眼下には只見川の流れる太郎布高原に立地する単独墳となる。径30mの円墳で葺石が確認されている。一説によると川口村と大志村の村境争いで奉行による調停の際に川口村の村人が奉行を怒らせ糠をかけ生き埋めにした墓であるとも言われている。