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三味線塚古墳

矢作川の右岸、舌状台地先端部に立地する神明遺跡内にある古墳です。神明遺跡は、長きにわたって営まれた複合遺跡ですが、弥生時代後期、古墳時代中期、律令期に盛期を迎える。特筆すべきは、当遺跡で住居内の炉からカマドへの変化や普及する様子が解明されたことです。当古墳は、そのような重要な遺跡内の縁辺部に位置しており、東名高速道路沿いの神明遺跡台地公園として整備保存されています。  古墳名は、三味線の名手であった悲恋の物語に由来する。また、6本の大松が墳丘上にあったことから六本松古墳とも呼ばれています。  墳丘規模は、復元径29mほどの円墳で、幅7m周溝が巡っています。また、帆立貝式古墳の可能性も指摘されています。埋葬施設は、三河初の調査例とされる粘土槨に割竹型木棺が考えられている。  出土遺物は、U字系刃先、鉄鏃、石製有孔円板、石製勾玉、石製臼玉、土師器、須恵器が出土。築造年代は、5世紀中葉と推定される。

墳形

円墳 周溝

​築造年代

5世紀中葉

​埋葬施設

粘土槨 割竹型木棺

​規模

径29m 周溝幅7m

​出土遺物

U字系刃先、鉄鏃、石製有孔円板、石製、勾玉、石製臼玉、土師器、須恵器

​参考文献

現地説明板、続日本古墳大辞典

​所在地

愛知県豊田市鴛鴨町神明

​メモ

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