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隠岐の島町

北方横穴墓群

家型・造り付け石棺

島後島の北部の重栖川右岸、北方集会所の裏山に分布する横穴墓群で、20基以上が確認されています。入口前面が崩落しているものや埋没気味の横穴墓がありますが、なかには家形の玄室に造り付けの石棺が備わるものも残ってます。  島の南部には古墳群が集中していますが、この北部地域には、横穴墓が集中しているのが特徴と言えます。また、古代の条理も確認されており、古くから重要な地域であったと考えられています。

斎京谷古墳群

古墳群密集地帯

西郷港に流れ込む八尾川の河口付近、西側丘陵上に分布する古墳群です。どれも小型の円墳で、10基ほど確認しています。当古墳群の周辺域には、国府原古墳群、玉若酢命神社古墳群など5世紀代に築かれた古墳群の密集地帯となっています。

甲ノ原古墳群

首長墓集中地区

隠岐の島町下西甲ノ原、国府尾城址の麓に分布する4基からなる古墳群です。このうち2号・3号墳を確認することができました。周辺域には、前方後円墳の存在が複数確認されており、この一帯は首長墓の集中地区として関心が寄せられています。  2号墳は、墳長31mほどの前方後円墳で、前方部と後円部に段築が認められます。墳丘形状から4世紀後半~5世紀初頭の築造と推測されます。  3号墳は、墳頂に社が祀らる全長28mの前方後円墳で、二宮神社古墳とも言われます。こちらも前方部と後円部に段築が認められます。他詳細は不明。

水若酢神社古墳群

全長10m超の石室

隠岐国一宮である水若酢神社境内に分布する2基の円墳から成る古墳群です。水若酢神社は元々、山田川の流域に位置していたとされ、1678年に現在の場所に遷座しているので、古墳群とは関連性がないもの考えられています。  1号墳は、径20mほどの円墳とされますが、現在、墳丘を失い横穴式石室が露出する。全長11mの石室は、複室構造の可能性が指摘され、隠岐最大規模となっている。また、凝灰岩製の刳抜式石棺が大小合わせて2基確認されています。出土遺物は、鍬先、鉄刀、鉄鏃、不明鉄器、ガラス製丸玉、高杯、𤭯、高杯が出土。築造年代は、6世紀中頃~7世紀代と推定される。  神社本殿の裏にある2号墳は、径20mほど円墳ですが社殿建設の際に削平されています。他詳細は不明。  この古墳群の被葬者は、付近にあった犬町廃寺(郡廃寺)との関係が考えられています。

平神社古墳

「隠岐の島」最大級

西郷港に流れ込む八尾川の右岸、八尾平野を一望できる小支丘の先端部に位置する前方後円墳で、前方部を西に向けます。そして、接するように平神社が鎮座しています。  墳丘規模は、全長47m、後円部径28m、高さ5m~5.5m、前方部幅21m、高さ3mを測り、隠岐の島最大級を誇ります。墳丘には、葺石、段築、埴輪が備えられ、島内で埴輪を出土した唯一の古墳となっている。  埋葬施設は、くびれ部付近に自然石の割石を用いた横穴式石室が南方向に開口する。現状は、奥壁など一部基底部を残すのみとなる。石室の位置が中心よりずれている為、未確認の石室の存在が推測されています。  出土遺物は、土師器壺、須恵器大甕が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。

大城遺跡四隅突出型墳丘墓

隠岐島で初見(はっけん)!

西郷湾を見下ろすことができる東西に延びた丘陵尾根筋に位置しており、東西2ヶ所に溝を切り込み、北側と南側は自然地形を最大限に生かして築かれています。現在は「隠岐の島町総合体育館」前に復元整備されている。  墳丘は、東西18m、南北10~12m(推定)を測る四隅突出型墳丘墓で、隠岐の島では初めての発見となります。埋葬施設は4か所確認されいる。墳丘中央の第一主体部は1.3m×2.3m、深さ40~60cmを測り、組合せ式木棺の痕跡が確認されている。  出土遺物は壺、管玉が出土。西側の溝から見つかった土器には、渦巻と水鳥のスタンプが施されており、葬送儀礼のための特殊な土器と考えられています。

玉若酢命神社古墳群

隠岐国総社「玉若酢命神社」

島後島の南部、西郷港を見下ろす西側丘陵上に位置する古墳群で、前方後円墳1基と円墳14基の計15基から構成されます。かつては隠岐国の国府が置かれ、隠岐国の開拓の祖「玉若酢命」を主祭神とする隠岐国総社である玉若酢命神社の北西丘陵上に分布しています。  丘陵頂部にある8号墳は、墳丘長33m、後円部径19m、高さ2.6m、前方部幅15m、高さ2.3mの前方後円墳で、はじめに築かれた盟主的な存在となります。後円部の頂部には石室及び石棺材とみられる石材が散乱しています。この他は径十数mほどの円墳が連なり、なかでも3号墳は横穴式石室を主体部としています。出土遺物は、大刀、須恵器が出土。築造年代は、6世紀後半と推定される。  当古墳群の周辺域には、国府原古墳群、斉京谷古墳群など5世紀代に築かれた古墳群密集地帯ともなっている。
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