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成田市

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上福田岩屋古墳

上福田古墳群

印旛沼を臨む北部東岸台地上に位置する方墳で、上福田古墳群に属する。行政区は、違いますが北西に分布する龍角寺古墳群の岩屋古墳・みそ岩屋古墳と並び評されるほどの方墳で、素晴らしい石室を備えます。  墳丘規模は、一辺30m、高さ5.8mを測り、2段築成を成す。埋葬施設は、南東方向に開口する横穴式石室で、貝化石を多く含む貝層の凝灰質砂岩の切石を緩やかに持ち送り構築されている。床面は、左右側壁沿って屍床の仕切りがされている。築造年代は、7世紀後半と推定される。  そして、千葉県立成田西陵高等学校の南の丘陵台地上には、同古墳群の4号墳(前方後円墳)、5号墳(円墳)が分布しています。

公 津ヶ原古墳群

瓢塚古墳群

現在の成田ニュータウンを中心に分布する公津原古墳群は、総数120基以上を数える古墳群で、北から八代台古墳群、天王・船塚古墳群、瓢塚古墳群の3支群に分けられ、古くから「公津の八十塚」と伝わる。当古墳群は、前方後円墳1基、方墳19基、円墳30基から構成されます。古墳群築造期間は、4世紀後半~7世紀後半と長きに渡る。  なかでも主墳とされる瓢塚古墳(3号墳)は全長65m、高さ3mを測る前方後円墳で、現在でも形の良い墳丘を残し、周溝も確認できます。

公津ヶ原39号墳

印波国造伊都許利命の墳墓

公津原古墳群のなかで天王・船塚の支群に属し、麻賀多神社境内に位置します。古くから印波国造伊都許利命の墳墓と伝わり、墳頂に伊都許利命の石碑が立っています。  墳丘規模は、東西35m、南北36m、高さ5mほどの方墳で、2段築成を成してます。埋葬施設は、軟質砂岩の切石を積み上げた両袖式横穴石室で、現在は埋没しています。墳丘傍らに箱式石棺や石室石材を見ることが出来ますが、当古墳出土のものではないので要注意です。  出土遺物は、鉄刀、剣、金環、玉類、馬具、須恵器、土師器などが出土。築造年代は、7世紀代と推定される。

公津ヶ原古墳群

天王・船塚古墳群

現在の成田ニュータウンを中心に分布する公津原古墳群は、総数120基以上を数える古墳群で、北から八代台古墳群、天王・船塚古墳群、瓢塚古墳群の3支群に分けられ、古くから「公津の八十塚」と伝わる。当古墳群は、前方後円墳3基、方墳9基、長方墳1基、円墳33基から構成されます。古墳群築造期間は、4世紀後半~7世紀後半と長きに渡る。

公津ヶ原古墳群

八代台古墳群

現在の成田ニュータウンを中心に分布する公津原古墳群は、総数120基以上を数える古墳群で、北から八代台古墳群、天王・船塚古墳群、瓢塚古墳群の3支群に分けられ、古くから「公津の八十塚」と伝わる。当古墳群は、前方後円墳3基、方墳6基、円墳25基から構成されます。古墳群築造期間は、4世紀後半~7世紀後半と長きに渡る。

宗吾・飯仲古墳群

発掘調査後に消滅

印旛沼の南東、 公津原古墳群より更に南に分布する円墳と前方後円墳から構成される古墳群です。  テニスコート側にある5号墳の前方後円墳を残して、発掘調査が行われ消滅するようです。今のところ詳細については、不明です。

瓢塚古墳群41号墳

房総風土記の丘資料館前に移築

成田ニュータウンに分布する公津ヶ原古墳群の一支群で、前方後円墳1基、方墳19基、円墳30基で構成される。ほか八代台支群、天王・船塚支群、当支群の計3支群の中、一番南に位置するのが当支群となる。そのうち41号墳の横穴式石室を房総風土記の丘資料館前に移築展示しております。  墳丘規模は、東西17.2m、南北20mの方墳です。埋葬施設は、雲母片岩の板石など18枚を組合せて構築した横穴式石室となります。出土遺物は、須恵器、直刀、鉄鏃が出土。
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