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栄町

みそ岩屋古墳

龍角寺106号墳

印旛沼を臨む北部東岸台地上に位置する方墳で、龍角寺古墳群に属する。北西に位置する龍角寺岩屋古墳と大型方墳として双璧を成している。  墳丘規模は、1辺35m、高さ5mほどを測り、周囲に2~3mの周溝が巡る。埋葬施設は、南東方向に開口する両袖式の横穴石室で、全長4.58mを測ります。貝化石を含む貝層の凝灰質砂岩の切石を緩やかに持ち送り丁寧に積み上げた印象を持ちます。築造年代は、7世紀後半と推定される。

岩屋古墳

龍角寺105号墳

印旛沼の北岸台地上に位置する大型方墳で、龍角寺古墳群に属しながらも他の古墳とは一線を画していると言えます。  墳丘規模は、一辺78m、高さ13.2mを測り、3段築を成し、周囲に周溝が巡る。大型の方墳として日本最大級を誇ります。埋葬施設は、東西に両袖式の横穴石室を備える。双方とも凝灰質砂岩の切石を積み、奥壁立面形は合掌形に近い特異な形状を成している。そして、奥壁面と並行して緑泥片岩の造り付けの石棺が設けられていました。  築造年代は、7世紀前半~中頃と推定され、浅間山古墳(龍角寺111号墳)に後続する。畿内の大型方墳である推古天皇陵(東西59m×南北55m)など天皇陵を凌ぐ方墳がこの東国の地に造ることができたのは、どのような力を持った豪族であったのか、そして、畿内の有力豪族との結びつき、蘇我氏一族の後ろ盾が伺えます。

浅間山古墳

龍角寺111号墳

印旛沼東岸、下総台地上に位置する前方後円墳で、龍角寺古墳群に属します。古墳群の中でも北方に偏しており、龍角寺に至る「白鳳の道」沿いの風土記の丘整備区域外にあります。  墳丘規模は、墳丘長77.6~78m、後円部径52m、高さ8m、前方部幅58m、高さ7.2mを測り、群中で最大となる。墳丘周囲には、幅7~8m、深さ1.3mの周溝が巡る。埋葬施設は、南東に開口する筑波山麓産出の絹雲母片岩板石を使用した横穴式石室で全長6.68mを測ります。石室は、複室構造となり後室に片岩を組み合わせた石棺、前室に漆塗りの木棺が安置されていました。  出土遺物は、金銅製冠飾、銀製冠の装身具をはじめ、武器類、馬具など多くの副葬品が出土しました。築造年代は、7世紀前半と推定される。
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龍角寺古墳群

房総風土記の丘

南に印旛沼、北に利根川が展開する北総台地上に分布する古墳群で、前方後円墳、円墳、方墳から構成された計100基を超える規模を誇ります。現在は、千葉県立房総のむら・風土記の丘として整備保存され、公園を中心に6世紀代の前方後円墳、円墳が分布、台地の奥まった北東よりに7世紀代の方墳が集中する。  なかでも国内最大規模を誇る方墳の岩屋古墳(別枠掲載)、県内最後の前方後円墳とされる浅間山古墳(別枠掲載)、埴輪を樹立した円墳の101号墳などが見所となります。また、千葉県立房総のむら風土記の丘資料館が敷地内に併設しているので、ここで情報を収集してから古墳群を巡るのも良いでしょう。  古墳群は、龍角寺から一部は成田市大竹にかけて分布する6世紀前半~7世紀代にかけて築造され、付近には白鳳期創建の龍角寺や律令下の埴生郡衙跡などが位置している。そのため、深い関連性が指摘され、大和王権が東国支配を進めてゆく過程で地域支配を強め、律令国家成立後に至っても国家形成の一翼を担う在地勢力となっていったことが伺えます。
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