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土岐市

乙塚古墳

美濃焼のパイオニア

土岐川右岸、河岸段丘縁辺部に位置する大型方墳で、古くから窯業に関する信仰の対象になっています。近年は、発掘調査され、2023年4月から隣接する段尻巻古墳と共に史跡整備公開されてます。  墳丘規模は、南北27.4m、東西26.1m、残存高5.8mを測ります。埋葬施設は、主に花崗岩を用いた両袖式横穴石室で、全長19.2mは美濃地方最大級を誇ります。玄室は胴張り形状、排水溝を備えます。  出土遺物は、土師器片、須恵器片、鉄製品片がわずかに確認され、鳥鈕蓋と言われる鳥形のつまみが付いた装飾付きの須恵器蓋が出土しており、東海地方でしか見られない希少な存在となっています。築造年代は、7世紀前半~中頃と推定。  美濃焼最古の窯は、隠居山須恵器窯、清安寺須恵器窯とされ、乙塚古墳の被葬者が導入に関わったと考えられてます。そして、その技術が少しずつ形を変えてゆき、安土桃山時代から江戸時代にかけて、工房などに再利用され、その後、陶祖神や山神を祀る窯業に関する信仰の対象となり現在の美濃焼へと継承されてきたことから、これらの須恵器窯が美濃焼の祖とされてます。まさに乙塚古墳は、美濃焼のパイオニア的存在なのです。

愛宕山古墳

封土流失、石室一部露出

隠居山遺跡の北東、丘陵上に築かれた円墳ですが、封土は流失し石室石材が露出しています。  墳丘規模は、径22m 高さ4mを測ります。埋葬施設は、南に開口する横穴石室で天井部が露出し状態は良くありません。 出土遺物は、確認されていませんが7世紀代の築造と推定されます。なお、さらに丘陵の先端部には、愛宕山2号墳が位置します。

段尻巻古墳

乙塚古墳に隣接

土岐川右岸、河岸段丘上縁辺部に位置する円墳で、方墳の乙塚古墳に隣接して築かれている。その立地から乙塚古墳の被葬者と何らかの深い関係性をもつものと推測される。近年は、発掘調査され、2023年4月から隣接する乙女塚古墳と共に史跡整備公開されてます。  墳丘規模は、径23.9m、残存高4.1mの市内最大級で、封土は地山層となる。埋葬施設は、南に開口する全長9.5mほどの両袖式横穴石室で、主に花崗岩を用いている。花崗岩は、2種類以上の層の異なるものが確認できるため、供給地が複数あると考えられます。玄門部は2段に分かれる立柱石によって構成され、地域の独特の疑似両袖式となっている。  出土遺物は、わずかな須恵器片、土師器長頸壺片が出土。築造年代は、7世紀前半から中頃と推定される。

炭焼古墳

石室は複室構造

定林寺の墓地内に残る円墳で、横穴石室が口を開けてます。  墳丘規模は、径16m、高さ2.15mを測ります。主体部は、複室構造をもつ、横穴石室で南向きに開口する。 前後二室に区切る玄門と羨門は立柱石を立てて袖部とし、玄門部にはまぐさ石を載せています。前室、後室ともに1枚の巨石を天井石に使用する。  出土遺物は、確認されていないが、7世紀の築造と推定される。
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熊野神社古墳

市内で最古級

妻木川が土岐川に流れ込む合流地点の東側の丘陵先端部に位置する円墳で、熊野神社境内に位置する。  墳丘規模は、径13m、高さ1.5mほどで、墳丘は流失しており横穴石室の基部が残っています。西向きに開口する石室は、石室長5.6m、最大幅1.8mを測り、羨道は失われ、左に玄門立柱石が立ちます。全般的に小口の石材を積み上げ、天井部は落下している石材から平たい石材を使用していたと思われます。  出土遺物は、須恵器が出土。築造年代は、6世紀末頃と推定されます。

隠居山横穴墓

パレオパラドキシア・タバタイ出土地

丘陵自体が隠居山遺跡となっていて、隠居山横穴墓群、パレオパラドキシア・タバタイの発掘地、安土桃山時代から江戸時代にかけての大窯や連房式登窯跡が残っており複合遺跡となってます。  隠居山の地層は新第三世紀中新世瑞浪層群に属し、化石を多く含んだ凝灰岩質砂岩に掘り込んで横穴墓は造られていて、6基確認されてます。土岐市内では、唯一現存する横穴墓群である。
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