top of page

明和町

坂本古墳群
公園として整備保存
禊川に沿って走る「御糸道」と呼ばれる県道沿いに残る古墳で、坂本古墳公園として保存整備されている。古墳群は洪積台地と呼ばれる平坦な丘の端部に築かれており、前方後方墳1基、帆立貝式古墳1基、ほか円墳、方墳など数百基から構成され、密集して築かれています。現在、ほとんどが消滅し、古墳公園の6基を残すのみとなっている。周辺域には、東垣内古墳群や塚山古墳群などが分布しており、町内で500基を超える古墳群が確認される。
主墳とされる1号墳は、全長38mの前方後方墳で、周溝が巡っていました。埋葬施設は、長さ4.72m、幅0.74mの割竹型の木棺が直葬されていました。
出土遺物は、金銅装頭椎大刀、鉄刀、須恵器が出土。築造年代は、7世紀前半と推定される。
当時は、中央集権国家が出来つつある時代であり、そのなかでも当古墳群は、前方後方墳という特殊な形状をした1号墳を筆頭に、多くの方墳を有しており、後に出現する斎宮へ継続して行く当地域の何らかの関連性が推測されます。

明星古墳群
土器製作集団
洪積台地の縁辺部、舌状台地に分布する12基からなる古墳群です。1号・5号・6号・8号・9号・12号墳が調査され、2号、3号、11号墳が明星古墳公園として保存整備されています。
ほとんどの墳丘が10m前後の円墳となるなかで、11号墳(狐塚)が径16~16.5m、高さ2.05mを測り、最大規模となります。7号墳は、全長15mで群中唯一の前方後円墳となります。
埋葬施設は、1号・6号・9号墳で木棺直葬ということがわかってます。9号墳は、木棺が2体直葬されていま した。出土遺物は、7号墳で刀、鏃などが出土。ほか全般的に須恵器、土師器が大半を占める。築造年代は、7世紀初頭と推定される。
古墳群の、南西700mほどの場所には、水池土器製作遺跡があり、古墳時代から奈良時代にかけて土器一大生産地として発展を遂げていきます。当古墳群は、その発展基盤を築き上げた集団の墳墓群と考えられます。
bottom of page



