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高島市

鴨稲荷山古墳

継体天皇近親者の墳墓か

鴨川右岸、鴨川によって形成された沖積地に位置した前方後円墳です。墳丘は、失われており、県道改修工事に伴って発掘され、家形石棺が出土しています。石棺は覆い屋によって保護され、現地保存されている。「日本書紀」によると、応神天皇四世孫である彦主人王は近江国高島郡の三尾氏一族の振媛との間に男大迹王(継体天皇)を儲けたと言う記述から、地域的盟主墳である当古墳の被葬者は三尾氏の首長ではないかとする説が言われています。  墳丘規模は、全長60m(推定)ほどあったと考えられている。発掘された家型石棺は、二上産白色凝灰岩製で畿内から持ち運ばれています。  出土遺物は、棺内から双龍環頭大刀、鹿角装大刀、刀子、金銅製冠、沓、双魚佩、耳飾、内行花文鏡、玉類が出土。棺外から馬具、須恵器(壺・器台・高坏)など豪華で多くの副葬品が出土しています。築造年代は、6世紀前半~中頃と推定される。

胞衣塚古墳

「へその緒」を納める

鴨川の北岸、安曇川町の畑の中に残る円墳です。高島の地に誕生されとする継体天皇の「へその緒(胞衣)」を母親の振姫が産後に埋納したのが、当古墳であると伝えられています。  墳丘規模は、径11.5m、高さ2.4mを測ります。他詳細は不明。築造年代は、6世紀頃と推定される。

田中古墳群

田中王塚古墳(安曇陵)

泰山寺野台地の東端部に位置する古墳群で、中央北側の田中王塚古墳を中心に陪墳4基と合わせて40基を超える円墳、方墳、円墳または帆立貝型前方後円墳で構成されます。盟主墳である田中王塚古墳は、継体天皇御父 彦主人王として安曇陵墓参考地として治定されています。通称「牛塚」とも言われる。  王塚古墳は、全長76m、後円部径58m、高さ10m、前方部長12m、幅18.2m、高さ2.5m~3.7mの帆立貝型古墳または円墳で、2段築成、埴輪、葺石を備えます。埋葬施設は、粘土槨または木棺直葬と考えられています。築造年代は、5世紀後半と推定される。  田中36号墳は、径24m、高さ4mの円墳で埴輪を備えていました。埋葬施設は、全長7.9mの横穴式石室で九州に多く見られる石屋形の形式をしています。出土遺物は、鉄鏃、刀子、鉄製環状鏡板轡、鉄地金銅装鐘形鏡板轡、紡錘車、耳環、ガラス玉、土玉、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後葉と推定される。

音羽古墳群

音羽古墳公園

琵琶湖の西岸、嶽山の北側裾野に分布する古墳群で、50基ほどの円墳を中心として構成されています。石穴支群においては、音羽古墳公園として整備保存されています。  埋葬施設は、横穴式石室を主体部とする。8号墳で全長6.5m、玄室長3m、幅1.5m、10号墳で全長8m、玄室長4m、幅2mを測り、中規模な石室となっている。  出土遺物は、14号墳で銀象嵌大刀が出土している、築造年代は、6世紀後半~7世紀初頭と推定される。

打下古墳(うちおろし)

石棺直葬、丹後と繋がる?

高島市勝野の明神崎の北側、日吉神社の西側山腹に位置する古墳で、上水道配水施設の工事の際に箱式石棺が発見されています。  墳形や規模は、状態が悪く不明だが、現在は復元されています。箱式石棺は、直接埋葬されており、ベンガラで彩られた(水銀朱も検出)石棺内から身長155cm前後の40~60歳前後の男性と推定される人骨が出土している。直葬と言った埋納方法は、日本海沿岸地域の丹後地方に多く確認され、何らかの交流があったと考えられています。  出土遺物は、鉄刀、鉄剣、鹿角装具、鉄鏃が出土。築造年代は、5世紀後半と推定される。

白髭神社古墳群

大鳥居で大盛況

高島市鵜川、国道161号線沿いの白髭神社に分布する古墳群で、現存4基の円墳から成ります。SNS映えを狙った湖上に浮かぶ大鳥居で近頃大盛況を呈している。  1号墳は、岩戸社となっており露出した横穴石室を覆うように社が建っています。2号墳~4号墳は、ほぼ墳丘は流失しており、わかりにくいのが現状です。  「白鬚神社」の名称については諸説伝わり、新羅系渡来人が祖神を祀ったものとする説で、新羅(シラギ)が訛って「白鬚」になったという説。その一方で、社名の白鬚(はくしゅ)は、百済(ひやくさい)の事で、百済系渡来神を祀った神社とする説もあります。古くは渡来系の神を祀った神社であったと考えらる。

四十八体古墳群

四十八体石仏群の東屋横

高島市鵜川、国道161号線から旧西近江路に折れ北進した鵜川四十八体石仏群の東屋横に1基横穴石室が開口しています。  石室は奥壁側が残り、下部がほぼ埋没している状態と言うこともあり、奥壁上部と両奥壁側上部が確認できるのみとなっています。古墳群と言うことですが、1基のみ残存のようです。

坂畑古墳群

古墳案内犬が同行

高島市鵜川、国道161号線から西へ入って、湖西線を越え、防獣フェンスの中へと入って鉄塔を目指したシダの生い茂る山道沿いに位置する古墳群です。  1号墳は、奥壁側が開口した右片袖式の横穴石室で、ゆるく持ち送った石室が残っています。2号墳は、山道を挟んだ反対側にわずかに横穴石室が開口しているようですが、未確認。玄室の残りは良好の様です。
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蛇砂古墳

玄室は完存

高島市鵜川、国道161号線から西へ入って、湖西線を越えた田んぼの中に残る古墳で、墳丘はかなり変形しています。  開口部は、狭いですが右片袖式の横穴石室が良く残っており、奥壁は下段1枚岩と上段をブロック上に積み上げた構造になっています。
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