多摩川と平井川が合流する台地先端部に分布する3基から成る古墳群です。 1号、2号墳は民家の敷地の畑の中で、1号墳は川原石で組まれた土台の上に祠があります。2号墳も同じく祠がありますが、積石塚のような土台が見れます。3号墳は畑の北側の民家に隣接し、赤い鳥居が建ってます。径12m、高さ1.5mあるようで、現状でも墳丘らしき盛り上がりは確認できます。
草花古墳群は、平井川の北、多摩川と挟まれた台地上に分布する11基ほど古墳群で、森山古墳群から上流域になる。 ほとんどが消滅し、確認できたのが民家裏の高台、No59-7のみで径6m、高さ0.5mほどの上に社がある墳丘状の高まりです。
大きなえのきが交差点にあって、墳丘はその下に10x10m、高さ1mで残る。遠くからでも目立つので、すぐわかります。
現状は道路で削平され、おおよそ15x20m、高さ1mの方形状に見えますが、円墳と言うことです。埋葬施設などは不明。墳頂に社があります。
半径150m範囲に50基ほど小円墳が群集しており、現在は民家敷地内に石材が集積されているものが数基、7号墳の石室が南側住宅地に保存される。旧1号墳(32号墳)が小金井公園に石室が移築。 埋葬施設は、竪穴系横穴石室で焼骨が骨臓器に入って発見されている。築造年代は火葬が始まった奈良時代以降と推測されたが、現在では古墳自体は7世紀代、その後、再利用され骨臓器が8世紀末から9世紀初頭に埋納されたのが定説となってます。出土遺物は、直刀、鉄鏃、刀子、須恵器、土師器、玉類が出土している。
名前にふさわしい背の高い墳丘が公園の一角に残る。一辺33m、高さ8mの規模で現状は円墳ようだが方墳の可能性があるとのことです。周溝は確認されておりません。 別名「王塚古墳」とも呼ばれる。