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安来市

仲仙寺墳墓群
古代出雲の王陵の丘 仲仙寺公園
飯梨川の下流域左岸、もとは二十数基からなる仲仙寺古墳群で、仲仙寺墳墓群(仲仙寺支群)と宮山墳墓群(宮山支群)に分かれます。さらに造山墳墓群や塩津山墳墓群と合わせて荒島古墳群とも総称される。西側丘陵尾根上に分布する仲仙寺墳墓群は、現在、古代出雲の王陵の丘・仲仙寺公園として8号墳と9号墳の2基が整備保存されています。
8号墳は、一辺14m×18m、高さ1.5mを測り、弥生時代後期に築かれた四隅突出型墳丘墓です。埋葬施設は、未調査のため副葬品などは不明となる。
9号墳は、一辺22.5m×27m(突出部含む)高さ3mを測り、弥生時代後期に築かれた四隅突出型墳丘墓です。埋葬施設は、墳頂部に3つの土壙が確認され、それぞれに組合式木棺を納めていました。さらに、墳丘の裾部にも3基の箱式石棺が確認されています。中央の土壙からは、碧玉製管玉が出土しています。

毘売塚古墳
月の輪神事の起源
JR安来駅の南東、中海を見渡すことができる丘陵先端部に築かれた古墳です。「出雲風土記」の毘売埼伝承のゆかりの地として、語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の娘が葬られていると伝えられています。この伝承は、語臣猪麻呂がワニに食い殺された娘の敵討ちをしたというお話で、月の輪神事の起源とされる。
墳丘は、全長41.8m、後円部径32.8m、高さ4.1mを測る帆立貝式古墳で、段築、葺石、埴輪を備えます。埋葬施設は、3.3m~3.6mほどの墓壙に舟形石棺が納められていました。
出土遺物は、円筒埴輪、人骨、鉄剣、鉄鏃、革䌌短甲、鉄矛、ヤスのような漁具が出土する。築造年代は、5世紀後半と推定される。

造山古墳群
古代出雲王陵の丘 造山公園
中海を臨む荒島丘陵上に築かれた古墳群です。同丘陵上には仏山古墳、大成古墳などが分布しており、荒島古墳群に属します。「古代出雲王陵の丘」として保存整備されており、前方後方墳1基、方墳2基、長方墳1基、計4基から構成される4世紀から6世紀に築かれた古墳群です。
未整備地区にある1号墳は、一辺60m、高さ10mほど大型方墳で全国的にも最大級を誇ります。2基の大小2基の竪穴式石室が確認されており、長さ7.1mの第一石室からは、三角縁獣帯文三神三獣鏡、方格規矩禽獣鏡、鉄刀、刀子、管玉が出土する。長さ5.6mの第二石室からは、方格規矩四神鏡、刀剣、刀子、紡錘車が出土しています。
2号墳は、全長50mほどの前方後方墳で、方墳の4号墳(一辺13m)と共に古墳群最高所に立地しています。築造年代は、6世紀初頭と推定される。
3号墳は、一辺39m、短辺31m、高さ4mの長方墳です。内法長4.75mほどの竪穴式石室を主体部し、吾作銘の斜縁二神二獣鏡、管玉、小玉、刀子、槍鉋、土師器などが出土しています。

宮山墳墓群
古代出雲王陵の丘 宮山公園
飯梨川の下流域左岸、もとは二 十数基からなる仲仙寺古墳群で、仲仙寺墳墓群(仲仙寺支群)と宮山墳墓群(宮山支群)に分かれます。さらに造山墳墓群や塩津山墳墓群と合わせて荒島古墳群とも総称される。宮山墳墓群は、弥生時代後期から古墳時代後期に築かれた前方後方墳2基、方墳2基、円墳1基、四隅突出型墳丘墓1基の計6基から構成される。現在、古代出雲の王陵の丘・宮山公園として2号墳から6号墳の5基(1号墳消滅)と住居跡1棟が整備保存されています。南西には仲仙寺墳墓群、北西には安養寺墳墓群(消滅)が分布する。
消滅した1号墳は全長57mの前方後方墳で、葺石、埴輪を備えており、埋葬施設がすでに失われていました。築造年代は、古墳時代中期と推定される。分布図にある2号墳とされる墳丘は、1号墳の前方部の一部ではないかと考えられています。3号墳は、全長24mほどの小型の前方後方墳、そして5号墳が円墳、6号墳が方墳とされます。
4号墓は、突出部を含めると東西24m、南北29m、高さ2mの弥生時代後期の四隅突出型墳丘墓で、一辺12mほどの方墳(古墳時代後期)の下側から見つかっています。埋葬施設は組合式木棺で、赤色顔料が認められ、太刀が副葬されていたことがわかってます。

塩津山墳墓群
古代出雲王陵の丘 塩津山公園
荒島丘陵上に築かれた古墳群で、造山古墳群とは、一つ谷を隔てた南側丘陵上に分布します。四隅突出型墳丘墓2基、円墳4基、方墳3基、不明1基、丘陵裾にある塩津神社古墳も含めて計11基から構成され、荒島古墳群に属します。現在「古代出雲王陵の丘」塩津山公園として1号墳・2号墳が復元整備されています。
塩津1号墓と塩津山6号墓は県内最大級の四隅突出型墳丘墓で、一辺30m以上(突出部含む40m以上)を測り、出雲東部最大になります。出雲市の西谷墳墓群の中にも大型の墳墓があり、当時、出雲を東西に二分する勢力圏があったと考えられます。
復元整備されている塩津山1号墓は、南北25m、東西20m、高さ3mの方墳で、6基の埋葬施設が確認されています。出土遺物は高坏、壷形土器などが出土。塩津山2号墳は、径8mほどの円墳で、幅2mの周溝が巡っていました。出土遺物は円筒埴輪、須恵器などが出土しています。

穴神横穴募群
精美な彩色石棺
安来道路沿い北側に残る横穴墓群で、南北に縦断する尾根の西向き斜面に1号墓、東向き斜面に2号墓と3号墓が分布します。同じく安来道路沿い300mほどの東側に「いにしえ横穴学習館」という施設があり、当横穴墓を含む臼コクリF区1号横穴墓や島田遺跡第1号横穴墓の石棺レプリカが展示されています。
横穴墓の登り口から始めに出会うのが2号墓と3号墓となる。2号墓は 、不正長方形の平面に奥壁に沿って切り石で築いた屍床台があります。そして、前庭部には、左手に奥行62cmほどの小横穴が確認されています。出土遺物は、金銅装大刀、鉄製武器、須恵器が出土。築造年代は、7世紀前半と推定される。
尾根の反対側に残る1号墓は、隅丸方形の玄室に精美な家形石棺が安置されています。さらに石棺には、赤い彩色が施され、左右の前壁にワラビが芽吹く文様、高床式建物、三角文、直弧文の壁画が描かれています。実際に現地では、わかりにくいのが現状です。こうした彩色壁画以外にも右前壁の左下隅の付近にいくつかの線刻が確認されています。こちらでも前庭部から平面台形状の小横穴が見つかってます。出土遺物は、金環、直刀、人骨一、須恵器が出土。築造年代は、7世紀中葉~後葉と推定される。
こう言った横穴墓は、九州地方との共通性が多く見られ、出雲と九州との何らかの緊密な関係性が伺えます。
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