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大和高田市

築山古墳

磐園陵墓参考地

馬見丘陵南端に位置する前方後円墳で、築山古墳群の盟主的な存在となっています。磐園陵墓参考地として宮内庁管理となっています。被葬者は、第23代顕宗天皇や第25代武烈天皇とも考えられていますが定かではありません。  墳丘規模は、墳丘長220m、後円部径130m、前方部幅105m、前方部長90mを測り、周濠、周堤を含めると全長260mを超えてきます。墳丘には、葺石、数段の段築を備え、円筒埴輪、朝顔形埴輪、壺形埴輪、形象埴輪が確認されています。築造年代は、4世紀末~5世紀初葉と推定されます。

茶臼山古墳

築山古墳群に属す

馬見丘陵の南端に位置する大型円墳で、築山古墳群に属し、築山古墳南側の住宅地に残ってます。  墳丘規模は、径50m、高さ6mを測り、幅6mの周溝が巡っていました。また、墳丘には段築、葺石、埴輪を備えています。埋葬施設、築造年代は、不明。

かん山・コンピラ山古墳

築山古墳群に属す

馬見丘陵の南端に位置する両古墳は築山古墳群に属し、かん山古墳は築山古墳の北側、コンピラ山古墳は築山古墳の前方部東側に位置します。  かん山古墳は径50mほどの円墳で、葺石、段築を備えます。埋葬施設は、墳頂に2基の大小の墓壙が確認されています。第1主体部は、10.5×3.8mの墓壙に木棺が納められていました。第2主体部は、6.3×2.7mの墓壙となり、第1主体部に比べ小型です。出土遺物は、鉄刀、鉄鏃、刀子、碧玉製勾玉、管玉が出土。築造年代は、5世紀後半と推定される。  コンピラ山古墳は、径95m、高さ12.7mほどの大型円墳で、周溝が巡っていました。墳頂と中段テラスには、埴輪列が確認されている。また、墳頂の円筒埴輪は、手捏ねの小型丸底壺が投入されていました。埋葬施設は、不明。築造年代は、5世紀前半と推定される。

大谷古墳群

築山古墳群に属す

馬見丘陵の南端に分布する古墳群で、築山古墳北側の大谷山自然公園内に残る2基の円墳です。  公園の東側に位置する1号墳は径33m、高さ6mを測り、土師器が出土しています。後円部中央に位置する2号墳は、径13m、高さ2mを測り、土師器、埴輪が出土。こちらは植木で囲まれ、着飾って保存されてます。築造年代は、5世紀代と推定される。

狐井塚古墳

築山古墳群に属す

馬見丘陵の南端に位置する前方後円墳で、築山古墳群に属します。現状は、鬱蒼とした森になっていて、陵墓参考地に治定されている。  墳丘規模は、墳丘長75m、後円部径45m、高さ6m、前方部幅40mを測り、前方部を東に向けます。墳丘には埴輪を備え、周溝が巡っていました。埋葬施設は定かではありませんが、長持形石棺の可能性を指摘されています。築造年代は、5世紀後半と推定される。
 

インキ山古墳

賑わう墳丘

築山古墳の北側、近鉄築山駅前の南側高台に位置する前方後円墳ですが、著しく破壊され後円部、前方部ともに北西側の一部が残存するのみとなっていました。現在は幼稚園になっていて、墳丘は平らに均され、遊び場となっており、幼稚園生で賑わってました。  墳丘規模は、全長50m、後円部径22~26m、前方部10m以上を測り、前方部を北に向けます。墳丘は、後円部に段築を備え、葺石、埴輪は認められない。埋葬施設は不明ですが、墳丘が比較的低いことや周辺域で木棺直葬が採用されていることから木棺直葬と推測される。また、後円部南東裾部で円筒埴輪棺が発見されています。  築造年代は、祭祀用跡で須恵器坏が出土していることから6世紀中頃と推定される。
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陵西陵墓参考地 陪冢群

築山古墳の陪冢

築山古墳の南側、JR和歌山線沿い北に分布する陪冢群で、陵墓参考地となってます。すぐ東側には、前方後円墳の狐井塚古墳が隣接しています。  墳丘規模は、径13m~15mほどの円墳で柵に囲われています。
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