現在はハイジアパークの敷地となるが、昭和初期頃までは数十基もの古墳で構成される古墳群であった。うち4基調査され、現存2基のみとなっており1号墳と2号墳の山の神神社となる。ちなみに3号墳と4号墳は前方後方墳で、塩釜式の二重口縁底部穿孔土師器が出土し北陸、関東系の土器が混在する。 出土遺物の年代観から考えた場合、4号墳→3号墳→2号墳→1号墳の順に築造されたと推測できるが古墳配置という観点からすると消滅している3号墳と4号墳の順は一考を要す。
築造年代は奈良時代に入る古墳群。薬師寺の入り口に説明板があり、二色根山の南斜面に分布する。 もとは6基分布したが現存3基、いずれも天井石を失った石室が露出する。
全長約96mで山形県では最大、東北地方では第7位。葺石・埴輪は確認されていない。また周濠も確認されてないが、テラス帯は認められている。埋葬施設は未確認で明らかでないが石室を持たない木棺直葬と推測される。墳形は、前方部が変形していることで、前方部の半分が意図的に築造されなかったという「前方部半截型」説が提唱されているという。 他には、宮城県内の古墳との類似性や東北地方最大の雷神山古墳(宮城県名取市)の被葬者と同盟関係にあったとする説もある。