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御領古代ロマン特区
芦田川の流域、神辺平野東部にある福山市神辺町には「御領山」東西約3キロ、南北約2キロにわたって10支群から成る群集墳が確認されてます。「御領山」の南に広がる平野部には、縄文時代~中世にかけての「亀山遺跡」「大宮遺跡」「御領遺跡」の集落跡も見つかってます。遺跡中央を東西に古代山陽道が貫き、現在でも備後国分寺が存在する。 御領古墳群は、大東古墳群・張田 古墳群・奈良原古墳群・上御領中組古墳群・八丈岩古墳群・上御領下組古墳群・下御領古墳群・法童寺古墳群・表山古墳群・国分寺裏山古墳群の支群に分かれ、総数約240基の大群集墳となっている。(御領の古代ロマンを蘇らせる会HP参照) 現在は、おおよその古墳群の実態が掴めてますが、以前は大まかに古墳群としか認識されてなかった古墳群でした。地元の有志の活動によって少しずつ全容が明らかになってます。この魅力的で古代ロマンあふれる当地域を「御領古代ロマン特区」として紹介していきます。

上御領下組古墳群
ビギナーズコース
御領古墳群のほぼ中央部、八丈岩の西側に南北に細長く分布する古墳群で、おおよそ38基から成ります。そして、古墳群の北部、山道の北側には「古墳の丘」と言われる石室墳が一望に見渡せる象徴的な場所があります。古代ロマンに耽るには最高な場所と言えるでしょう。
ほとんどの古墳が、墳丘を流失しており横穴石室が露出しております。横穴式石室は、大きなもので21号墳の全長9.2m、玄室長5.4m、幅2.3m、高さ1.3m、羨道長3.8m、幅1.1m、高さ1mの石室が南東に開口します。
麓の斎神社(荒神社)から「古墳の丘」までハイキングコースが整備され、コースに沿って石室が見学が出来るようになっており、古墳ビギナーズコースとして最高な見学ルートとなってます。

江草古墳
広島県最古級の前方後円墳
高屋川と竹田川の合流地点、その高屋川を挟んだ北側の御領遺跡に突き出す丘陵上に残る前方後円墳で、前方部を南西に向けます。近年、地元の有志によって新発見され、整備や調査協力が度々行われていました。丘陵先端部には、弥生墳丘墓と考えられている江草荒神社古墳が位置し、丘陵のさらに上部には古墳群が分布しています。
墳丘規模は、全長55m、後円部径28m、 高さ3.5m、くびれ部幅10m、前方部長27m、幅20m、高さ1.5mを測り、撥型に開く前方部を成した古式形状です。墳丘は、全体的に削平を受けており、特に後円部が3分の1ほど失われている。埋葬施設は、地中レーダー探査が行われてましたが明らかにはなっていません。
築造年代は4世紀代と推定される。広島県内最古級の前方後円墳であり、備後地域の古墳文化を解明する重要な発見となりました。

表山古墳群
1号・2号で前方後円墳の可能性
御領遺跡の西端部、国分寺裏山古墳群の分布する丘陵尾根の南斜面から、さらに北側の表山山頂付近に分布する古墳群で、円墳3基で構成するとされてきました。近年、さらに調査が進むことによって、1号墳と2号墳とで前方後円墳ではないかと考えられるようになりました。
墳丘規模は、もとは径10~14mほどの低い円墳とされていましたが、1号墳と2号墳を合わせて前方後円墳とするならば、全長25m、後円部径14m、前方 部長11mを測り、前方部を西北に向けます。後円部墳頂には、石鎚神社が鎮座し、石室石材かと思われるものも確認できます。
2号墳とされた前方部からは、墳丘主軸に沿って箱式石棺が確認されている。石棺内からは、40代の女性と後に追葬された15、6歳の男性の人骨が検出しています。副葬品として滑石製勾玉、算盤玉が出土する。
石鎚神社のある後円部(1号墳)には、主体部となる埋葬施設の存在が推測され、当時期に一帯を治めた首長が納められていると考えられます。そして、前方部の被葬者は、その妻と子供と推定される。

奈良原古墳群
終末期の巨石墳
岡山県との県境付近に分布する古墳群で、斎場などの建設工事に伴って数を減らしましたが、現在9基ほど終末期の大型石材を用いた横穴石室墳が残ってます。このほか、当丘陵上にはカシオペア座を思わせる国界石や中心的存在の磐座が鎮座してます。麓には、古墳群専用駐車場も付設され、地元の有志によって古墳ロードが整備されてます。
主体部の横穴式石室は、.全長3m~6.8mほどで、露出した石室を見ることができます。最大のもので5号墳の右袖式横穴石室で、石室長6.8m、幅2m、高さ2m、玄室長3.4m、幅2m、高さ2m、羨道長3.4m、幅1.4m、高さ1.4mを測り、南南東に開口する。ほとんどの石室は南及び南東に開口するが、6号墳のみ南西に開口しています。

大東古墳群
古墳時代の幕が開ける
備後と備中との国境、御領古墳群の北東端に分布する古墳群で、弥生時代~古墳時代に移り変わる変遷期に築かれた首長墓群の貴重な発見が相次ぎました。盟主墳の前方後円墳の大仙山古墳、ほか3基の前方後円墳、箱式石棺(墳形不明)の計5基から構成されます。
盟主墳である大東大仙山古墳は、全長47m、後円部径27m、高さ3m、くびれ部幅9m、前方部長20m、幅20m、高さ2.5mを測ります。後円部墳頂には、大仙神社が鎮座しており、社殿土台や周辺に石室石材のようなものが確認できます。墳丘は全体的に低く、撥型で古式様相を示した形状を成し、葺石、埴輪、段築、周溝は確認されておりません。築造年代は、古式の形状から3世紀後半~4世紀代と推定される。
1号墳・2号墳・4号墳は、全長30m~35mほどの前方後円墳で、 大仙山古墳より小型ですが築造時期は更に遡るものと考えられます。また、2号墳では東西18m、南北8mのテラス状のものが確認されている。(ほか詳細は別掲載、2号墳、4号墳は画像なし)
3号墳は、昭和59年の共同墓地建設の際に箱式石棺が発見され、墳形、規模、遺物は不明です。現在は、墓地中に、石棺石材を見学することが出来ます。
なお古墳群周辺域では、弥生時代の土器片が多数見つかっており、当古墳群との関連性が推測されます。
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