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南国市

小山古墳

石室の上に鯉が泳ぐ

香南市野市町東佐古、県道22号線から東の山側の道に入った民家の石垣に横穴石室が開口してます。開口部は、わかりにくいですが、石柱が立っているのですぐ見つけることができます。  石室の天井部から入るかたちとなり、羨道部を失うが他はよく残ってます。この石室の上には、ちょうど池があって不思議な感覚のするなかなかレアな古墳です。

明見彦山古墳群

土佐ビック3

南国市西部、高天ヶ原山の北東部に位置しており、現在の高知市と南国市の市境付近に分布する古墳群です。通称「彦山」と呼ばれる丘陵麓に3基から成る古墳群で、当古墳は、高知市の朝倉古墳、同市の小蓮古墳と合わせて「土佐ビック3」に数えられる。.  1号墳は、径14mの円墳で1辺14mの方墳ではないかとも考えられている。埋葬施設は、両袖式の横穴石室で  全長8.96m、玄室長5.64m、奥壁幅2.16m、玄門幅、高さ2.26m、高さ2.26m(奥壁)、羨道長3.32m、幅1.2m、高さ1m(現状)を測ります。出土遺物は、勾玉、管玉、ガラス小玉、須恵器が出土。築造年代は、6世紀末~7世紀初頭と推定される。  2号墳は、こちらも比較的に大きな石室を備え、主墳的役割を担っていたようだが消滅し、幻の古墳となっている。  3号墳は径5m、高さ2.3mの円墳で、全長5.8m、羨道長1.8m両袖式の横穴石室を備えます。出土遺物は、人骨、直刀、刀子、馬具、鉄鎌、鉄製鋤先、勾玉、管玉、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。

小蓮古墳

土佐ビック3

南国市の西部、比江山の南斜面に位置する古墳で、すぐ北側には長畝古墳公園が分布します。当古墳は、高知市の朝倉古墳、同市の明見彦山1号墳と合わせて土佐ビック3に数えられる。  墳丘規模は、東西径22、南北径28m、高さ7mの円墳です。埋葬施設は、南西方向に開口する両袖式の横穴石室で、全長10.75m、玄室長7.5m、奥壁幅1.95m、玄門幅2.18m、高さ2.85m(奥壁)2.84m(中央)、2.56m(玄門)、羨道長3.25m、幅1.43m、高さ1.85mを測り、県内で最大級になります。奥壁は、二等辺三角形を呈し、両側壁を持ち送り、床面に敷石を敷いている。  出土遺物は、金銅製中空玉、金環、鉄刀子、鉄鏃、鉇、馬具、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。
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長畝古墳群

4~6世紀と長きに渡る

南国市の西部、比江山の南斜面麓近くに位置する古墳群で、眼下には高知平野が見渡せ、さらには土佐湾を眺望できる好立地にあります。 そのうち平成6年に2号墳、3号墳、4号墳の3基が発掘調査されています。現在は、南国サービスエリア (上り)のすぐ東側に「長畝古墳公園」として整備保存されてます。  2号墳は、周溝や墳丘は認められず、古墳築造時の削り出し残存状態により径10.5mの円墳と推定されました。埋葬施設は、2基検出されています。墳丘中央部に位置する1号主体部は、長辺3.31m、短辺1.38m、深さ1.01mの墓壙で、床面に礫岩の割石を敷いていました。その割石が舟底状をしているから割竹形木棺を納めていたと推察されています。出土遺物は、鉄剣、鉄鏃、鉄製鎌、鉄製鋤先、鉄斧、刀子、土師器壷が出土する。2号主体部は、1号主体部の北に隣接して、ほぼ直行するかたちで位置する。床面には粘土の堆積が認められており、粘土槨であったと考えられてます。そして、組合式木棺が納められていと推察される。副葬品は、全く検出されていない。  3号墳は、長畝2号墳主体部と隣接しており、同一時期に築かれたと考えられるが、周溝や墳丘が確認できないため、墳丘規模を確定できないが、主体部の西側の等高線が緩やかになる辺りを墳丘裾部と見ると径11.8mの円墳と推測されます。埋葬施設は、長辺2.52m,短辺1.50m,深さ0.44mの隅丸方形の墓坑に小型の竪穴式石室を構築しています。石室規模は、長さ最大1.23m,同最小1.28m,幅最大0.80m,同最小0.68m,残存高0.45mを測ります。出土遺物は、鉄鏃、土師器が出土。築造年代は、5世紀後半と推定される。  4号墳は、周溝を含めると東西13.8m、南北11.6mの楕円形となる。高さは、現状1.7mとなり、復元すると高さ2.5mと推測されます。周溝は、墳丘の北東側、南東側、西側の3ヶ所で確認され、西側周溝おいては、墓前祭祀用の土坑とを合わせ持つ機能を果たしていたものと考えられる。出土遺物は、鉄鏃、刀子、鉄製鍬、鉄鎌、鉄斧、馬具、銀環、玉類、銀製耳飾、須恵器が出土。築造年代は、5世紀後半代と考えられるが、6世紀末~7世紀初めまで墓前祭祀が行われたことが推察されます。
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