四日市市大宮町にある志氐神社に残る前方後円墳ですが、社務所建設の際、前方部が削平され現在は後円部のみ残ってます。「伊勢名勝志」には、額田連(ぬかたのむらじ)の祖である意富伊我都命(おういがつのみこと)の陵墓と記載される。
墳丘規模は、後円部径30m、高さ5.3mを測り、前方部を南に向ける。葺石が認められ、北から西側にかけて幅4.5mほどの周溝が巡ってます。
埋葬施設は、不明としながら内行花文鏡、碧玉製車輪石、硬玉製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製小玉が出土する。築造年代は、4世紀の後半。なお、神社の東側の道路沿いには、埋葬施設の石材で建てられた石碑があります。