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高浜町

二子山3号墳

小和田古墳群

小和田集落から南東の青葉山山麓に向かって広がる低丘陵上に位置する20基ほどの古墳群で、円墳と前方後円墳から構成される。南東に突き出る尾根先端には、2基の円墳(1号墳・2号墳)と1基の前方後円墳(3号墳)が分布します。  3号墳(二子山3号墳)は、全長28m、後円部径16.8mの小型の前方後円墳で、段築、葺石、埴輪は認められない。主体部は両袖式横穴石室で、現在、石室の一部が露出する。  出土遺物は、大刀、鉄鏃、鉾、刀子、鉄製品、装身具、玉類、馬具、須恵器などが出土。築造年代は、6世紀前半と推定される。
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広瀬古墳群

製塩集団?

山中集落の内浦湾に突き出た広瀬鼻の付け根にあたる断崖上に位置する9基からなる古墳群である。  墳丘が流失し横穴石室が露出、石材散乱と状態は良いとは言えないが、集落や農耕する土地が少ない地での群集墳という意味で貴重な遺跡と考えられます。「若狭の海辺に築かれし古墳」によると被葬者は製塩集団ではなく、漁撈などを生業としていた集団ではないかと推測されている。  出土遺物は、管玉、銀環、直刀、須恵器は出土。築造年代は、須恵器から7世紀前葉と推測される。

行峠古墳

海浜集団を従える

青葉山の山麓から東に延びる尾根上にある前方後円墳で、付近には二子山3号墳の小和田古墳群が分布する。海辺に近い地区という事から、広瀬古墳群のような集団を従えた首長墓と考えられます。  墳丘規模は全長34m、後円部径18m、前方部幅15mを測り、段築、葺石、埴輪などは認められない。そして。墳丘西側にも円墳が分布します。埋葬施設は、くびれ部に開口する右片袖式横穴石室で、玄室長3.8mを測り、木板で閉塞されていたと考えられてます。玄室床面の玉砂利敷きは、屍床に近いもので追葬に伴って拡張され、重ね敷きをされたとされます。  副葬品は、大半が側壁や袖部に片付けられてる状態で馬具、武器、農耕具、玉類、須恵器、土師器が出土。築造年代は、6世紀中葉と推定される。

輸蜊東古墳

眺望最高の立地

高浜町のほぼ中央部、三松駅から400mほど東の丘陵尾根上に位置する円墳で、すぐ北側に接するように町道南山手線が走り、若狭湾を見渡せる最高の立地となってます。  墳丘規模は径14mほどで葺石、埴輪、段築は認められない。地山を掘り込んだ周溝が検出している。墳丘自体は、3分の1ほどが削平され石室が露出しており、状態は良くないのが現状です。  埋葬施設は、左片袖式横穴石室の持ち送り顕著な横穴石室で、玄室入口に割石による閉塞石が下段一列のみ残存していました。副葬品は、土師器、須恵器。勾玉、管玉、小玉が出土。築造年代は、6世紀前半~6世紀末と推定。
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