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瀬戸市

穴田古墳群
胴張り堪能できます
瀬戸市北部に位置する穴田町にて工業団地造成に伴って、11基から成る穴田古墳群が発掘調査され、2号墳と6号墳が移築保存、4号墳が現地保存されてます。そのほかは調査後消滅。
2号墳は、径13mの円墳で、主体部に胴張りの両袖式横穴石室を備える。尾張旭市森林公園内の植物園に移築され迫力ある開口部が口を開けてます。出土遺物は、平瓶、高坏、つまみ付蓋、金環、銀環が出土。築造年代は、6世紀後葉と推定。
4号墳は径13×14mの円墳で工業団地内に現地保存され、外護列石を確認することが出来ます。主体部は、立柱石を立てた横穴式石室で、石室基部が残ってます。出土遺物は、須恵器、高坏、蓋杯、平瓶、金属器、金環、鉄鏃、山茶碗、皿が出土。築造年代は、6世紀後葉と推定。
6号墳は径12mの円墳で、石室の基部が瀬戸市立南山中学校に移築されてます。四角い鏡石を据え、2号墳に比べて、やや緩やかな印象の胴張り形状となる。出土遺物は、蓋坏、平瓶、土師器壺、鉄釘が出土。築造年代は、7世紀前葉と推定される。

荏坪古墳
「海丸の穴」
水野川の右岸、水野盆地の北側丘陵中腹に位置する横穴式石室を主体部とする後期古墳です。人々はこの古墳を、「海丸の穴」と呼んでいました。昔、海丸(かいまる)というお坊さんが住んでいたことから、そう呼ばれるようになりました。周辺斜面には、東西に広がるように後期群集墳が多く分布する。
墳丘規模は径17m、高さ4.8mほどの円墳です。主体部は、幅 0.7 ~ 0.8 m、高さ 0.6 mの立柱石を立てた「疑似両袖式横穴石室」で、全長 11.2 mを測ります。平面形は、やや胴張りを成していて、側壁もやや持ち送 る。このように「疑似両袖式」と胴張りを併せ持つタイプは、西三河に多く見られます。
出土遺物は、詳しい調査が行われていない為、不明となっている。築造年代は、6世紀後半から7世紀初頭と推定される。
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