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瀬戸市

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吉田2号墳

やすらぎ公園内に移築

サンヒル上之山団地造成に伴う発掘調査が行われ、やすらぎ公園敷地内に移築された径12mほどの円墳です。また、同敷地内には、前方後円墳を含む宮地古墳群が分布します。  埋葬施設は、九州北部に源流をもつ竪穴系横口式石室で、羨道と玄室に段差がある形式をもつ。玄室は花崗岩を長方形に積み上げ、奥行3m、幅1.6mを測ります。そして、床面に敷石が認められる。  出土遺物は、碧玉製管玉、ガラス製小玉、鉄鏃、鉄斧、須恵器坩、はそう、土師器甕が出土。築造年代は、6世紀~7世紀初頭と推定される。

塚原古墳群

圧巻の立柱石見れます

瀬戸市南部、幡山地域の東側丘陵上に分布する古墳群で、南北に12基が連なってます。東側には、高塚山古墳群も隣接する。  主墳とされる1号墳は、国道248号線脇に石室の基部が移築保存されてます。全長7.3m、最大幅2.3m、高さ1.7mを測り、両袖に大きな立柱石を建てた迫力ある横穴石室となる。出土遺物は、金環、鉄刀、須恵器などが出土。築造年代は、6世紀後半と推定。  2号墳では、1号墳ほどの巨石利用の石室ではないが、長い石室の基部を見ることが出来ます。また、6号墳でも石室基部が残ります。古墳群築造年代は、6世紀後半~7世紀代と推定される。

宮地古墳群

やすらぎ公園に分布

瀬戸市南部の矢田川流域に分布する3基の古墳群で、前方後円墳1基、円墳2基から構成される。サンヒル上之山団地の西側のやすらぎ公園に現状保存されてます。また、同敷地内に吉田2号墳の石室基底部が移築保存されています。  1号墳の前方後円墳は、全長18.5m、後円部径10.5m、前方部幅6mを測ります。築造年代は、6世紀中葉~7世紀初頭と推定される。

山口堰堤3号墳

山口堰堤3号墳

国道248号横に移設

矢田川右岸の丘陵斜面に位置する円墳で、3 基から構成される山口堰堤古墳群に属します。周辺域丘陵上には高塚山古墳群、塚原古墳群などが分布する。現在、当古墳は国道248号横に石室基部が移設されてます。  墳丘規模は、径15mほどの円墳で葺石、周溝などの外部施設は認められない。埋葬施設は、南方向に開口する立柱石を立てた擬似両袖式の横穴石室で、胴張りの平面プランとなる。  出土遺物は、須恵器蓋が出土。築造年代は、6世紀末と推定される。

本地大塚古墳

市内唯一の前方後円墳

瀬戸市南西部、瀬戸川と赤津川が合流し、矢田川となる南側に位置する前方後円墳です。市内唯一の存在となりますが、現状は低い墳丘が残る状態となる。  墳丘規模は、墳丘長33m、後円部径22.5m、前方部幅11.7mを測り、二重の周溝が巡っていました。そして、前方部を西側に向けます。  出土遺物は、須恵質円筒形埴輪、形象埴輪、須恵器が出土。築造年代は、5世紀末~6世紀初と推定される。

深川神社古墳

深川神社境内にあり

瀬戸市深川町の深川神社境内に残る円墳で、柵に囲まれ樹木が茂ってます。  墳丘規模は径9mほどで、長さ4m、最大幅1.74mの横穴式石室が南向きに開口する。出土遺物など他詳細は、不明。築造年代は、6世紀後半~7世紀前半推定される。

穴田古墳群

胴張り堪能できます

瀬戸市北部に位置する穴田町にて工業団地造成に伴って、11基から成る穴田古墳群が発掘調査され、2号墳と6号墳が移築保存、4号墳が現地保存されてます。そのほかは調査後消滅。  2号墳は、径13mの円墳で、主体部に胴張りの両袖式横穴石室を備える。尾張旭市森林公園内の植物園に移築され迫力ある開口部が口を開けてます。出土遺物は、平瓶、高坏、つまみ付蓋、金環、銀環が出土。築造年代は、6世紀後葉と推定。  4号墳は径13×14mの円墳で工業団地内に現地保存され、外護列石を確認することが出来ます。主体部は、立柱石を立てた横穴式石室で、石室基部が残ってます。出土遺物は、須恵器、高坏、蓋杯、平瓶、金属器、金環、鉄鏃、山茶碗、皿が出土。築造年代は、6世紀後葉と推定。  6号墳は径12mの円墳で、石室の基部が瀬戸市立南山中学校に移築されてます。四角い鏡石を据え、2号墳に比べて、やや緩やかな印象の胴張り形状となる。出土遺物は、蓋坏、平瓶、土師器壺、鉄釘が出土。築造年代は、7世紀前葉と推定される。

荏坪古墳

「海丸の穴」

水野川の右岸、水野盆地の北側丘陵中腹に位置する横穴式石室を主体部とする後期古墳です。人々はこの古墳を、「海丸の穴」と呼んでいました。昔、海丸(かいまる)というお坊さんが住んでいたことから、そう呼ばれるようになりました。周辺斜面には、東西に広がるように後期群集墳が多く分布する。  墳丘規模は径17m、高さ4.8mほどの円墳です。主体部は、幅 0.7 ~ 0.8 m、高さ 0.6 mの立柱石を立てた「疑似両袖式横穴石室」で、全長 11.2 mを測ります。平面形は、やや胴張りを成していて、側壁もやや持ち送る。このように「疑似両袖式」と胴張りを併せ持つタイプは、西三河に多く見られます。  出土遺物は、詳しい調査が行われていない為、不明となっている。築造年代は、6世紀後半から7世紀初頭と推定される。

高塚山古墳群

胴張り石室露出

瀬戸市若宮町、国道248号線の東側に分布する古墳群で、高塚山の山頂付近に数基から成る古墳群です。南側の山道を挟んだ丘陵上及び麓には塚原古墳群が分布する。  1号墳は、石室の基底部がわずかに残る円墳です。3号墳でも横穴石室が露出していおり、こちらは天井石を失った状態ですが立柱石の玄門、胴張りの平面形がよく残ってます。

鹿乗3号墳

石室埋没気味

水野川の流域に分布する鹿乗古墳群の1基で、埋没気味ですが横穴石室が残ってます。  墳丘規模は径16m、高さ2mを測り、周溝が巡っていました。横穴石室は、墳丘規模の割に大きめの石材を利用する。詳しい調査が行われていない為、ほか詳細は不明。築造年代は、6世紀後半~7世紀前半と推定される。
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