前方部長28.5m、幅17.6m、高さ0.8mを測る前方後円墳で、段築を備えます。また、葺石は認められない。  出土遺物は、土師器、須恵器、円筒埴輪の小片が出土。築造年代は、古墳時代前期後葉と推定される。上竹矢7号墳は、畿内政権との関係性をもつ大橋川南岸の首長が、はじめに出雲地方に築いた前方後円墳であり、安来市周辺を地盤とする首長墓群から地位が当地域に移ったことを意味します。また、後山池の東側に位置する廻田1号墳の被葬者は、墳丘規模、形態、立地から、同一系列の首長墓であったことが考えられます。

廻田古墳群1号

真名井古墳

矢田町の後山池の東側丘陵上に位置する前方後円墳で、前方後円墳1基、方墳8基を含めた十数基から成る廻田古墳群を形成します。  墳丘規模は、墳長57.3m、後円部径33.2m、高さ3.9m、くびれ部幅10.8m、前方部長26m、幅23.5m、高さ3.8mを測ります。段築、葺石、埴輪は認められない。別名「真名井古墳」とも言われる。

魚見塚古墳

「男塚」と「女塚」

朝酌川と大橋川の合流点に位置する前方後円墳で、畑の中に南北に大小の墳丘を残しており、「男塚」と「女塚」と言われています。かつて、付近を魚見山と呼び、古墳のすぐ東側には古代の幹線道路ある「枉北道」が通っていました。  墳丘規模は、推定全長62mほどを測り、段築、葺石、周溝を備えていたかは定かではない。埴輪も確認されていないため、大橋川北岸の古墳の特徴を表しています。  出土遺物は、須恵器の高坏、出雲型の子持壺、大甕が出土する。築造年代は、6世紀後半と推定される。

阿弥陀寺裏山古墳群

福富神社跡の裏山

中海と宍道湖をつなぐ大橋川の北側丘陵の尾根先端部に築かれた方墳です。丘陵からは、手間天神社が鎮座する塩楯島を見ることができます。麓の極楽寺境内には、石棺式石室が露出した状態で残ってます。  谷を挟んだ西側尾根には同じく方墳の明事山古墳が位置しています。また、対岸には、竹矢岩舟古墳や手間古墳が分布しています。

明事山古墳

手間天神社の北側丘陵

中海と宍道湖をつなぐ大橋川の北側丘陵の尾根先端部に築かれた一辺10mほど方墳です。古墳からは、手間天神社が鎮座する塩楯島を見ることができます。また、対岸には、竹矢岩舟古墳や手間古墳が位置します。
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