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伊勢原市

心敬塚古墳

大型の円墳

鈴川右岸、伯母様山から南東に延びる丘陵上にある三宮高区配水池の横に大きな円墳が存在しています。未調査の為、詳しいことはわからないが、立地と規模からしても大首長級の墳墓と考えられます。  応仁の乱で今日を追われ、関東へ下向し、丘陵北側にあった浄業寺に閑居した「連歌中興の祖・心敬」がこの古墳の傍らに葬られたとの言い伝えもあります。

埒免古墳(らちめん)

恵泉女学園短期大の構内

大山の南東麓に築かれた古墳で、恵泉女学園大学の敷地内に石室が残されてます。近くには、比々多神社元宮も鎮座しており古くから由緒ある地であることがわかります。  墳丘規模は、径40mほどの大型の円墳で、幅5mほど周溝が巡っていました。石室は、野石乱積みの片袖式の横穴石室で、玄室長4.8m、幅2m、羨道長4m、幅1mを測ります。  出土遺物は、銀装大刀、馬具(鏡板付轡・杏葉・木製鞍・鞍金具・木製鐙)、銅鏡、鉄鏃、玉類などが出土しており、なかでも鞍金具は県内3例、金銅装鏡板付轡は相模地域で登尾山古墳に出土するのみとされ、相模地域を代表する副葬品と考えられます。

松山古墳

眺望、立地は随一

鈴川右岸、伯母様山から南東に延びる丘陵先端部に位置する円墳で、伊勢原や平塚の市街地を見渡し、その向こうには相模湾が広がる好立地にあります。  墳丘規模は推定径34m、高さ6mとされ、現状で径19m、高さ5mを測ります。埋葬施設は、竪穴系と推定される。築造年代は、相模川東岸の同規模の円墳との比較から5世紀代を下らないと考えられます。

御領原古墳群

三ノ宮3号墳(移築)

鈴川の左岸台地上に分布する古墳群で、かつては70基を越えていたが、現在は数基を残すのみとなる。3号墳の石室は、東名高速道路建設の際に三ノ宮比々多神社に移設保存されています。  3号墳石室は、全長12mほどの野石積みの横穴式石室で基底部が残されている。出土遺物は、馬具、鉄製三角穂鉾、直刀、刀子、鉄鏃、玉類、須恵器が出土しています。

登尾山古墳

貴重な品々が出土

「塔の山丘陵」の尾根上に築かれた古墳で、相模川を見渡せる好立地に位置します。墳丘を失ってますが、石碑が立っているのですぐわかります。  偶然発見された当古墳からは、河原石積みの横穴式石室が確認され、そこから多くの貴重な品々が出土しています。出土遺物は、圭頭大刀、金銀装飾の大刀、鉄刀、金銅装馬具、銅椀、銅鏡、須恵器高坏、土師器坏、周辺域からは家形埴輪、人物埴輪が出土する。なかでも高台付銅椀は、関東地方で首長クラスの前方後円墳からのみの希少な副葬品となります。また、金銅装大刀は、完全な形で銀色に輝いた状態で出土しています。築造年代は、6世紀後半~7世紀代と推定される。  相模で第一級品が出土した当古墳の被葬者は、三ノ宮地区を支配した最高権力者であったと考えられます。

尾根山古墳群

三ノ宮の丘陵上

三ノ宮の丘陵上(長福寺の裏山)、北東方向に緩やかに傾斜した尾根上に並列して分布する古墳群です。かつては6基確認されており、4基が調査が行われてます。「神奈川の古墳散歩」では、全て消滅となっている。  墳丘規模は、径10m~15mほどの円墳で、川原石を用いた横穴式石室が主体部とされている。そのうち1基は、野石乱積みの半地下式の形状をもつ横穴式石室とされるが、玄室自体が低く、埋葬をした後に天井石を被せてたと考えられます。  出土遺物は、直刀、鉄鏃、鉄製武器、耳環、玉類、土師器、須恵器、土器が出土。2号墳より出土した直刀は、95cmの大型となっています。築造年代は、6世紀代~7世紀前半と推定される。

鎧塚古墳群

「実蒔原の戦い」戦死者の塚

渋田川の右岸中流域の台地上に分布する古墳群で、6基の円墳が畑の中に点在しています。室町時代に山内上杉と扇谷上杉が戦った「実蒔原の戦い」の戦死者を埋葬した塚とも伝わります。  調査が行われた1号墳は、径21mの円墳に幅3.2mほどの周溝が巡っていました。墳丘は、国道246号沿いに残る前方後円墳の地頭山古墳に近い保存整備が施され、古墳直下を伊勢原市道1号線の歩道がトンネル状となって通っています。  埋葬施設は、忠魂碑や鎧塚神社の基礎などによって削平されていましたが、片袖式の横穴石室を備えており、玄室長4.2m、奥壁幅1.6m、高さ1.8m、羨道長2.1m、幅0.9mを測ります。出土遺物は、直刀、小刀、鉄鏃、多くの玉類が出土する。築造年代は、6世紀後半~7世紀初頭と推定される。

ダイジン森古墳

(伊勢原市16号墳)

伊勢原市日向、水田の中に残る径10mほど円墳で、伊勢原市16号墳とも呼ばれます。墳丘上には、横穴石室の石材と思われる石材が散乱しています。また、墳頂に祠が祀られています。水田にこんもりと残っているので遠くからでも発見しやすい古墳です。

さんせ塚古墳

実蒔原古戦場跡すぐ

厚木市七沢、「実蒔原古戦場跡」説明板のある南側に位置した円墳で、もとは5mほどの高さがあったようです。別名「三敏塚」とも言われます。  木の下には、石碑が立てられ、石室石材と思われる石材が数点残っています。出土遺物は、直刀、刀子、鉄鏃、金環、瑪瑙製勾玉が出土する。

新田古墳群

伊勢原市5・7・8号墳

厚木市七沢、「実蒔原古戦場跡」から伊勢原津久井線を挟んで西側の畑中や北西にある前田医院向かいの畑辺りに分布する古墳群です。  93年に調査が行われてた1基からは幅1.5mほどの周溝が検出され、円墳であることがわかった。埋葬施設は、長さ5.7mの横穴式石室で、刀子、鉄鏃、勾玉、切子玉が出土しています。

七沢地区12号・13号墳

(久保屋敷古墳)

厚木市七沢、「実蒔原古戦場跡」のある北側丘陵上に分布する円墳2基です。久保屋敷古墳(12号墳)は、径20m、高さ2.5mを測り、墳頂に祠があります。12号墳に行く手前の杉林を抜けた西側には、10mほどの削平された13号墳が残ってます。

日向原古墳群

県立自然環境保全センター内

玉川の右岸、日向山から東に派生する丘陵先端部に分布する古墳群です。「神奈川県自然環境保全センター」の敷地内に残っており、門を入った右側に3基が連なります。3基ともに径10m以内(現状)の円墳で、葺石や一部石室石材が露出しているのも確認できます。

金井古墳群

厚木市立玉川小学校敷地内

厚木市七沢、玉川保育所と厚木市立玉川小学校の敷地内に分布した古墳群で、現在は、小学校校庭北側に石室石材が移築されています。  玉川保育園に位置した1号墳は、石室長5.8m、高さ2.4mを測る横穴式石室で、直刀、鉄鏃、刀子、金環、丸玉が出土しています。小学校校庭の真ん中辺りに位置した2号墳は、径30mほどの円墳で、長さ10m余りの横穴式石室を備えていました。出土遺物は、人骨、金環、丸玉、切子玉、勾玉が出土する。

島残古墳群

玉川沿いに数基

相模川に流れ込む玉川沿いの南岸、特別養護老人ホーム「玉川グリーンホーム」の周辺に数基が残っています。  どれも状態の良いものは少なく、墳丘が削平され、一部石材が露出する古墳群です。なかでも35号墳は、民家の庭先にこんもりとした墳丘を残し、お稲荷様が祀られています。35号墳の南、道路際に残る22号墳は、かつて背丈より高い墳丘が残り、大きな石材が露出し、地下が空洞なのが確認されています。築造年代は、古墳時代後期。

高松山古墳

前方後円墳の可能性

相模川の右岸、高松山の頂部に位置する古墳で、以前から前方後円墳の可能性が指摘され、「高松山古墳保存運動」が行われてきました。丘陵の頂部に登ると地山を切り崩した前方後円墳にような墳丘が残ってます。  その後、調査が行われ、円丘部の頂部から埋葬施設とされる墓壙と木棺を納めたと考えられる痕跡(炭化物)を確認しました。この度の調査では、円丘部(径20m)においては墳丘であることがわかったが、前方後円墳であるかは今後の課題となりました。築造年代は、4世紀末~5世紀初頭と推定される。

小金塚古墳

南関東最古の朝顔形埴輪

墳丘自体が小金神社となっており、大きな小山が畑の中に見えてくる。調査の結果、東西46.9m、南北48.9m、高さ6.2m、周溝幅10.4m、深さ1.1mの大型円墳で、周溝は現在でも畑の地割から規模を想像することができる。  埋葬施設は、社殿直下に竪穴系が考えられる。出土遺物は、周溝から円筒埴輪片、青銅製耳環、朝顔形埴輪が2個体が出土。誇るべきは、朝顔形埴輪で復元高84cmながら薄く加工され、高い技術力を確認でき、南関東最古とされる。築造年代は、4世紀末と推定。
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大人塚古墳

前期の方墳の可能性

台地の先端部に築かれた方墳で「だいじんづか」と読みます。本格的な調査は行われれず、一辺20mほどで高さは3m程度。埋葬施設に関しても詳しいことはわかっていない。 市内には4世紀中頃の塚越古墳と言う方墳がありますが、こちらも同時期の築造と推測されます。
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