top of page

石岡市

舟塚山古墳
茨城最大級の入舟
霞ケ浦に流れ込む恋瀬川と並行して北側を流れる山王川に挟まれた台地上に位置する前方後円墳です。当古墳を中心に府中愛宕山古墳を含む計41基(現存22基)の舟山古墳群を形成します。霞ヶ浦から舟が入って来る姿から、通称「入り舟」とも言われてます。
墳丘規模は、全長186m、後円部径90m、高さ11m、前方部幅100m、高さ10mを測り、周溝を含めると全長260mに及び茨城県 下最大規模を誇ります。墳丘は3段築成、前方部を西に向け、円筒埴輪を配列し、葺石は認められない。埋葬施設は、明らかでないが多数の大刀が出土しと伝わる。
周囲には、陪塚と見られる墳丘が目視でき、当古墳の被葬者は茨城 国造の筑紫刀禰尊(つくしのとねのみこと)の墳墓と言う説があります。築造年代は、5世紀の後半と推定。

二子塚古墳
墳丘には埴輪列
恋瀬川左岸の丘陵上に分布する丸山古墳群に属す前方後円墳です。丸山古墳群は、柿岡地区を中心とした総数41基、4支群(丸山、佐久、長堀、柿岡)から構成される柿岡古墳群の一支群で、前方後方墳1基、前方後円墳1基、円墳21基から成る群中最大支群となります。
二子塚古墳(4号墳)は、丸山古墳(1号墳)のすぐ東に隣接する。墳丘規模は、全長35m、後円部径20.5m、高さ3m、前方部幅18m、高さ2.26mを測り、円筒埴輪、形象埴輪を配していました。主体部は、片岩の横穴石室で、副葬品は散逸しており一部のみ柿岡考古館に保存される。築造年代は、県内で横穴石室が導入される比較的早い時期に築造されました。

丸山古墳
豊城入彦命の奥津城
恋瀬川左岸の丘陵上に分布する丸山古墳群に属す前方後方墳です。丸山古墳群は、柿岡地区を中心とした総数41基、4支群(丸山、佐久、長堀、柿岡)から構成される柿岡古墳群の一支群で、前方後方墳1基、前方後円墳1基、円墳21基から成る群中最大支群となります。
丸山古墳(1号墳)は、全長55m、一辺34m、高さ7m、前方部幅22m、高さ4mを測ります。主体部は、後方部中央から粘土床をもつ木棺と考えられている。副葬品は、鏡、武器、玉類が出土。また、墳頂部から底部穿孔壺型土器片が出土していて、東日本初期の古墳の特色を色濃く示す。伝承として崇神天皇第一皇子、豊城入彦命の奥津城と伝わる。築造年代は、4世紀後半~5世紀初頭と推定。

佐自塚古墳
東日本埴輪導入期の墳丘
恋瀬川の東、平野に突き出た台地の端部に位置する前方後円墳で、現在でも形の良い墳丘を残してます。
墳丘規模は、全長58m、後円部径35m、高さ6m、前方部幅27m、高さ4.3m測ります。埋葬施設は、後円部中央下1.5mから、全長6.2m、幅1m、深さ0.7mほどの粘土槨が確認され、竹櫛、勾玉、管玉、小玉、刀子などが副葬されてました。粘土槨外から器台、高坏型土器、小型坩が埋置され、不規則な透かしを持つ円筒埴輪が墳丘上から採取される。また、前方部裾からも朱塗りの底部穿 孔壺型土器が確認される。東日本の埴輪出現期の古墳として重要な位置を占めると考えられます。築造年代は、5世紀中葉前後と推定。
bottom of page