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益田市

鵜ノ鼻古墳群

三角持送り構造

日本海に突き出す岬上におおよそ50基ほどが分布しており、前方後円墳4基、方墳1基を含む大半が円墳から成ります。A~E群に分かれ、状態に差がありますが19基ほどが残ってます。  17号・43号・D-2号・E-4号墳は全長30mほどの前方後円墳で、確認できたのは17号・43号となる。17号墳では、良好な片袖式の横穴式石室を見ることができます。  50号墳は、古墳群南端に分布した唯一の上円下方墳(一辺12m)です。埋葬施設は、横穴式石室で一部の羨道部が確認されたのみとなる。出土遺物は、単龍環式柄頭、太刀、鉄鏃、耳環、玉類、滑石製紡錘車、須恵器が出土。築造年代は、7世紀中頃と推定される。  このほか数基の円墳に横穴式石室が開口しており、側壁と奥壁に石材を三角状に架け渡した三角持送りの横穴石室を見ることができます。小型ながら当古墳群で見るべき特異な形状をしています。築造年代は、6世紀中頃~7世紀代と推定される。

大元古墳群

スクモ塚古墳に先行

遠田川の下流域、日本海を見渡せる丘陵尾根上に分布する前方後円墳1基、円墳1基、不明1基の計3基から成る古墳群です。  1号墳の前方後円墳は、墳丘長89m、後円部径53m、高さ11m、くびれ部幅24m、前方部長40m、幅28~32m、高さ4~6mを測ります。墳丘には、葺石、段築、北側に造出を備えます。埋葬施設は未調査となる。  出土遺物は、円筒埴輪、土師器甕が出土。築造年代は、4世紀後半とされ、三角縁神獣鏡が出土した四塚山古墳群(4世紀前半)に次いで築かれ、スクモ塚古墳(4世紀後葉)へと継続します。

スクモ塚古墳

前方後円墳と判明

益田川の右岸、久城丘陵の中央部に位置する古墳で、以前は造出付の円墳と方墳が隣接していたものと考えられていましたが、前方後円墳と判明する。  墳丘規模は、前方後円墳と判明したことにより全長98mになり、出雲市の今市大念寺古墳(全長92m)を抜いて県内最大となりました。墳丘には、葺石、段築、造出、円筒埴輪を備えており、前方部の墳頂に方形壇の高まりも確認されています。さらに小型の陪塚が存在していたことがわかってます。築造年代は、4世紀後葉と推定される。

小丸山古墳

県内唯一の周溝と外堤

益田川の右岸、益田平野に突き出す独立丘陵上に築かれた前方後円墳です。雪舟の終焉地とされ、雪舟の郷記念館、大喜庵などが隣接しています。  全長66mほどの墳丘が復元整備されており、県内唯一の周溝と外堤が巡ります。埋葬施設は、調査が行われたが、部分的に掘削被害をうけており確証を得られず、竪穴系が推定される。  出土遺物は、珠文鏡、鉄刀、鉄斧、鈴杏葉、馬鐸、辻金具、轡、須恵器が出土する。なかでも鈴杏葉は中国地方唯一とされます。築造年代は6世紀初頭と推定される。

三谷古墳群

石見山間部に多い

益田市美都町三谷、石見の山間部に築かれた横穴式石室を主体部とする2基から成る古墳群です。  2基ともに墳丘をほぼ失っており、石室は石見地方に多く見られる無袖式の石室で、天井に板石、側壁に自然石と割石を積み上げた小型石室となっている。出土遺物は須恵器が出土。

白上古墳

ほぼ完存

白上川左岸、河岸段丘上に築かれた古墳で、付近に古代山陰道が通っていたと考えられ、交通の要衝に位置しています。現在は、すぐ南に益田阿武線が通ります。  墳丘は、径15mほどの円墳で、全長7.8m、玄室部長5.3m、幅2.2m、高さ1.3mのほぼ完存の横穴式石室が開口してます。出土遺物は不明。
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